第13話 何も──おかしくないはずなのに
中庭に出ると、そこには子供たちの明るい声が広がっていた。
青々とした芝生の上を、小さな影がいくつも駆け回っている。陽射しはやわらかく、風も穏やかだ。
どこにでもある平和な昼下がりの遊び風景にしか見えなかった。
「鬼ごっこですか?」
シイナが近くにいた職員へ尋ねると、若い女性職員がにこやかに答える。
「ええ。今日は少し工夫して、隠れるのもありにしてるんです。子供たちも好きなんですよ、この遊び」
鬼ごっこ兼かくれんぼ、ということらしい。
その説明を聞いた途端、子供たちの一人がこちらへ駆け寄ってきた。
「お姉ちゃんもやろう!」
続けて別の子も言う。
「いっしょにやろ! こっち!」
「え、わ、私もですか?」
突然囲まれて、シイナは少し慌てた。だが、向けられるまっすぐな笑顔に、断る理由もない。
「はい。よろしくお願いします」
そう答えると、子供たちは嬉しそうに歓声を上げた。
「じゃ、三十秒数えるよー!」
数人の鬼役の子たちの掛け声で、子供たちは一斉に散った。
木の陰、花壇の裏、ベンチの下、建物の死角。思い思いに隠れていく。
鬼役の子はカウントを終えると、迷いの無い足取りで、逃げた子供達を探しに駆けて行く。
シイナは植木の側に身を隠し、周りの様子をうかがいながら……ふと小さな違和感を覚えた。
みんな妙に、うまい。
追う側も、追われる側も、何と言うか……動きが子供っぽくないのだ。
鬼役の子供たちは、ただ目についた方へ走るのではなく、連携し左右へ広がって逃げ道を塞ぐように動いている。
隠れる側も、開けた場所を避け、相手の視線や死角を意識して場所を選んでいた。
もちろん、子供らしい無邪気さはある。笑い声も上がるし、きゃあきゃあと楽しそうに走り回ってもいる。
それでも、何かが妙に“できすぎている”気がした。
「こっち!」
声をかけられ、シイナは振り返る。
そこにいたのは、少し小柄な女の子だった。
その顔には真剣さと緊張感が浮かんでいる。
他の子に比べてまだこの遊びに慣れていないのか、動きが少しぎこちない。むしろ普通の子供っぽいというべきか。
身の隠し方も、周囲を窺う視線も、どこか自信がなさそうだった。
「お、お姉ちゃんも、い、いっしょに隠れよう」
「うん! いいよ」
シイナは頷き、その子と一緒に低木の陰へ滑り込む。
二人で身を寄せ合うようにしゃがみ込み、鬼の様子を窺った。
ただの遊びのはずなのに、その子の顔は妙に真剣だった。息を潜め、唇を引き結び、まるで試験でも受けているかのように緊張している。
「……ねぇ、お名前は?」
「名前?」
「そう。あなたの」
「……リオ」
「リオちゃん、鬼ごっこ、怖い? ただの遊びだよ」
シイナが小声で尋ねる。
すると、リオはびくりと肩を揺らしたあと、視線を落として答えた。
「……これも、おべんきょうだから」
「お勉強?」
「うん。せいせき、わるいと……しどうされるの」
その言い方に、シイナは少しだけ首を傾げた。
教育の一環、ということなのだろうか。協調性や判断力、反応の早さを養う遊びだと思えば、そこまでおかしな話でもない。
ない、のだが。
「そっか……」
シイナはとりあえず微笑み返した。
「でも、お勉強だもしても、そこまで考えすぎなくても──」
言いかけたその時だった。
「いた!」
鬼役の子供がこちらへ駆けてくる。
「きゃっ」
リオが小さく声を上げる。
「逃げよっ!」
リオはシイナの手を取って立ち上がった。
二人で芝生を蹴って走る。だが、数歩も行かないうちに、リオの足がもつれた。
「あ……!」
前のめりに転ぶ。
そのまま近くの低い柵へ頭をぶつけ、鈍い音がした。
「っ!」
シイナの背筋が冷える。
リオはその場にうずくまり、額を押さえた。指の隙間から、赤いものがにじんでいる。
「リオちゃん! だ、大丈夫!? 見せて!」
慌てて膝をつくシイナ。
そこへ、すぐ近くにいた職員が駆け寄ってきた。
「まあ、大変!」
女性職員は素早く状況を確認すると、すぐにリオを抱き起こした。
「医務室へ連れていきます」
「ごめんなさい、近くにいたのに……! 私も一緒に──」
「いえ、大丈夫です」
返事は、妙に早かった。
「安全確認も本人の能力のうちですから、お気になさらず。あとは、こちらで対応しますので」
にこやかな口調だった。
けれど、その声音にはどこか、これ以上踏み込ませまいとする鋭さがあった。
リオは額を押さえたまま、顔を青くしている。
この年頃なら、転んで頭を打って、血まで出れば、泣き出してもおかしくない。
なのに、その子は泣かない。
いや──泣けない、のか?
痛みを堪えているというより、何か別のものに怯えているように見えた。
シイナの胸の奥に、ちくりと引っかかるものが走る。
その時、不意に脳裏をよぎったのは、食堂でのアシュの声だった。
『妙ぉ〜にチグハグなんだよ』
シイナはゆっくりと立ち上がり、周囲を見渡した。
先生たちは皆、穏やかな顔で子供たちを見守っている。
上手にできた子の頭を撫でて褒め、失敗した子には優しく声をかけ、次はこうしてみましょうと励ましている。
見た目には、何もおかしくない。
何も──おかしくないはずなのに。
それでも、シイナの中に引っかかる違和感は消えなかった。
何かが足りない。
上手く言葉にできない。
けれど、強いて言うなら──愛情、だろうか。
優しい。丁寧だ。穏やかですらある。
なのに、そこにあるはずの感情だけが、すっぽりと抜け落ちているように思えた。
機械的というのとも少し違う。
事務的。
いや、それよりもっと──子供を子供としてみていないような。
ふと、遠くにいた職員と視線が合った。
もちろん、視察中なのだから、こちらを気にするのは不自然ではない。
だが今のそれは、少し違って見えた。
子供の怪我を心配しているというより、こちらがどう反応するのかを窺っているような視線。
さらに、少し離れた場所にいた別の職員と、その職員が一瞬だけ目を合わせる。
ただそれだけの、何気ないやり取り。
けれど、妙に気になった。
「……」
シイナはほんの少し考え、それから何でもない顔を作った。
「あの、すみません。私、少しお手洗いをお借りしてもいいですか?」
近くにいた職員が、すぐに笑顔を向ける。
「ええ、もちろんです。廊下に入って右手に──」
「ありがとうございます」
シイナはぺこりと頭を下げ、いったん建物の方へ向かった。
だが、角を曲がり、職員たちから見えなくなったところで足を止める。
静かに息を整える。
そして、物音を立てないよう、そっと身を隠した。
胸の鼓動が少しだけ速い。
まだ何か確信がある訳ではない。
ただ、嫌な予感があるだけだ。
けれど、その“だけ”が、シイナの場合、往々にして正解だったりするのだ。
シイナは壁際に身体を寄せ、リオが連れていかれた方向へ、そっと視線を向けた。




