客が作った薄切り芋は売れない
薄切りの小芋は、指でつまむとぱりっと割れた。
きつね色の縁に、赤い香辛料がついている。
「食べていい?」
リリアが手を伸ばす。
「待って」
雨宮が布ごと持ち上げた。
「誰が、どこで、いつ作った物ですか」
持ってきた女性は、あきれたように眉を上げた。
「私が、家で、今朝だよ」
「油は?」
「店で買った物」
「香辛料は?」
「市場の赤粉」
「調理した鍋は?」
「うちの鍋まで聞くのかい」
「売るなら聞きます」
女性はマーヤと名乗った。酒場の厨房で働いていたが、子どもが生まれてからは家で料理を作り、近所へ売っているという。
「昨日、小芋を焼いて売ってただろ。薄く切って揚げたら、酒に合った。近所じゃ全部売れたよ」
「それで、一号店にも置きたい?」と宗久。
「客が作った新商品だ。面白いだろ」
「面白いです」
「なら決まりだ」
「今日は売れません」
マーヤの笑顔が消えた。
「なぜだい」
「商品登録も、調理場所の確認も、期限の確認もしていないからです」
「今朝作った。今日中なら平気だよ」
「何を基準に?」
「昔から、そうしてる」
それは経験として大切だった。しかし、一号店が棚へ置けば、マーヤの料理ではなく、一号店の商品として客に見られる。
「試食もしないのかい」
「検査用に一枚だけ、作り方を聞いてから」
宗久は材料を書き出した。
小芋、植物油、赤粉、塩。
小芋は一号店の商品。植物油も許可済み。塩と赤粉は市場で買った物だ。材料そのものに問題がなくても、加工した時点で別の商品になる。
「芋を切っただけだよ」
「パンに肉と白根を挟んだ物も、別の商品として申請しました」
「面倒な店だね」
「よく言われます」
リリアとユノが同時にうなずいた。
マーヤは帰ろうとした。宗久は止める。
「売れないと言ったのは、今日です」
「明日なら売るのかい」
「条件を確認できれば」
営業中のため、厨房確認へは行けない。雨宮が申請に必要な内容を聞き、マーヤが口頭で答える。ユノが絵を添える。
芋を洗う水は共同井戸。切る台は木製。油は三回まで使う。朝に作り、日暮れまでに売れなければ家族で食べる。包みは古紙ではなく、乾燥させた大葉を使う。
「油を三回使ったか、どう見分けます?」と雨宮。
「色だよ」
「暗い厨房でも?」
マーヤが黙った。
「匂いなら分かる」
「マーヤさん以外でも?」
「今は私しか作らない」
本人の感覚だけに頼れば、数量を増やせない。体調が悪い日や、別の人が作る日にも同じ品質を保つ必要がある。
宗久は透明な小瓶を三本出した。一回目、二回目、三回目の油を少しずつ残し、色と匂いの見本にする。使用回数は木札を裏返して数える。
「四回目は?」とマーヤ。
「売る商品には使わない」
「家で食べる」
「それは家で決めてください」
次に問題になったのは値段だった。
マーヤは葉包み一つを銅貨五枚で売りたいという。小芋と油の代金、赤粉、薪、葉、手間を足すと、残るのは銅貨一枚ほど。一号店の販売手数料を引けば、ほとんど残らない。
「銅貨七枚」と宗久。
「高すぎる。近所じゃ五枚で売った」
「五枚で何個作れます?」
「毎日なら十包み」
「十包み作って、手元にいくら残ります?」
マーヤは指を折り、途中で止まった。
「売れた金は数えるけど、薪までは数えない」
「数えないと、売れるほど苦しくなります」
一号店が安く売るために、作り手の手間をただにしてはいけない。ただし、銅貨七枚で客が買うかは分からない。
まず十包み。試食用に二包み。販売は八包みだけ。価格は銅貨七枚。売れなくても、一号店が八包み分を買い取る。代わりに、決めた作り方と保管方法を守る。
「八つしか置かないのかい」
「最初は」
「小芋も最初は三袋だった」
エダンが横から口を挟んだ。次回の注文書を受け取りに来ていた。
「今度は四袋だ」
「一袋しか増えてないじゃないか」
「一袋も増えた」
マーヤが吹き出した。
「あんたも面倒な店につかまったね」
「紙の内容は変わらない」
「それはいい店だ」
薄切り芋は、その日の商品にはならなかった。
「持ってきた分はどうするんだい」とマーヤ。
布の上には、最初に見せた薄切り芋がまだ残っている。売れないからといって、勝手に客へ配ることもできない。一号店の中で渡せば、試食と受け取られる。
「検査用の一枚以外は、持ち帰ってください」
「店の外なら売っていい?」
「一号店の商品だと思われる場所では困ります」
「道の向こうなら?」
宗久は入口から通りを見た。店の列へ向けて売れば、場所が少し離れていても同じだった。
「今日は持ち帰ってください。正式に契約できたら、店の棚で売ります」
「売れる客が目の前にいるのに」
「だから、今日だけで終わらせたくないんです」
マーヤは布を包み直した。納得した顔ではない。
「明日、家を見に来るんだね」
「閉店後に行きます」
「逃げると思ってないかい」
「住所を知りませんから、少しだけ」
「正直すぎるよ」
マーヤはとうとう笑った。
代わりに、マーヤが客の前で作り方を見せた。販売ではなく、小芋の食べ方紹介として、店が材料費と手間賃を払う。完成品は検査用を除き、その場で無料試食にした。
油の中で、薄い芋が反り返る。淡い黄色がきつね色へ変わり、泡が小さくなったところで引き上げる。赤粉を振ると、客が一斉に身を乗り出した。
「絵になる」と雨宮。
「何がです?」
「売場です。今までで一番」
宗久が隣を見ると、雨宮は鍋ではなく、試食を待つ子どもたちを見ていた。
一枚食べたロアンが、すぐ二枚目へ手を伸ばす。
「一人一枚です」
「小さい」
「全員、小さいです」
八十枚の試食は、鐘が鳴る前になくなった。
最後の一枚を引いたのは、ヴァルドだった。
「白根でも作れるか」
「薄く切れば」とマーヤ。「でも水が多いから、同じにはならないね」
「なら、白根は白根で作れ」
「注文かい?」
「試せと言ってる」
小芋の商品が、既存の仕入れ先を押しのけるのではなく、新しい料理を生む。宗久は二人のやり取りを聞きながら、献立札へ『白根でも試作』と書き足した。
「商品を増やす前に、また仕事を増やしましたね」と雨宮。
「一回だけです」
「一回で終わる顔ではありません」
宗久は自分の顔を触った。
「どんな顔ですか」
「売場が広がる時の顔です」
雨宮が先に歩き出したため、それ以上は聞けなかった。
買いたいと答えた客は二十三人。銅貨七枚でも買うと答えたのは十五人。八包みなら、多すぎない。
閉店後、マーヤの家へ調理場所を確認しに行くことになった。
「店長と私で行きます」と雨宮。
「今日は遅番ですよね」
「閉店後の確認も勤務です。明日は遅く来ます」
「忘れてませんね」
「休憩の次は休日。休日の次は勤務時間です」
少し得意そうに言う雨宮を見て、宗久は笑った。
マーヤの家へ向かう途中、二人はエダンの畑の脇を通った。
薄暗い畑に、赤い光がいくつも浮いている。
「葉が光るとは聞きました」と雨宮。
「あんなに強く光るとは聞いてない」
畑の中央で、土がゆっくり盛り上がった。
次の瞬間、地面の下から大きな音がした。
小芋を植えた畑が、呼吸するように動いていた。




