第5話 生殺しのアシュ
その時だった。
こんこん、と部屋の扉がノックされる。
「リリスさん、面接中にすみません。もし可能なら、お伝えしたいことが」
聞こえてきたのは、さっきの男──キースの声だった。
リリスは特に気にした様子もなく、扉の方へ目を向ける。
「大丈夫。ちょうど終わったところよ」
「失礼します」
扉が開き、キースが部屋へ入ってくる。
相変わらず、隙のない身なりに、隙のない胡散臭さだ。こちらへ一瞥をくれたその目は、歓迎とは程遠い。まるでハエでも見るかのような、露骨に冷めた視線だった。
そんな視線をものともせず、リリスはあっさり告げた。
「ちょうど良かったわ。彼、採用したから」
「……そうですか」
キースはぴくりとも表情を変えなかったが、声の奥にはわずかな棘が混じっていた。
「まあ、協会側の縁故もあるようですし。代表のご判断なら、私は何も申しませんが」
ちらり、と一度こちらを見る。
言い方こそ穏やかだが、目はまったく穏やかではない。つくづく嫌味な男だ。
だが、リリスの次の一言で、そんな空気は一瞬で吹き飛んだ。
「それと、彼を四天王の第四席にするけど、いいわね?」
「は?」
素の声だった。
キースの眼鏡の奥の目が、はっきりと見開かれる。
アシュも、内心では同じ顔をしていた。
いや、自分はもう聞かされていたが、第三者に至極まともな反応をされると、改めてその無茶苦茶さに驚かされる。
「……今、何と?」
「だから、第四席。ちょうど空いてるし、実力的にも問題ないわ」
「問題しかないでしょう」
今度はきっぱりと言い返された。
キースは一歩前へ出て、先ほどまでの冷静さとは打って変わって、感情を隠さずに続ける。
「四天王ですよ? ただの高ランク構成員じゃない。組織の看板であり、内外への象徴です。今日来たばかりの、経歴不明の男をいきなりそこへ据えるなんて、どう説明するつもりです?」
「何度も言わせないで。実力は問題なしよ」
「問題大ありです。少なくとも私には、彼が第四席に値するほどの何かを持っているようには見えませんが?」
「それは、あなたの見立てでは、彼が弱いということ?」
リリスが不敵な表情のまま返す。
「ええ。では、はっきり言わせていただきます。私の能力はご存知ですよね? その私の目から見て、彼は単なる無能です。四天王どころか、上位戦闘員にすら及びません」
キースの言葉は容赦がなかった。
そこまで言うか、とアシュはさすがに少しだけ眉をひそめる。
だが、リリスはまるで気にした様子もなく、ふと思いついたようにこちらへ視線を向けた。
「……だそうだけど。あなたも何か言ったらどうかしら」
そして、にこりと微笑む。
「“生殺しのアシュ”」
突然、とんでもない二つ名が告げられた。
アシュは固まった。
キースも固まった。
部屋の空気まで固まった気がした。
「あ、いや。俺は……」
思わず抗議しかけた、その瞬間だった。
リリスが笑顔のまま、ものすごい剣幕で睨みつけてくる。
顔は笑っているのに、怖い。
いや、笑っているからこそ余計に怖い。
あれは「合わせなさい」の目だ。
逆らうな。空気を読め。今この場で乗れ。
そう言っている。
無茶だろ。
そうは思ったが、もう腹を括るしかなかった。
「へ、へへ……」
とりあえず笑ってみる。
慣れない笑い方をしたせいで、妙な濁り声が出た。
だが、それがかえって不気味さを増したのかもしれない。少なくとも、まともではなかった。
「さ、さすが夜帷の代表様だぜぇ……。俺の本性を、こうもあっさり見抜くたぁなぁ……」
そこで、ぎこちなく舌を出す。
ついでに目をひん剥いて、キースを見た。
「その点、あんたの目は節穴かよォ、キースさん?」
鏡がないので、自分が今どんな顔をしているのか分からない。
だが。
「……ぷっ」
リリスが吹いた。
あのリリスが、思わず噴き出したのだ。
つまり相当ひどいのだろう。
キースに至っては、嫌味も忘れて完全に困惑していた。
「……あなたは、何を言ってるんですか」
しかも次の一言がこれだった。
「大丈夫ですか?」
心底、心配している顔である。
やめろ。哀れむな。そんな目で見るな。
アシュは心の中でそう叫んだが、ここまで来たら後戻りはできない。
ならば、押し切るしかない。
「あぁ? 分かんねぇのか? これが俺の本性さ。面接さえ通っちまえば、もう隠す必要もねぇ」
「そうそう。それがアシュの本性よ!」
リリスが満面の笑みで援護してくる。
「あの。とても無理をされているように見えますが。……リリスさんに、また無茶な要求でもされましたか?」
さっきまでゴミでも見るような目を向けてきたキースが、今度は本気で心配するような顔をしている。
この様子からして、ボスの無茶振りは日常茶飯事なのだろう。
だが、ここで引くわけにはいかない。
──刹那。
アシュの手が、机の上のボールペンをさらった。
次の瞬間には、そのペン先がキースの首元へぴたりと突きつけられていた。
「──っ」
キースの息が止まる。
リリスも、さすがにわずかに目を見開いた。
二人とも、反応できていない。
それほどまでに速かった。
空気が一瞬で変わる。
先ほどまでの茶番じみた空気が、張り詰めたものへと塗り替わる。
アシュはそのまま、低く笑った。
今度はさっきより、少しだけ自然に。
「おいおい。これが俺の愛用のナイフだったら……先輩、今ごろ首から血ぃ噴き上げて死んでるぜ?」
ペン先を首に添えたまま、キースを見下ろす。
「とにかく。俺が今日から、夜帷四天王第四席──“神速のアシュ”だ」
それから、わざと口元を吊り上げた。
「よろしくな、センパイ」
キースは困惑したまま、視線だけをリリスへ向ける。
助けを求めるような、抗議するような、なんとも言えない目だった。
その視線を受けてリリスは。
にこにこと、実に満足そうな笑顔で頷いた。
「ええ、完璧ね。“生殺しのアシュ”」
全然完璧ではない。
せめてもの抵抗で二つ名の変更を願い出たつもりだったが、それもあっさり却下されたらしい。
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