↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
18/19

第18話 最高に楽しいんだよ

「いやいや、参りました」


 理事長は倒れた男たちへ一瞥をくれ、肩をすくめてみせた。


「白状しましょう。子供を少年兵として売っていたのは事実です」


 穏やかな笑みすら浮かべている。もはや隠す必要がないと見切ったのだろう。


「ですが、これも行き場のない子供たちのための慈善事業なのですよ」


 月明かりの差すホールに、その声だけがよく通る。


「親もなく、教育もなく、まともな未来を与えられない子供たちに、価値を与えている。必要とされる場所へ送り出しているのです。少なくとも、飢えて野垂れ死ぬよりは、よほど有意義でしょう」


 アシュは何も答えなかった。


 細身のナイフを指先でくるりと回し、理事長の顔をじっと見ている。さっきまでの薄ら笑いも、今はどこか浅い。


 そこに手応えを感じたのか、理事長はさらに一歩踏み込んだ。


「アシュさん」


 声音が少しだけ柔らかくなる。


「あなたの実力は大したものだ。夜帷で、こんな施設の視察だの聞き込みだの、使い走りのような真似をさせられる理由はない」


 アシュの眉が、わずかに動く。


「どうでしょう」


 理事長は両手を広げるような仕草で言った。


「うちへ来ませんか?」


「……ほぉ?」


 アシュが笑う。


 だがその笑いに、先ほどまでの軽薄さはなかった。


「金は、もちろん夜帷よりもお支払いします。何なら倍、出してもいい」


 理事長は迷いなく続けた。


「好きな額を仰ってください。表に出せない仕事も多いですが、あなたほどの方なら問題も無いでしょう。力ある者は、それに見合う場所で遇されるべきです」


「俺が、金で動くとでも?」


 アシュの声は低い。


 理事長はその問いに、むしろ確信を深めたようだった。


「──ええ」


 はっきりと言い切る。


「あなたは、私たちと同じ臭いがします」


 アシュは思わず吹き出すように、小さく笑った。


「ご自分でも仰っていたでしょう。子供の未来になど興味はない、と。あなたも同じだ。甘い理想ではなく、現実が見えている。夢だ希望だと綺麗事を並べたところで、価値のない子供に居場所は生まれない。ならば使える形に整えてやるのが慈悲。あなたも、それを理解しているはずです」


 沈黙。


 アシュは何も言わない。


 月明かりの下、そのふざけ切った瞳だけが、ほんの一瞬だけ色を変えた気がした。


 その違和感に、理事長の笑みが僅かに歪む。


 アシュはゆっくりとナイフを下ろした。

 舌先で刃を舐めることも、もうしない。


「……子供の未来なんざ、知ったことか」


 ぽつりと落ちた声は、妙に静かだった。


 理事長の口元が再びわずかに吊り上がる。


 だが、次の言葉でその表情は凍りついた。


「あいつらの可能性は無限大だ」


 アシュは顔を上げる。


「俺たちみてぇな他人が、知りようもねぇ。何になれるかも、何になりたいかも、あいつらだけのもんだ」


 一歩。

 月明かりの筋の中へ踏み出す。


「それを、勝手に決めつけてんじゃねぇよ」


 一歩、前へ出る。

 たったそれだけで、理事長は息を呑んだ。


 月光に照らされた黒衣が、やけに大きく見える。

 いや、違う。……これは、恐怖の影。


「兵士にしかなれねぇ?」


 低い声が落ちる。


 足音が、またひとつ。


 まるで処刑台へ続く階段を上がる音みたいに、やけに鮮明だった。


「道具にしかならねぇ?」


 また、ひとつ。


 そのたびに、理事長の心臓が嫌な音を立てる。


「お前ぇみてぇなクソ野郎が、ガキの人生に値札つけて、したり顔で“価値を与えてる”だぁ?」


 アシュは笑った。


 それはもう、狂人の演技なんかじゃない。


 ぞっとするほど静かで、底のない、本物の笑みだった。


「反吐が出るぜ」


 アシュの目が細くなる。


「てめぇは、他人の未来を盗んでるだけだろうが」


 理事長の表情から、ついに余裕が消える。


「……あなたも、所詮は凡人ですか」


 絞り出すような声だった。


「交渉決裂、ですね」


 その言葉に応えるように、夜の空気がさらに冷えた気がした。


「──お前たち、来なさい」


 理事長が鋭く声を張り上げた。


 その声に反応したように、ぱたぱたと小刻みな足音が響く。ホールへ続く扉が開き、暗がりの向こうから子供たちが次々と現れた。

 まだ十にも満たない、幼い子までいる。


 その小さな身体が、理事長を背に庇うように広がっていく。訓練された動きだった。誰が言われるでもなく、左右へ散り、間合いをずらし、互いの位置を確かめ合うように陣形を組む。


