魚の缶詰は十缶しか売らない
「魚が来た!」
開店前、リリアが日本からの搬入口で叫んだ。
木箱の中には、銀色の缶が二十八個入っている。前回売り切れた、骨まで食べられる魚の缶詰だった。
「全部並べる?」
「十缶だけです」と雨宮。
「二十八缶あるのに?」
「次の便まで三回営業します。今日全部売ったら、次の二日がゼロになります」
宗久は十缶を棚へ置いた。残り十八缶は倉庫へ運び、営業日ごとの札をつける。
前回、棚へ出した分は昼前に売り切れた。二缶買った客もいる。今回は一人一缶まで。次の販売日も入口に示す。
「売上三倍なのに、売る数を減らすのか」とロアン。
「今日の売上だけなら、二十八缶並べた方がいい」
「なら並べろ」
「明日の客にも来てもらいたい」
缶の隣には、開け方の絵を置いた。前の試験営業では缶切りが必要な商品を売り、開けられない客を出した。今回届いた物は、上の輪を引けば開く。
売場の場所も変えた。
以前は乾麺としょうゆの隣に置いていた。日本から来た商品をまとめたためだ。今回は、デレスの魚売場に近い棚へ移す。
「市場の魚と比べられるぞ」とロアン。
「比べてもらうんです」
缶詰は保存でき、骨まで食べられる。現地の魚は朝に捕れ、身が柔らかく、種類も選べる。同じ魚でも、使う日が違う。
「日本の商品だけ、きれいな棚に置くのはやめましょう」と宗久。
ポルカが余った板で低い棚を作り、魚缶の高さを子どもの目線から大人の腰の位置へ上げた。
「子どもに触らせないためか」とガルド。
「銀色の缶ばかり見て、走ってきますから」
生活用品売場のスポンジを菓子と間違えた時と同じだった。見慣れない形は、それだけで客を引きつける。
ただし、輪を上へ引く絵だけでは足りなかった。
最初の客が、輪を横へねじった。
「取れた」
輪だけが指に残っている。
「売場で開けないでください!」
雨宮の声に、客の手が止まる。
「開け方を試しただけだ」
「買ってからお願いします」
「開かなかったら買いたくない」
もっともだった。
宗久は倉庫から見本用の一缶を出し、実演使用として記録してから台へ置く。輪を起こし、手前へゆっくり引く。蓋が開くと、しょうゆに似た香りが広がった。
「魚が四角い」と子どもが言った。
「切って入ってるんだ」とロアン。
「生じゃないの?」
「火を通してあります」と宗久。
デレスが魚売場から見に来た。現地の魚商人で、冷え石と魚の扱いに詳しい。
「骨も入っているな」
「柔らかくなっていて食べられます」
デレスは一切れを指で崩した。太い骨まで簡単につぶれる。
「魚を長く置けるのは認める。だが、これは俺たちの魚とは別物だ」
「別物として売ります」
「新鮮な魚、と書くな」
「書きません」
デレスは自分の店から、銀青色の魚を一尾持ってきた。まだ尾が動いている。
「こっちは朝、北の川で捕れた。骨は食えない。日が高くなる前が一番うまい」
銀色の缶と、銀青色の魚が並ぶ。
子どもたちは缶より、跳ねる魚へ集まった。
「日本の魚が負けてます」とユノ。
「売場では勝ち負けじゃない」と宗久。
魚缶を買った客が、デレスの魚も指した。
「今日はそっちを焼く。缶は雨の日に取っておく」
保存食が、生魚の代わりに毎日食べられるとは限らない。両方あることで、客が使い分けられる。
「店長、今の客は魚を二つ買ったぞ」とロアン。
「見ています」
「三倍の顔だ」
「どんな顔だよ」
雨宮が笑いをこらえながら売上表へ二つの印をつけた。
缶詰の絵札に、船や川の絵は使わない。火を通した魚、蓋を開けるまで長く保管できる、開けたらその日のうちに食べる。この三つだけを示した。
「開けた残りを明日食べる」と客が言う。
「この町では、開けたあと冷たく保つ箱が家にありません」
「冬なら外へ置く」
「動物が持っていきます」
「窓からつるす」
「落ちます」
「面倒だな」
「一缶を、その日に食べ切ってください」
売る側の都合ではなく、客の家に冷蔵庫がないことを前提に説明を変えた。
朝の鐘から一時間で、七缶が売れた。
八缶目を取ったのは、前回買えなかった少年だった。赤い木札を大事そうに持っている。
「その札は交換券じゃないぞ」とロアン。
「知ってる。銅貨も持ってきた」
少年は会計台に代金を置き、自分で缶を籠へ入れた。
「今日は買えた」
「次も販売日を先に出します」と宗久。
九缶目が売れたあと、棚の前に三人が並んだ。
残りは一缶。
「三人で分ける?」とリリア。
「開けた商品を三つには売れない」
「じゃんけん」とロアン。
「通じるのか?」
この世界にも、指の形で勝敗を決める遊びはあった。ただし、出す形が石、鳥、蛇だった。
三人が同時に手を出す。
全員、石。
もう一度。
また全員、石。
「仲がいいですね」と雨宮。
「知らない人同士だよ!」
三度目で勝った女性が最後の缶を買った。負けた二人には、次回販売日の魚札を渡す。優先券ではなく、忘れないための札だ。
棚が空になる。
「完売!」とリリア。
今回は拍手しなかった。
代わりに『次回も十缶』の札をすぐ出す。
「十七缶残ってるなら、次も十缶は無理じゃない?」とユノ。
「残り二回で分けるなら、次は九缶、その次は八缶です」と雨宮。
「札、間違ってる」
宗久は慌てて外した。
数字を分かりやすくしたつもりで、在庫より先に約束していた。
「次回九缶。最終日は八缶」
リリアが絵を描き直す。
「十缶を売る話だったのに、九缶になった」とロアン。
「見本を一缶開けたからだ」
「見せるのも金がかかるな」
開けた一缶は試食に使った。代金を取らなくても、原価は消える。宗久は実演用として記録した。
魚缶の売上は大きい。だが、日本からの輸送費を入れると、現地の魚より利益は薄い。
それでも置く意味はある。川が濁って魚が来ない日でも売れる。遠い地区の客が、その日に食べず持ち帰れる。店にとっては売上、客にとっては選択肢だった。
「次の便は、もっと増やしますか」と雨宮。
「まず二十八缶を三日で売った記録を見せます。次も同じ数なら、輸送箱の中身を変えなくていい」
「本社は増やせと言います」
「缶詰だけ三倍にしたら、魚屋に怒られます」
「怒るぞ」とデレス。
まだ近くにいた。
「売り切れなのに、儲からない?」とリリア。
「少しは残る。でも、魚缶だけを増やしても三倍には届かない」
必要なのは、現地の魚売場だった。
宗久はデレスへ尋ねる。
「一号店へ、生の魚を納められませんか」
「冷え石を使うならな」
「条件を教えてください」
デレスが三本の指を立てた。
「朝に締めた魚だけ。鐘二つまでに売り切る。残りは俺が引き取らない」
「廃棄は店が持つということですね」
「そうだ。最初は三尾」
「少ないですね」
「十缶しか出さない店に言われたくない」
初めての鮮魚仕入れが動き始めた。
その直後、組合から使いが来た。
ユハンの借金帳に増えていた大銀貨三枚は、使っていない家の修繕費だった。




