第11話 何が気に入らないんですか?
シイナの運転する車は、やがて郊外の広い敷地へと入っていった。
道の先に見えてきた施設を見て、アシュはわずかに目を細める。
広い。
まず、そう思った。
だだっ広い敷地の中央に、白を基調とした大きな建物がゆったりと構えている。
周囲は高い壁に囲われ、その袂には丁寧に刈り込まれた芝生と、季節の花を植えた花壇。それに形よく整えられた低木が並んでいた。
管理の行き届いた庭園じみた景観は、アシュが勝手に想像していた“孤児院”の印象とはだいぶ違う。
もっとこう、雑然としていて、あちこちに古びた増築跡でもあるような場所を思い浮かべていたのだが、目の前の施設はむしろ上流階級向けの寄宿学校か、療養施設に近い雰囲気さえあった。
「きれいですね……」
ハンドルを握ったまま、シイナが感心したように呟く。
「思っていたより、ずっと立派です」
「そうだなぁ」
助手席で気怠げに頬杖をつきながら、アシュは鼻を鳴らした。
「少なくとも、見た目はな」
車は正面玄関前で静かに停まる。
二人が降り立つと、すでに入口の前には一人の老人が立っていた。
背筋の伸びた老齢の男だった。白髪はきっちり撫でつけられ、上質だが華美ではない服装を隙なく着こなしている。年相応の皺はあるが、目元には弱さよりも知性と落ち着きが宿っていた。
老人は二人を見ると、柔らかな笑みを浮かべて一礼する。
「ようこそお越しくださいました。慈愛の庭財団、理事長のエドガルと申します」
シイナは慌てて姿勢を正し、ぺこりと深く頭を下げた。
「夜帷のシイナ・トリビュエルです。本日はお忙しいところ、お時間をいただきありがとうございます」
その横で、アシュはポケットに手を突っ込んだまま、いかにもだるそうに口を歪める。
「わざわざトップがお出迎えとはなぁ。何か後ろめたいことでもあんのかぁ?」
「ア、アシュさんっ……!」
シイナが顔を青くして小声で止めに入る。
「すみません、この人ちょっと、その……口が悪くて……!」
だが、理事長はまったく気を悪くした様子を見せなかった。
むしろ、どこか困ったように笑う。
「いえ。そう思われるのも無理はありません」
穏やかな声だった。
「我々によくない噂が流れていることは、私どもも承知しております。近年、急に規模を拡大したものですから、あれこれ言われるのも致し方ないことでしょう」
「理事長さん……」
シイナが思わず息を呑む。
理事長は静かに続けた。
「私たち職員が何を言われるのは構いません。真摯に向き合っていけば、いずれご理解頂けると信じておりますから。……ですが、ここで暮らしている子供たちまで色眼鏡で見られるのは、どうしても耐えがたいのです」
その言葉には、作りもののような安っぽさはなかった。遠く、庭で走り回る子供達を見る目が細められる。
「だからこそ、今日は隠し立てせず、どうぞ心ゆくまで見ていってください」
シイナの表情が見るからに変わった。
緊張していた顔に、尊敬にも似た色が差す。
「……すごいです。今のお立場でそこまで堂々と」
「子供たちのためですから。もし皆さんから見て至らない点があれば、ご指導ご鞭撻なほど、宜しくお願いしますね」
理事長はそう言って、わずかに目を細めた。
「では、さっそく中をご案内しましょう」
理事長に先導され、二人は施設の中へと足を踏み入れた。
◇ ◇ ◇
内部もまた、外観の印象を裏切らなかった。
広く取られた廊下。よく磨かれた床。白を基調にした清潔な壁。採光もよく、閉塞感はない。むしろ普通の孤児院というより、学校や教育施設のような印象が強かった。
最初に通された教室では、年齢ごとに分けられた子供たちが机に向かっていた。地学の勉強らしく、黒板貼られた大きな地形図には複数の曲線が書き込まれている。
次に見た図書室には、児童向けの絵本だけでなく、難しそうな専門書もずらりと並んでいた。さらに工作室、音楽室、医務室に至っては町医者にくらいなら負けない程の立派な備品が揃っている。
「すごい……」
シイナが思わず声を漏らす。
「ここまで設備が整っているなんて」
理事長は穏やかに頷いた。
「ありがたいことに、たくさんの方々から寄付をいただいておりましてね。そのおかげで、子供たちにできるだけ良い環境を用意することができています」
「素敵です」
シイナは本心からそう言った。
その横で、アシュは黙って周囲を見回している。
設備は充実している。掃除も行き届いている。
建物の構造から見て、大きな隠し部屋や、秘密の搬入口のようなものも無いだろう。
少なくとも、“大量の兵器を隠していそうな施設”には見えなかった。
廊下を進む途中、何人かの子供とすれ違った。
皆、立ち止まり、きちんと頭を下げる。
「こんにちは、理事長先生」
「こんにちは」
「お客様、ようこそいらっしゃいました」
言葉遣いまでしっかりしていた。
シイナが目を丸くする。
「みんな、まだ小さいのにしっかりしてますね」
理事長は柔らかく微笑んだ。
「みないずれ、ここから巣立っていきますから。社会に出ても困らないよう、礼儀や作法は少し厳しめに教えています」
「すごいです……」
シイナは感心しきりだ。
「私なんて、つい姉の子供を甘やかしちゃって」
「ははは」
理事長が上品に笑う。
「お気持ちは分かりますよ。子供は可愛い。そこに異論はありません。ですが、甘やかすことだけが愛ではありません。大切だからこそ、自分の足で立てるように、我々大人が導いてあげる必要があるのです」
「……さすがですね」
「大切な……宝物ですからね」
その言葉に、シイナはしみじみと頷いた。
すっかり打ち解けた空気だった。
その横で。
「ふん」
アシュだけが、小さく鼻で笑う。
シイナが慌てて肘で小突いてきた。
「ちょ、ちょっとアシュさん……!」
声を潜めたつもりなのだろうが、全然潜めきれていない。
「何が気に入らないんですか?」
「あぁん?」
アシュはわざとらしく片眉を上げた。
「ガキの将来なんて、知ったこっちゃないだろ」
「……! アシュさんっ!」
シイナが小声で必死に嗜める。
理事長はそんな二人を見て、また穏やかに微笑んだ。
「仲がよろしいのですね」
「ち、違います!」
即座に否定するシイナの声が、廊下に少しだけ響いた。
アシュはそれを聞きながら、もう一度だけ静かに鼻を鳴らす。
行き届いた設備。
礼儀正しい子供達。
行き届いた教育。
職員も理事長も、みな熱心に子供達に接している。
子供という我儘だらけの存在を預かるにしては、何もかもが──気持ち悪いほど妙に整っている。