 アシュの目が、わずかに細まる。


「戦闘体勢」


 理事長の命令が落ちる。


 次の瞬間、子供たちは腰のケースへ一斉に手を伸ばした。


 しゃり、と乾いた音。


 小さな手に握られたサバイバルナイフが、月明かりの下で鈍く光る。


「あぁ?」


 アシュが鼻で笑う。


「あのなぁ。ガキで俺を止められるとでも──」


「ええ。実力では難しいかもしれません」


 理事長は静かに言った。


「しかし、あなたは残念ながら、思ったよりも凡庸な価値観をお持ちのようだ」


 穏やかな笑みが、ゆっくりと歪む。


「そんな相手には、子供というのはこういう使い方もあるのですよ」


 そして、冷たく命じた。


「──自害の構え」


 その言葉を聞いた途端、子供たちは一瞬の迷いもなく、自らの首筋へナイフを当てがった。


 ぎらり、と。


 闇夜に照らされた刃が、細い喉元で鈍く光る。


 アシュは動かなかった。


 いや、動けなかったのではない。ただ、ぴたりと止まった。


 理事長がその沈黙を見て、口元を吊り上げる。


「貴方が一歩動くだけで、貴方の仰る無限の可能性とやらはここで消える」


 月明かりの中で、理事長の目だけが妙に冴えて見えた。


「分かりますね? 大人しくしなさい」


 沈黙。


 冷たい空気が、張りつめた糸のようにホール全体を覆う。


 理事長は、アシュを見て小さく鼻で笑った。


 所詮、こいつもただの人間か。


 そう思った、その時だった。


「ク、ククク……」


 俯いたまま、アシュが笑いを漏らした。


 肩が小さく震えている。


 その様子だけ見れば、これまでの軽薄な狂人ぶりと何も変わらない。なのに、理事長の背筋を理由の分からない不安が這い上がった。


「何を……笑っているのです」


「いや、なに」


 アシュはまだ顔を上げない。


 だが、笑いだけがじわじわと深くなっていく。


「あんたには感謝しねぇとなぁ」


 ようやく、顔が上がる。


 アシュは笑っていた。


 けれど、違う。


 それは昼間から見せていた、生殺しのアシュの下品な笑みじゃない。もっと静かで、もっと暗くて、底のない笑みだった。


「何でこうまで、この仕事にこだわってんのか……自分でも、いまいち分かってなかったんだよ」


 ゆっくりと、言葉を噛みしめるように続ける。


「正義だの、道理だの、世の為だの。理由はいくらでもあった。今でも、それが嘘だとは思っちゃいねぇ。けどよぉ……どうにも、それだけじゃねぇって気づいちまった」


 アシュの目が、月明かりの中で細く光る。


「案外、この役は打ってつけなのかもなぁ」


「な、何を言って──」


「あんたには感謝しねぇとな」


 アシュが口元を吊り上げた。


「気づかせてくれて、ありがとよ。業務命令違反だが、素直に悪事を話してくれた礼に……俺もちゃんと報いるぜぇ」


 そう言って、懐へ手を差し入れる。


 理事長の喉が、ひくりと鳴った。


 取り出されたのは、仮面。


 夜よりもなお深い、漆黒の仮面だった。


「ま、まさか……」


 理事長の顔から血の気が引く。


 その噂を、裏の世界で知らぬ者はいない。


 誰も実際には見たことがない。けれど、話だけは腐るほど聞いている。会った者は生きて帰らない。悪党だけを消し去る、夜の怪異。


 夢幻黒葬。


 その名が、理事長の脳裏に稲妻のように走った。


 アシュは静かに仮面を顔へ当てた。


 黒が、黒を喰うように馴染んでいく。


 月光の下に立つその姿は、もはや昼間の男の延長ではなかった。軽薄さも、芝居がかった下品さも、そこにはない。


 ただ、悪意にだけ嗤いかける、底の知れない何か。


 仮面の奥から、低く、愉しげな声が落ちる。


「やっと分かった」


 一歩、前へ。


 子供たちはなお首元へ刃を当てたまま、微動だにしない。


 だが、理事長だけは本能で悟っていた。


 今、自分は、絶対に喚び出してはいけないものを喚び出したのだと。


「俺は、テメェみてぇな悪党を痛ぶるのが──」


 声が笑う。


「最高に楽しいんだよ」


 最強の処刑人──夢幻黒葬の、狂気だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。