農会長は先に金を貸している
「誰に、どんな嘘をつけと言われた」
ダリオの問いに、ユハンはラウドを見た。
「青灯果を運んだのはオルナさんだと言えって」
組合会館の空気が変わった。
オルナの青灯果は、一年前に食べた者が倒れたことで市場から外された。だが、当時の記録には欠けている部分が多く、オルナだけの責任とは確定していない。
「私は、そんな指示をしていません」
ラウドはすぐ否定した。
「言った。農会の借金を大銀貨一枚減らすって」
「証拠は?」
ユハンが黙る。
口頭の指示だった。見ていた者もいない。借金帳には、一枚減った記録もなかった。
「減ってないじゃないか」とロアン。
「だから逃げたんだよ!」
ユハンが机を叩いた。
「嘘を言ったのに、一枚も減らなかった。農会へ聞きに行っても帳面を見せない。オルナさんのところには戻れない。どうすればよかったんだ」
オルナは壁際で腕を組んでいる。
「私に話せばよかった」
「信じるわけない」
「今も、全部は信じてないよ」
「ほらな」
「だから、逃げずに話すんだ」
ユハンは言い返せなかった。
バルガスはラウドが抱えていた帳面を机へ置かせた。青灯果を扱った月、冷え石の購入、荷車の貸出記録を確認する。
「今日だけでは終わらん。帳面は組合で預かる」
「農会の業務が止まります」とラウド。
「控えは?」
「ありません」
「一冊しかない帳面を、お前一人が持っていたのか」
ラウドは答えなかった。
ダリオが深く息を吐く。
「私の責任です。会計を任せ、確認を怠った」
「農会長を辞めるのか」とユハン。
「今辞めれば、残った者に帳面を押しつけるだけだ」
ダリオは宗久へ向き直った。
「牛島店長。あなたは農会を信用できないでしょう」
「ラウドさんの帳面は信用できません」
「同じことでは?」
「違います」
農会は、収穫前の農家へ種代と生活費を貸す。畑が病気になり、収穫がなくてもすぐには追い出さない。店は出来上がった商品の中から、売れそうな物だけを選べる。
「一号店は、春の畑に先に金を出していません」
「分かっているのですね」
「だから、農会をなくせばいいとは思いません。ただ、作った人に帳面を見せないまま金を引くのは違います」
「では、どうする」
宗久は雨宮が作った三枚式の支払記録を机へ置いた。
「一号店が買った分は、生産者、農会、店が同じ記録を持つ。返済額は本人の確認を取る。農会が先に貸した事実も記録から消しません」
「紙が三倍になる」とラウド。
「今まで控えがゼロだったからです」と雨宮。
ダリオは三枚を重ねた。
「農会の全取引を、すぐ同じ形にはできません」
「一号店との取引からで構いません」
「店へ売らない農家は?」
「組合と農会が決めることです」
店のやり方を町全体へ押しつけるつもりはない。ただ、一号店が払った金の行き先は、一号店の責任で残す。
ダリオは三枚すべてへ印を押した。
「試します。ラウドは確認が終わるまで会計帳に触れさせません」
「会長!」
「疑いだけで罪人にはしない。だが、疑いのある者へ一冊しかない帳面を戻すこともしない」
ラウドの顔から血の気が引いた。
「ラウドを外せば、明日から誰が会計をする」と農家の一人が声を上げた。
「私と、組合の記録係で分ける」とダリオ。
「会長が畑を回れなくなる」
「それでも、一人には戻さない」
農会の仕事は、帳面を正しくするだけではない。種を配り、農具を直し、収穫した物を集める。会計係を外せば、その分の仕事は誰かが引き受けることになる。
「一号店から人を出せないか」とユハン。
「出せません」と宗久。
「紙を作ったのは、そっちだろ」
「店員は店を開けるために雇っています」
困っているからと仕事を受け続ければ、また誰も休めない店になる。記録の形は渡せるが、農会の会計まで店が抱えることはできない。
雨宮が記入例を一枚作った。
紫根二十束。代金三十枚。畑代六枚。本人十二枚。返済十二枚。
「最初の三回は、組合で照合します。その間に農会で二人目の記録担当を決めてください」
「三回で覚えられるか」とダリオ。
「覚えられなければ、四回にします。ただし、組合に任せたままにはしません」
「期限まで決めるのか」
「決めないと、ずっと手伝ってもらえると思います」
バルガスが大きくうなずいた。
「聞いたな。三回だ」
「副店長は組合長の使い方がうまいな」とロアン。
「聞こえているぞ」
張りつめていた農家の間に、少しだけ笑いが戻った。
会議が長引く前に、店からユノが走ってきた。
「店長、魚が来ました!」
「今日は非営業日だぞ」
「デレスさんが六尾持ってきて、全部買えって」
「三尾の約束でした」
「三尾じゃ、選べないって」
組合の話をバルガスへ預け、宗久と雨宮は店へ戻った。
鮮魚売場の前で、銀青色の魚が六尾跳ねている。床は水浸しだった。
「冷え石の箱へ入れてください!」
「先に選べ」とデレス。「腹、目、えら。六尾並べなきゃ違いが分からん」
三尾仕入れるために、六尾から選べという意味だった。
「先に床を拭きます」と雨宮。
「魚が先だ」とデレス。
「人が滑れば、魚も踏まれます」
ガルドが魚の入った浅桶を持ち上げ、ユノとトトが床の水を集める。水は青果売場まで流れていた。小芋にかかれば、また発熱する可能性がある。
「魚と小芋を同じ床に置けないな」と宗久。
「普通は置かん」とデレス。
「普通を先に教えてください」
ポルカが余った板で低い囲いを作り、水が青果側へ流れないようにした。受け桶まで細い溝をつなぐ。
「売る前に売場が変わりましたね」とユノ。
「魚が来ないと分からなかった」
計画図では見えなかった水の流れが、本物の魚六尾で初めて見えた。
「残り三尾は?」
「俺が市場へ持って帰る」
宗久、雨宮、ネネ、ユノが状態を確認する。目が澄み、えらが赤く、腹に傷がない三尾を選んだ。
「この三尾です」
「外れだ」
「何が?」
デレスが選ばなかった一尾の口を開いた。喉の奥で、小さな青い石が光っている。
「冷え珠を飲んでる。こいつが一番長く持つ」
見た目だけでは分からない、異世界の魚の鮮度があった。
「先に教えてください」
「魚屋なら知ってる」
「俺たちはスーパーです」
「何屋だ、それ」
宗久は選び直した。
初めての鮮魚販売は、仕入れの前からやり直しになった。
その横で、選ばれなかった一尾が大きく跳ねた。
尾が宗久の頬を打ち、デレスが腹を抱えて笑う。
「まず魚に選ばれたな、店長」
雨宮は笑わず布を差し出したが、肩だけが少し揺れていた。
「笑いました?」
「笑っていません」
「目を見て言ってください」
「魚を先に決めましょう、店長」
頬の痛みより、そちらの方が少し気になった。
足元では、別の魚が桶から跳び出そうとしていた。
「次は押さえてください」
雨宮に言われ、宗久は黙って魚を桶へ戻した。




