第2話 今さら、俺にリクルート活動をしろと?
高層ビルの上層階。
静かな電子音とともにエレベーターの扉が開いた。
中から降りてきたのは、黒衣の外陰をはためかせた男。
その衣装には僅かな汚れすら無い。
つい今しがた、世間を恐怖の底へと引きずり込んだ、連続少女誘拐快楽殺人犯を始末してきたとは思えない程に落ち着いている。
得体の知れない圧もなければ、見る者を震え上がらせるような威容もない。
ただ、そこにいるだけで空気がわずかに張る。
そんな曖昧な違和感だけが確かについて回る。
男の靴音だけが、静寂に響いた。
無駄にだだっ広い空間に、磨き上げられた床と、壁一面のガラス窓。眼下には都市の灯が広がっている。だが、この広さに反して置かれているものは驚くほど少ない。
フロアの中央付近に、ぽつんと一つだけ。
受付カウンターがある。
その向こうには、よく整った笑みを浮かべた受付嬢が座っていた。
年若く見えるが、仕草にも視線にも隙がない。美人、という言葉だけで片づけるには、少し作り物めいた完成度の顔立ちだった。
「ようこそ、アシュ・ヴェルドさん」
よく通る、柔らかな声。
アシュは足を止めもせず、いつものようにカウンターへ向かった。
「相変わらず暇そうだな」
受付嬢はにこりと笑う。
「アシュさんみたいな最上位ランカー用の特別フロアですから。滅多に人は来ませんよ」
「……経費の無駄遣いだな」
「無駄とは言わないでください。格式です」
「そうか」
興味なさげに返しながら、アシュはカウンターの前に立つ。
そして、必要事項だけを淡々と告げた。
「協会から依頼されていた討伐及び誘拐事件の解決、完了した」
「はい、情報入ってます。さすがの手際ですね“夢幻黒葬”」
受付嬢は慣れた手つきで目の前の端末を操作する。視線を走らせ、確認を終えると、にこやかに頷いた。
「報酬はいつものウォレットに振り込んでおきますね」
「あぁ」
用件は終わりだと言わんばかりに、アシュは踵を返しかける。
「また何かあれば呼んでくれ」
「あ、そのことですけど」
呼び止められ、アシュは半歩だけ止まった。
「もしかして、アシュさん。協会の案内、読んでないでしょ?」
「案内?」
振り返った顔に、本気で心当たりがないと書いてある。
受付嬢はわざとらしく目を閉じ、ふう、と小さく息をついた。
「やっぱり。何回も連絡行ってるはずですよ」
「知らん」
「でしょうね。アシュさんの事ですから」
「……」
「今回ばかりは、黙ってもダメですからね」
ぴしゃりと言われ、アシュは少しだけ眉をひそめた。
受付嬢は営業用の笑顔を崩さぬまま、しかし声音だけはわずかに事務的なものへ変える。
「今期から制度が変わったんです。危険業務の個人請負、つまりソロ活動は原則禁止になりました」
「……は?」
「今後、如何なる内容であっても、仕事を受けるには、協会登録済みの組織に所属する必要があります」
アシュは数秒、黙った。
「なんで急にそんな話になる」
「急じゃないです。前から段階的に告知されてます。理由もいろいろありますよ。まず、危険業務で事故や失敗が起きた時、責任の所在をはっきりさせる必要があるんです」
「責任の所在……?」
「ええ。ソロだと、事故があった場合も本人が死んだら終わりですし、依頼人への補償や後処理も曖昧になりやすいですから。それに無所属の人間が勝手に私刑まがいのことをしたり、依頼金や押収品を持ち逃げしたり、賞金首や取得物、遺物なんかの所有権で揉めることも増えてきました」
「……」
「要するに、協会も都市も国家も、“能力者”個人を野放しにしたくないんです。管理できる組織単位で動かしたい。誰が何をして、何かあった時にどこへ話を持っていけばいいのか、明確にしたいんですよ」
「面倒な話だな」
「そういう時代になった、ってことです。そもそもソロって、本来は駆け出しとか、まだどこの組織からも声がかからない新人が一時的にやるものなんですよ。ある程度名が売れれば、大手か有名どころに所属するのが普通です」
「……俺は別に困ってない」
「はい。そこが異常なんです」
さらりと言い切られた。
