切られた荷車を追いかける
「ヴァルドの店へ行く気か」
ロアンが聞いた。
「先に車輪跡を追う」
赤胡椒を踏んだ跡は、石畳に赤い半月を残していた。宗久、ロアン、ガルドの三人で西通りへ走る。
雨宮は店へ残した。全員で追えば、今度は店が空になる。
跡は香辛料市場の前を通り過ぎ、古い倉庫街へ続いていた。
市場の入口で、ロアンは赤胡椒を扱う露店を一軒ずつ見た。粉の色は似ていても、粒の細かさが違う。
「この辺の胡椒は粗い。車輪についてるのは、ヴァルドの店で挽いた粉だ」
「見ただけで分かるのか」
「親父の店でも使ってる。ヴァルドの粉は石臼を二回通す」
露店の主人にも聞く。朝早く、空の荷車を引く男二人がヴァルドの店先で止まり、車輪へ粉袋をぶつけたという。
「わざと踏んだように見えたか?」
「袋を落として怒鳴ってた。わざとには見えなかった」
目印を残すためではなく、偶然ついた可能性が高い。犯人がヴァルドへ疑いを向けるなら、もっと分かりやすく粉をまいたはずだ。
「急ぎましょう」と宗久。「切れた車軸で走っているなら、追いつく前に事故が起きる」
ガルドが荷車の通れる道を選び、ロアンは近道の路地を確認した。宗久は息を切らしながら二人を追った。スーパーの新店準備で、荷車泥棒を追うことになるとは思わなかった。
「ヴァルドの店で粉を踏んだだけか」とロアン。
「客なら誰でも踏める」
書き換えられた契約書に使われたインクと同じだ。ヴァルドへつながる物ばかり使われるが、本人だと断定できない。
倉庫街の入口で、跡が二つに分かれた。片方は切られた車軸のため、わずかに蛇行している。
「こっちだ」
ガルドが地面へ顔を近づける。大柄な体に似合わず、跡を読むのが速い。
「分かるのか」
「車輪じゃない。白根が落ちてる」
道端に、小さな白根が一本転がっていた。グレンの荷車に残っていた物らしい。
跡の先から、木が裂ける音がした。
坂を下る荷車の左車輪が外れ、横倒しになる。引いていた男二人が飛びのき、荷台が石壁へぶつかった。
「止まれ!」
ガルドが先に追いついた。一人は路地へ逃げ、もう一人は倒れた荷車の下敷きになっていた。
「追うな!」
宗久はロアンを止めた。
「でも逃げる!」
「こっちが先だ」
荷車の下から男の脚が出ている。三人で荷台を持ち上げ、引きずり出した。足首が不自然な方向へ曲がっていた。
「俺を助けるのか」
「治療師を呼ぶ。ガルド、頼む」
男は逃げようとしたが立てない。ロアンが車軸を拾い、切り口を見せた。
「これを盗んだのは、お前か」
「頼まれただけだ」
「誰に」
「知らない」
「知らない相手の頼みで荷車を盗むか」
「前金をもらった」
男の懐から銀貨三枚と、赤い糸を通した木札が出てきた。札には、倉庫番号らしい数字だけが彫られている。
「乾麺を十袋買った男を知ってるか」
宗久が聞くと、男は目をそらした。
「酒場で一度見た。俺たちへ仕事を持ってきたのは、あいつだ」
「名前は?」
「知らない。右耳が半分ない」
実行役は捕まえたが、依頼人は別にいる。
治療師と警備隊が到着し、男と荷車を引き渡した。逃げた一人の特徴も伝える。
警備隊長は、宗久たちが勝手に追跡したことへ先に怒った。
「異邦人の店長が倉庫街で怪我をすれば、商人同士の争いでは済まん。門を閉じろという話になる」
「すみません」
「次から、跡を見つけた時点で知らせろ」
「待っていたら、荷車が坂へ入っていました」
「だから追ったことが正しいとは言っていない」
言い返せなかった。
下敷きになった男は、治療師が添え木を当てる間も宗久を見ていた。
「俺が怪我をして、満足か」
「荷車を盗まなければ怪我をしなかったとは思います」
「助けたくせに」
「目の前で潰れている人を放っておく理由にはならない」
男は理解できないという顔をした。
