↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
16/19

第16話 問題は見当たりませんでした

 空が茜色に染まりかけた駐車場に、三つの人影が戻ってきた。


 先頭を歩くのはシイナ。

 その後ろに理事長と、昼間に案内役を務めていた女性職員が続いている。


 シイナは車の助手席側に回り込み、窓を軽く叩いた。


「アシュさん。起きてください!」


 車内では、背もたれを倒したアシュが、本当に寝ていたらしい。気だるそうに片目を開け、ゆっくりと上体を起こす。数秒遅れて、助手席側の窓がすうっと下がった。


「……あぁん?」


 まだ眠そうな声だった。


「理事長さんがお見送りに来てくれましたよ」


 シイナがそう言うと、アシュは面倒くさそうに目を細め、窓の向こうに立つ理事長へ視線を向けた。


「わざわざ大層なこったなぁ」


 理事長は昼間と変わらぬ穏やかな笑みを浮かべ、一礼する。


「いえいえ。夜帷とは、これからも良い関係を築いていきたいと思っておりますので」


「へぇ」


 アシュはそれだけ返し、特にそれ以上の反応も見せなかった。


 シイナは運転席へ回り込み、車へ乗り込む。エンジンがかかり、車体がゆっくりと駐車スペースを離れた。


 バックミラーの中に、見送る理事長たちの姿が小さく映る。理事長は最後まで、穏やかな表情のまま見送ってくれた。


 その姿が遠ざかっていくのを見ながら、シイナは少しだけ肩の力を抜く。


 車が敷地の外へ出て、郊外の道へ乗ったところで、助手席から声が飛んだ。


「で、どうだった?」


 アシュは窓の外を見たまま、気のない調子で尋ねる。


「はい」


 シイナははっきりと頷いた。


「武器の横流しなんて、根も葉もない噂です」


 その言葉には迷いがなかった。


「確かに、嫉妬して変な噂が立つのも分かるくらい、立派な施設でしたよ。子供たちの教育も行き届いていましたし、設備も整っていました。……理事長さんも、本当に子供たちのことを考えておられる方でした」


 アシュは何も言わない。

 ただ、口元だけがほんの少し歪んだ気がした。


 だがシイナはそれに気づかない。


 車はそのまま、夜帷の本拠地へと戻っていった。


 ◇ ◇ ◇


 職場へ戻ると、特案二課の部屋には課長がまだ残っていた。


 机の上に広げた書類から顔を上げ、二人を見る。


「お、戻ったか。どうだった?」


 シイナは姿勢を正し、簡潔に報告した。


「はい。現地を確認しましたが、噂は誤りと判断してよいと思います。施設運営も極めて良好で、設備も充実していました。子供たちへの対応も丁寧でしたし、問題は見当たりませんでした」


「……そうか」


 課長は一瞬言葉に詰まりながらも、頷いた。


「今後は、夜帷で保護した子供たちの受け入れ先候補として、前向きに検討して良い施設だと思います」


「わかった。そこまで言うなら、問題無さそうだな」


 そして視線をずらし、隣で黙って立っているアシュを見る。


「アシュさんの見解も変わりありませんか? 本件はアシュさんの初任務ということもありますし、リリスさんへも報告することになっていますので」


 課長の問いに、アシュは一拍置いた。


 それから、いつものねっとりした笑みを浮かべる。


「そいつがそう言うなら、そうなんだろぉ?」


 シイナがきょとんとする。


 アシュは肩をすくめた。


「俺みてぇな奴の言うことより、自分の部下を信じてやりな」


 その言い方は軽い。

 けれど、どこか妙な含みがあった。


 課長は一瞬だけ眉をひそめたが、結局それ以上は追及しなかった。


「……まあ、アシュさんがそうおっしゃるなら」


 書類へ視線を戻しながら、そう締める。


「分かった。じゃあこの件は、ひとまずその方針で上へ回しておく」


「はい!」


 シイナは元気よく返事をした。


 その横で、アシュはくっくっと喉の奥で笑う。

 誰にも聞こえないくらい、小さく。



 ◆ ◆ ◆



 夜の帷が降り切った頃。

 慈愛の庭財団の施設──その別館。


 そこは昼間とはまるで別の建物のようだった。


 窓の外から差し込む月明かりだけが、白い床を冷たく照らしている。廊下の奥は闇に沈み、人気のない静けさがどこまでも張りつめていた。


 かすかに、鎖の擦れる音が響く。


 窓に鉄格子が嵌められた小さな部屋。


 簡素な寝台と、机と、壁際の棚。表向きには“宿舎”と呼べなくもない部屋だった。だが、中央の椅子に繋がれた小さな影が、その呼び名の嘘を暴いていた。


 リオが、鎖に繋がれていた。


 両手首に嵌められた拘束具から伸びる鎖が、椅子の脚へと固く結ばれている。逃げようともがいたのだろう。細い肩は上下し、呼吸は浅く乱れていた。


 きしむ音を立てて扉が開く。


 理事長と、昼間の女性職員が中へ入ってきた。


「やれやれ」


 理事長は困ったように肩をすくめ、いつもの穏やかな声音で言った。


「お待たせしました。今日は、あの小娘に力を使ってしまったせいで、あなたへの祝福が遅くなってしまいましたね。申し訳ありません」


 その言葉に、リオはびくりと身体を強張らせた。


「いやだ……やめて……」


 震える声で叫ぶ。


「あのお姉さんに、何したの!?」


 理事長は首を傾げる。


「あなたも見たでしょう。あれが私の力──祝福です」


 柔らかく、諭すような口調だった。


「これで彼女も、私たちも、共に幸せになれたのです」


「嘘……!」


 リオは必死に身体を引こうとする。鎖がじゃらりと鳴り、椅子が軋んだ。だが小さな力でどうにかなる拘束ではない。


 女性職員が無言で歩み寄り、リオの肩を押さえつける。


「離して……っ!」


「大丈夫よ、リオ」


 その声はどこまでも優しかった。


「少し怖いのは最初だけ。すぐに楽になるわ」


 理事長がゆっくりと手を伸ばす。


 白く、細い指先。

 だがリオには、それが刃物よりも恐ろしく見えた。


「いや……いやぁ……!」


 恐怖に耐えきれず、リオの喉から嗚咽が漏れる。


 その時だった。


『くくっ……』


 背後から、湿った笑い声が落ちた。


『随分とまぁ、分かりやすい悪党だなぁ』


 理事長の動きが、ぴたりと止まる。


 女性職員も弾かれたように振り返った。


「誰です!?」


 理事長が鋭く声を放つ。


 だが、返事はない。


 どこから聞こえたのか分からない。部屋の中ではない。扉の向こう、廊下、いや……ホールか。


 理事長は眉をひそめ、ゆっくりと部屋の外へ出た。


 月明かりの差し込むホールは、昼間よりずっと広く見えた。白い床に落ちる影が濃く、柱と柱の間には黒い闇が溜まっている。


 その暗がりの一角から。


 音もなく、一人の男が姿を現した。


 気だるげに立つその姿は、昼間に一度見ている。なのに今は、まるで別の何かに見える。


 夜帷の、頭のイカレた男──アシュだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。