本社の売上目標は三倍
「三倍は無理です」
雨宮が、本社の評価表を通信機へ押し返した。
紙は戻らず、床へ落ちた。
『正式出店を判断するには、成長性が必要だ』
榊の声はいつもどおり落ち着いている。
「現在の一日平均売上を三倍にする根拠は?」
『取扱商品は十八品から二十九品へ増えた。単純計算でも一・六倍。惣菜による客単価上昇、新規客の増加、日本商品の追加を考慮した』
「残り一日で?」
『目標達成を求めているわけではない。将来、到達できる計画を示してほしい』
「評価表には次回営業目標と書いてあります」
通信機の向こうで、紙をめくる音がした。
『記載が不正確だった。十四日間の結果報告時に、中期目標として提示してくれ』
「中期とは何日ですか」
『三か月だ』
「先に書いてください」
雨宮は赤字で訂正し、榊へ読み上げた。
三か月以内に、一日平均売上を現在の三倍へ近づける計画。未達だけを理由に撤退しない。地域商業との契約、安全基準、供給量を無視して達成しない。
『最後の一文は必要か?』
「必要です」と宗久。「売上のために日本商品を大量に持ち込めば、セドルが恐れたことを会社が本当にやることになります」
『本社も市場を破壊したいわけではない』
「なら書けます」
榊は少し黙ったあと、承認した。
問題は、どう三倍へ近づけるかだった。
「客数を三倍にする」とロアン。
「今でも開店時は整理札を使っています」と雨宮。「一度に入れる人数は増やせません」
「営業時間を三倍」とリリア。
「店員が倒れます」
「商品を三倍にする?」
「廃棄も増える」
全員で売場を歩き、伸ばせる部分を探した。
雨宮は一日を、開店直後、昼前、昼過ぎ、閉店前に分けた。売上だけでなく、仕事着、家族連れ、子どもの使いといった客の違いを見る。
「名前を取るんですか」と宗久。
「取りません。個人を追うのではなく、時間帯ごとに必要な商品を考えます」
朝は家庭の買い物。昼は職人と荷運び人。夕方は仕事帰りと子どもの使い。肉白根パンを朝に全部作らず、十個だけ作って残りは昼前に調理する。
「昼の方が温かい」とネネ。
作業時間も分散できる。売上三倍という一つの数字を、客数、購入点数、欠品、時間帯へ分けて考えた。
三か月の計画も一か月ごとに区切った。最初は欠品と廃棄を減らす。二か月目は鮮魚、卵、乳製品を加える。三か月目に営業日と来店地域を広げる。品数だけを急に増やさない。
朝の客は青果とパン。昼は肉白根パンと乾麺。夕方は売れ残りを気にする客が増え、生活用品は一日を通して動く。
「来店数より、一度の買い物を増やせます」と雨宮。「平均購入点数は、初日一・八点。現在は二・四点です」
「食事を一つ作れる組み合わせを増やそう」と宗久。
薄切り肉、白根、植物油。パン、缶詰、葉野菜。乾麺、しょうゆ、香り草。
商品を近くへ置き、三つ買えば何が作れるかを絵で示す。値引きの組み合わせではない。使い方の提案だ。
「肉を売るために、白根を使う?」とグレン。
「白根を売るために肉も使います」
「どっちが主役だ」
「食べる人が決めます」
グレンは納得したような、していないような顔をした。
次に、買えなかった客を確認する。
乾麺は購入制限。缶詰は缶切り不足。肉白根パンは二十個で完売。現地布巾も売り切れた。
「売り切れを減らすだけでも上がります」と雨宮。
「乾麺は急に増やさない。現地麺の試作を始める。肉白根パンは二十五個。布巾は十五枚」
「しょうゆは?」
「十本」
二十七人の購入希望がある。それでも十本から始める。実際の値段を見て買う人数を確かめるためだ。
「三倍にならないぞ」とロアン。
「一回で三倍にしない。売れた理由が分かる商品を一つずつ増やす」
売上を増やすため、新しい客も必要だった。
店から遠い西地区と南地区の住民は、来店者が少ない。場所を知らない者、荷車がなく商品を持ち帰れない者、入店方法が分からない者がいる。
「配達しますか」と雨宮。
「まだ早い。住所も道も分からない」
「市場へ出張販売」とロアン。
「組合の場所を奪う」
「店を知ってもらうだけなら?」
商品を売らず、使い方の実演と案内札を市場へ出す。市場で商品を買い、一号店の調味料と組み合わせる料理を見せる。ヴァルドやボルツの店も案内に入れる。
「一号店だけの宣伝ではありません」と宗久。「この店で何がそろい、市場で何が買えるかを一枚にします」
「客を市場へ返す店か」とヴァルド。
相談に呼ばれた保証人は、案内図を見た。
「お前の店だけで何でもそろうと言ったのでは?」
「今は二十九品しかありません。ない物をあるようには言えません」
「三か月後は?」
「店でそろう物は増えます。それでも専門店にしかない物は残ります」
「本社は納得するか」
「売上が増えれば」
「増えなければ?」
「別の方法を考えます」
ヴァルドは鼻で笑った。
「また、分からないか」
「まだ試してませんから」
十四日間、最後の営業日。
売場には、三つの商品を組み合わせた献立札を出した。肉白根パンは二十五個。現地布巾は十五枚。日本のスポンジは追加せず、残り三個だけ。
開店直後の客数は、前回より少なかった。
「失敗?」とリリア。
「まだ始まったばかりだ」
朝の鐘から一時間後、肉、白根、油を同じ籠へ入れる客が増えた。献立札を指さし、作り方を聞いている。
昼には肉白根パンが完売。乾麺は一人二袋のまま、前回より五袋多く売れた。しょうゆ十本は、夕方までに九本売れた。
スポンジは一個も売れなかった。
「残り三個です」とユノ。
「次の発注はゼロ」と宗久。
「日本に返す?」
「店で使う。無理に売らない」
閉店後、売上を集計する。
一日平均の一・四倍。三倍には遠い。それでも、来店数はほぼ同じで、購入点数と客単価が上がった。廃棄は肉白根パン一個。全員が休憩を取った。
「営業としては黒字です」と雨宮。
「門の費用を入れると?」
「今日だけなら、まだ少し赤字です。ただし開店準備費を除いた十四日間合計は、初めて黒字になりました」
リリアとユノが歓声を上げた。ロアンは数字を自分で確かめ、ガルドはよく分からないまま二人につられて拳を上げた。
翌日、組合へ最終報告を提出した。
営業継続。取扱商品二十九品。重大事故なし。偽商品事件は犯人側の責任を認定し、店の再発防止策も実施。農家、肉商、パン職人、雑貨商への支払い遅延なし。
採決は、賛成九、反対一、保留二。
「三十日間の営業許可を与える」とバルガス。「営業日は週三日まで。商品追加は従来どおり申請制とする」
正式開店ではない。それでも、一日だけの試験営業から、週三日の店になった。
会議室を出ると、雨宮が許可証を宗久へ渡した。
「三か月で売上三倍。どうしますか」
「売場を増やします」
「次は?」
「魚と、毎日食べる物。それから、毎日使う物」
「具体的には?」
「鮮魚、乳製品、卵、惣菜、調味料。生活用品は紙と掃除道具」
話している途中、宗久は許可証の裏に小さな文字があることに気づいた。
『日本側企業の代表者は、次回審査へ出席すること』
榊でも、宗久でもない。
異世界出店を決めた本社の役員が、初めてリーベルへ来る。




