缶詰を買っても開けられない
「鉄の箱を売って、開ける道具はないのか」
老人の一言に、試食台の周りから笑いが起きた。
宗久は否定できなかった。
二十四個の魚の缶詰。売価も説明札も用意した。原材料、味、保存方法まで書いた。それなのに、食べるために必要な缶切りを忘れていた。
「日本へ取りに戻ります」と雨宮。
「往復して、申請と消毒をしたら一時間はかかる」
「今、開ける必要がありますか」
缶詰はまだ一個も売れていない。だが、買った客が家で開けられなければ、明日には「食べられない鉄を売る店」になる。
「販売を止めよう」
宗久は缶詰の値札を裏返した。
「開ける方法を用意できるまで売りません」
「一個、切ればいい」
ポルカが腰の道具袋を開いた。細い鑿を缶の蓋へ当てる。
「金属片が入ります」
雨宮が止めた。
「外側も汚れています。食べ物の近くで使わないでください」
ポルカは不満そうに鑿を戻した。
客の一人が短剣を抜き、蓋へ突き立てようとした。ガルドが腕をつかむ。
「店で刃物を抜くな」
「開けてやろうとしただけだ」
「気持ちだけもらいます」
宗久は缶を回収した。
日本から缶切りを取り寄せる間、缶詰を売る棚には「本日販売中止」と現地語で書いた札を置いた。文字を読めない客のため、缶の上へ大きなばつ印も描く。
「ばつって何?」とリリア。
「売れない印」
「この街では、墓につける印に似てる」とロアン。
慌てて、ばつ印を布で隠した。代わりに空の手を描く。リリアは「何もない人」に見えると言い、ポルカが蓋を閉じた箱の絵へ直した。
印一つでも、この世界では意味が違う。
缶切りが届いたのは、昼の鐘が鳴る直前だった。
本社は一本しか送ってこなかった。
「商品として売る分は?」
『依頼は缶切り一個だった』と榊。
「一本あれば、二十四個の缶詰をどうにかできると思ったんですか」
『店で開ければいい』
「客が家で食べたい場合は?」
通信機の向こうで紙をめくる音がした。
『次便で手配する』
「今日は?」
『店頭で開封サービスを行えばいい』
開けた缶詰は、持ち帰る間に汁がこぼれる。保存もできない。宗久は販売条件を決めた。
今日は店内の休憩場所で食べる客にだけ販売する。持ち帰り販売はしない。開封は店員が行い、切り口には触れさせない。清潔な蓋つき容器を持つ客への対応は、容器を確認してから個別に判断する。
「休憩場所なんてありましたか」と雨宮。
「今から作ります」
ポルカが空箱を裏返して机にし、壁際へ長椅子を二脚置いた。手洗い用の水桶と布も用意する。缶切りは熱湯で洗い、使うたびに汚れを拭く。
最初に買ったのは、さっきの老人だった。
「高いぞ」
「はい」
「まずかったら返す」
「開けたあとの返品はできません」
「強気だな」
「先に言っておきます」
雨宮が会計を済ませ、宗久が缶を開けた。
金属の蓋が外れ、しょうゆ色の魚が見える。周囲の客が一斉に首を伸ばした。
「魚の匂いだ」
「鉄の匂いじゃない」
老人は木匙で一口食べた。長く噛み、もう一口食べる。
「甘い」
「しょうゆと砂糖で味をつけています」
「骨は?」
「柔らかく煮てあるので、食べられます」
老人は背骨まで口へ入れた。
「歯がなくても食えるな」
その一言で、見ていた客が値札を見直した。
二個目は、幼い子を連れた母親が買った。三個目は、歯の悪い夫へ持ち帰りたいという女だった。
「今日は持ち帰れません」
「皿へ移せばいい」
「家までどのくらいです?」
「通り二つ」
蓋つきの壺を持っている。宗久は魚を壺へ移し、その場で食べ切るよう説明した。誰にでも同じ対応はできない。持ち帰り容器の基準も必要になる。
昼過ぎまでに、缶詰は八個を開け終えた。
売るたびに宗久が開けるので、その間は売場を見られない。雨宮も会計から離れられない。
「開け方を覚える」とネネ。
「切り口が危ない。まず練習しよう」
空になった缶で試す。ネネは力を入れすぎ、缶切りの刃を蓋の中央へ突き刺した。二度目は缶をへこませた。三度目で、縁に沿って開けられた。
「魚をさばくより面倒」
「慣れれば早い」
「魚なら刃が逃げない」
「缶詰も逃げません」
「滑る」
作業台へ濡れ布を敷くと、缶が動かなくなった。ネネは五個目から宗久より速く開けた。
ロアンは売れた缶の数を記録しながら、空の缶を見た。
「これ、食べたあとも使えるな」
「縁で手を切るぞ」
「潰して板にすれば、屋根の穴を塞げる」
客も同じことを考えたらしく、空き缶を持ち帰りたいと言い始めた。
「商品代には容器も入っています」と雨宮。「買った人の物です。ただし、切り口へ布を巻いてください」
魚だけでなく、丈夫な金属容器にも価値がある。この世界へ持ち込む商品の見方が、日本とは違っていた。
缶詰の販売を再開して二時間。残りは九個になった。
「数が合いません」と雨宮。
「八個を開けて、開封待ちが七個なら、残り九個で合う」
「会計済みは十五個です。そのうち七個が開封待ちです」
休憩場所を見る。
客が列へ並べた缶の中に、会計を通していない物が混ざっていた。
「誰が棚から持ってきた?」
七人が互いの顔を見る。
一人の少年が、そっと出口へ向かった。
その前へ、ガルドが立った。




