スポンジは菓子ではない
「吐き出してください!」
宗久が駆け寄ると、客は黄色いスポンジを口から出した。
一口かじられている。飲み込んではいない。
「口を水ですすいで。リリア、治療師を呼んで」
「食べ物じゃないの?」
「台所を洗う道具です」
「甘い匂いがした」
日本のスポンジには、洗剤を含ませた商品もある。試験用に届いた物は無香料のはずだった。
袋を確認すると、隣に置いた固形石けんの香りが移っている。食べ物ではない絵札は棚の下へ落ちていた。
「誰かが外した?」とロアン。
「留め具が緩んでいます」と雨宮。「商品を取るときに当たって落ちた可能性があります」
また妨害だと決めつける前に、売場を確認する。
札は紐で棚へ結んでいたが、客が商品を引き出す側と同じ場所を通っている。スポンジを一つ取るたび、紐が擦れる作りだった。
「店の置き方が悪い」と宗久。
客は水ですすいだあと、治療師の確認を受けた。口の中に傷はなく、飲み込んでもいない。しばらく店内で様子を見る。
「治療費を払え」と本人。
「店で負担します。売場表示が外れていました」
「菓子だと思って買ったんだ」
「会計は?」
雨宮が尋ねる。
「まだだ」
「未会計の商品を食べないでください」
「試食だと思った」
「試食には木串と試食札があります」
客の勘違いと、店の表示不備。どちらか一方だけが原因ではなかった。
「食べ物と生活用品を、棚一つ分離します」と宗久。「間に空の棚を置く」
「空の棚はもったいない」とロアン。
「口へ入るよりいい」
生活用品の棚には青い布を敷き、すべての値札へ水桶の印をつけた。食べ物側は白い布。床にも青い線を引く。
スポンジは透明な箱へ入れ、見本だけを鎖で棚へつないだ。客が勝手に口へ運べないが、触り心地は確かめられる。
「柔らかいから、やっぱり菓子みたい」とリリア。
「食べないでください」
「食べないよ」
少し間があったので、宗久は見本をリリアから回収した。
日本の固形石けんも、現地の獣脂石けんも、袋へ入れて香りが漏れないようにした。説明札には、手、布巾、皿を洗う絵を並べる。
「全部同じ石けんなの?」と客。
「使う場所が違います」
ネネが、油を塗った木皿を三枚持ってきた。
一枚は湯だけ。二枚目は現地の獣脂石けん。三枚目は日本の固形石けんで洗う。
湯だけでは脂が残る。獣脂石けんはよく落ちるが、香りが強い。日本の石けんは泡が出るものの、この街の水では脂が少し残った。
「日本の方が高いのに、落ちないじゃないか」と客。
「この水では、油汚れに現地品の方が向いています」
宗久が答えると、客が驚いた。
「売りたい品を悪く言うのか」
「悪いのではなく、向いている場所が違います。日本の石けんは香りが弱いので、手洗いには使いやすい」
リリアが両方で手を洗った。獣脂石けんは手へ香りが残る。日本の石けんは泡切れが遅いが、乾けばほとんど匂わない。
「料理する前は、こっち」
リリアは日本の石けんを選んだ。
「服を洗うなら?」
「現地の方」
客は獣脂石けんを二個、日本の石けんを一個買った。
どちらかを売るために、もう一方を下げる必要はない。用途を分ければ、同じ売場に置ける。
日本のスポンジは、最初の一時間で一個しか売れなかった。
「触る人は多いのに」とユノ。
「何に使うか、まだ分かりにくいんだ」と宗久。
ポルカが食器を洗う様子を見ていた。
「これは、鍋の煤には弱い」
「固い面もあります」
裏側の研磨面で擦ると、木皿には細かな傷がついた。
「木には使わない方がいいですね」
「じゃあ何を洗う?」
「金属鍋と、保存容器」
この街の家庭では、金属鍋を持つ家は多くない。対象となる客が少なかった。
「日本で売れている物が、ここでも売れるとは限らない」と雨宮。
「次の発注は止めましょう。残り四個が売れてから」
「本社へ理由を書きます」
使用対象が少ない、現地の水と食器に合わない、食べ物と誤認される。売れない理由は三つあった。
代わりに現地の布巾が売れた。
客からは、冬に布が乾かない、灰で手が荒れる、獣脂石けんを鼠がかじるという話も出た。
「鼠が石けんを食べるの?」とリリア。
「獣脂だからな」とロアン。
ポルカが、濡れた石けんを乾かしながら鼠を防ぐ蓋つき木箱を試作した。底へ穴を開けただけでは石けんが張りつき、二作目では底を斜めにした。
「いつ売る?」
「七日使って、割れないか、乾くか、洗えるか確かめてから」
腐らない生活用品でも、売る前の確認は必要だった。
試作品には商品札ではなく、赤い「販売前」の札をつけた。客が欲しいと言っても、その場では売らない。完成を急いで事故を起こせば、スポンジの表示ミスと同じことを繰り返す。
売れる前に、まず使える物にする必要がある。
布巾を納めた雑貨商の女は、完売を聞いてすぐ店へ来た。
「次は三十枚持ってくる」
「十五枚でお願いします」
「売り切れたんだろ」
「肉屋と魚屋がまとめて買った分が六枚あります。毎回同じ人が来るとは限りません」
「二十枚」
「十六枚。売り切れたら次を十八枚にします」
「細かい男だな」
「よく言われます」
十六枚で契約した。ロアンが交渉額と仕入れ値を記録する。
「店長、負けた?」
「一枚分だけな」
一度だけ三十枚買うより、十六枚を継続して買う方が生産者にも店にもよい。
石けんの購入者にも用途を聞いた。獣脂石けんは洗濯と鍋。日本の石けんは調理前の手洗いと、香りを嫌う宿屋に選ばれている。
「宿屋へ売りに行く?」とユノ。
「商品を抱えて押し売りには行かない。使い方の見本だけ持って、店を案内する」
宿屋組合の会合で、二種類の手洗い比較を見せる許可を取ることにした。
吸水量の違いを見せると、肉屋や魚屋がまとめて買っていく。十枚すべてが昼までになくなった。
「布巾を増やすと、また八百屋から遠くなるな」とロアン。
「遠くなっていい。スーパーだから」
宗久は生活用品の棚に、次回入荷の札を出した。
午後、治療師から報告が届く。スポンジをかじった客に異常はない。
安心した直後、雨宮が売上表を持ってきた。
「肉白根パン二十個、布巾十枚、石けん十二個。新商品は動いています」
「スポンジは一個」
「それも記録します」
「全体では?」
「前回より売上は増えました。ただ、調理の人件費と警備費を入れると、まだ赤字です」
商品を増やせば、作業も増える。売上だけを見て喜べない。
「次は何を減らします?」
「商品じゃなく、同じ作業を二度やっているところを探そう」
宗久が答えると、雨宮は勤務表を開いた。
開店準備から閉店作業まで、全員の仕事を書き出す。
売上が増えた分だけ、見落としていた負担も増えていた。
そこで、誰も休憩を取っていないことが分かった。