「依頼人は、お前たちを悪い店に見せたいだけだ。殺せとは言われていない」
「車軸を切れば、グレンさんが死ぬ可能性はあった」
「切ったのは俺じゃない」
「切った者を知っていますか」
「右耳の男が、自分でやったと言っていた」
「使った鋸は?」
「西倉庫にある」
警備隊長が証言を記録し、男の指印を取った。宗久たちだけで聞いた話にしないためだ。
「乾麺の男は、店のことを何と言っていた?」
ロアンが尋ねる。
「市場を壊す店だと。今のうちに失敗させれば、商人も農家も助かると言っていた」
ヴァルドが審査で語った危惧と似ている。だが、店を監視するのと、人が乗る荷車を壊すのは違う。
「ほかには?」
「異邦の品は高く売れる。店が消えたあとなら、残った物を好きな値で売れるとも言っていた」
市場を守るという言葉の裏に、転売の利益がある。
店へ戻る頃には昼を過ぎていた。
雨宮が入口で待っていた。
「無事でよかったです」
いつもの事務的な口調だったが、宗久の腕と顔を一度ずつ確認した。
「追ったのは荷車です」
「荷車は怪我をさせません。人がさせます」
「すみません」
「次は先に警備隊へ知らせてください」
叱られているのに、少しだけ安心した。
捕まえた男の証言と木札は、ヴァルドにも見せた。
「赤い糸も、私の店で袋を縛る物だ」
「またですか」
「私を犯人にしたい者か、私を怒らせたい者だ」
「心当たりは?」
「多すぎる」
ヴァルドは木札の番号を指でなぞった。
「これは西倉庫の貸し区画だ。商人章がなければ借りられない」
「誰が借りているか分かりますか」
「組合の台帳を見ればな」
番号の区画を借りていた名義は、三年前に死んだ香辛料商だった。
台帳の貸出欄には商人章の印影もあった。ヴァルドが自分の章を隣へ押す。外枠は似ているが、赤い石を示す三点のうち一つが欠けていた。
「古い私の章を写したな。二年前に石を一つ増やしている」
「指輪と同じ三つですか」
「三つ目は父の店を継いだ印だ」
偽造者は最近の商人章を直接見ていない。古い契約書か台帳から写した可能性がある。
「組合の書庫に入れる人間は?」
「組合員と書記。だが、古い契約書は商人の控えにもある」
候補はまだ多い。それでも、いつでも出入りできる人物だけに絞る必要はなくなった。
雨宮は偽の印影を紙へ写さず、台帳の頁ごと封をした。
「持ち出さないのか」とロアン。
「写しを作れば、その写しが正しいかという話になります。台帳は組合で保管し、確認者の名前を残します」
契約書改ざんで覚えた手順が、ここでも役に立った。
確認に立ち会ったバルガス、ヴァルド、雨宮、宗久の四人が台帳の封へ印を重ねた。一人だけでは開けられない形にし、次に確認するときも全員の立ち会いを必要とした。
証拠を、もう簡単には持ち去らせない。
名義が偽造されている。
「契約書を書き換えた者と同じかもしれない」とロアン。
「決めつけるな」とヴァルド。「だが、文字と印の偽造に慣れた者だ」
倉庫を調べる許可が出るまで、二日かかる。
次の継続試験営業は、その前日だった。
「延期しますか」と雨宮。
宗久は新しく届く肉とパンの契約書を見た。ここで止めれば農家だけでなく、肉屋とパン職人にも損が出る。
「予定どおりやります。ただし納品は全車両を点検。警備隊に店外を見てもらう」
「犯人が客へ何かしたら?」
「入店札を受け取るとき、顔を確認する。右耳が欠けた男が来たら知らせる。店員だけで捕まえない」
翌朝、パンと肉は無事に届いた。
ところが、試作用の薄切り肉を開くと、十食分のうち四食分が黒く変色していた。
「また妨害か」
ロアンが言う。
ネネは肉の匂いを嗅ぎ、首を振った。
「違う。これ、冷やしすぎ」
今度の失敗は、犯人ではなく店の運び方にあった。