「普通は平気じゃないんですよ。情報も装備も人脈も、全部一人で抱えるのは非効率ですし。特にアシュさんみたいに裏の仕事専門でやる人なんて、普通集団で仇討ちされてお終いです。ソロのままで最前線を回れてる方が例外なんです」
アシュは黙ったまま、ガラス窓の外へ目をやった。
眼下の街は、遠くで瞬いている。自分には関係ないと切り捨ててきた秩序の光だ。
「で」
短く促す。
「何をすればいい」
「面接、受けてください」
「……面接」
「はい。どこかの組織に入ってください」
「……嫌だな」
「気持ちは分かりますが、期限は今月末です」
受付嬢は容赦なく言った。
「そこを超えてソロで活動すると──単なる犯罪者ですからね」
ぴたり、と空気が止まる。
アシュはしばらく無言だった。
地下で殺人犯を消した時より、よほど深い沈黙だった。
「……つまり」
ようやく絞り出した声は、微妙に疲れていた。
「今さら、俺にリクルート活動をしろと?」
「そうなりますね」
「……いっそ協会ごと消し去るのは?」
「“夢幻黒葬”なら本当にやれそうなので、やめてください」
「……冗談だ」
一概にそうとも取れないような間があったのが、どうにも恐ろしかった。
受付嬢は少しだけ肩をすくめ、それからふと思い出したように言葉を足す。
「私から一つ、アドバイスですけど」
「なんだ」
「“夢幻黒葬”の名前は隠した方がいいと思います」
アシュの目が、ほんのわずかに細くなる。
「その名前に縋るつもりもないが……なんでだ?」
「強すぎるんですよ、その肩書き」
受付嬢の笑みは柔らかいままだったが、忠告は真剣なようだ。
「あの夢幻黒葬を引き入れた、なんて話になったら、ただの戦力増強じゃ済みません。業界の力関係が一気に崩れます。同業他社の大手も中堅も末端も、政府も協会も、全部がその組織を警戒します」
「……」
「他の全組織から距離を置かれますし、協会だって下手に関わりません。正直、どこも持て余します。組織にとって業界からの孤立は死活問題です。絶対に採用はされませんよ」
言われてみれば、納得はできた。仕事柄、自分の立ち位置は、自分でも理解している。
夢幻黒葬の名は、決して商売で有利になるような看板ではない。程よく使い易いような威光でもない。
それは、制御不能な厄災や怪異、都市伝説に近い扱いだ。
「分かった」
短く答えると、受付嬢は少しだけ安心したように頷いた。
「過去を捨てろ、とは言いません。でも、最初はなるべく手の内は隠しておくに越したことはないと思います。普通を装うんです」
「……俺はいつも普通なつもりだが」
「実力が異端過ぎるんですよ。圧倒的に規格外です。……まぁ、幸い。今はフリーの能力者が一斉に組織に売り込み中です。この混乱に乗じれば、どこかしらの組織には入れると思いますから」
アシュは返事をしなかった。
代わりに、長く息を吐く。
それは諦め半分、うんざり半分の、実に重いため息だった。
「そう気を落とさずに。私個人で良ければ、仕事柄業界に知り合いも多いですから、多少力になれると思います。本当は、ルール違反なのですが」
そこまで言って、受付嬢は口の前に人差し指を立てた。
「助かる」
そのまま踵を返し、来たばかりのエレベーターへ向かう。
背中には、つい先ほど快楽殺人犯を震え上がらせていた気配はもうない。ただ、ひどく面倒な雑務を押しつけられた男の、くたびれた背中だけがあった。
エレベーターの前で立ち止まり、扉が開く。
アシュは無言のまま乗り込んだ。
閉まりかける扉の向こうで、受付嬢が最後に微笑む。
「応援してますよ、就職活動」
「やめろ」
珍しく即座に返ってきた声に、彼女はくすりと笑った。
扉が閉まる。
下降を始めた箱の中で、アシュは壁にもたれ、もう一度深く息を吐いた。
まさか今さら、自分が組織に売り込みをかけることになるとは。
夢幻黒葬。
囁かれるだけで、世の悪党どもを震え上がらせてきた絶対の二つ名。
だがそれは、就職には何の役にも立たないらしい。
「……全くもって、面倒だ」
誰に聞かせるでもなく呟いた声は、静かな箱の中に吸い込まれて消えた。




