第10話 慈愛の庭財団
車は、お手本のような安全運転で市街地を抜けていった。
信号ではきっちり止まり、車間距離も十分。教習所の模範映像にでも出てきそうなくらい堅実な運転だった。
やがて景色は少しずつ開けていき、建物の密集した通りから、郊外らしい広めの道路へと移っていく。
そんな中、アシュは助手席でひどく行儀の悪い格好をしていた。
背もたれを大袈裟なくらい倒し、足をダッシュボードに乗せる。いかにも「だらけきってます」という体勢だったが、冷静に考えれば逆に座りにくい。少なくとも楽ではない。
だが、そうでもしないと、いかにも悪ぶった雰囲気が出ない気がしたのだ。
「で」
窓の外を眺めたまま、気怠げに口を開く。
「どこに向かってんだぁ?」
「あっ」
シイナが小さく声を上げた。
「ご、ごめんなさい。うっかりしてました。今回の依頼について、ちゃんと説明しておきますね」
少し慌てたように、それでも視線は前から外さずに話し始める。
「今回向かっているのは、“慈愛の庭財団”です」
アシュは片目だけ開けて、シイナの横顔を見る。
「近年、急激に巨大化した団体で、主な活動は孤児の保護と支援です。事故や犯罪に巻き込まれて行き先をなくした子供たちを受け入れていて、寄付金も多く集めていて、表向きの評判はかなりいいです」
「へぇ」
興味があるのかないのか分からない声音で返す。
だが、その内側では、アシュの意識は自然と研ぎ澄まされていた。
孤児保護。
行き場のない子供たちの受け入れ先。
こういう団体は本当に当たり外れが大きい。過去の経験からして、どうにも嫌な予感がする。
「でも」
シイナの声がわずかに硬くなる。
「ここが裏で、麻薬シンジケートに兵器を提供してるんじゃないか、っていう噂が出ているんです」
アシュの足先が、わずかに止まった。
表情は崩さない。
だが、胸の奥の温度が少しだけ下がる。
「兵器、ねぇ」
「はい。まだ確証はありません」
シイナは慎重に言葉を選びながら続ける。
「ただ、いくつか不自然なお金の流れと、財団関係者が裏社会の人間と接触していたっていう話があって……。協会の方でも水面下で調べていたみたいなんですけど」
「何も出なかった、と」
「……はい」
シイナは小さく頷く。
「相手は大きな財団ですし、政界への影響力も強いそうです。警察とのつながりも深くて、下手に踏み込めば揉み消される可能性もあるって。だから、そういう利権から比較的独立して動ける組織として、夜帷に依頼が来たみたいです」
アシュは鼻を鳴らした。
「面倒くせぇ話だなぁ」
「そうですね……」
シイナは苦笑し、それから少しだけ声を落とした。
「でも、さすがに正面から“兵器提供の疑いがあります”っていう形で入るわけにはいかないので」
「そうかぁ? 財団の人間、全員ぶっ殺してもいいんだぜぇ」
アシュはシートに大きくもたれかかりながらウヒヒと笑う。
「それは、さすがにダメですよ」
シイナに少し強めに嗜められてしまった。
そりゃそうだろう。ごめんなさい、分かってます。
「建前としては、夜帷が業務上で保護した子供たちの、受け入れ先候補としての事前調査です。施設の雰囲気とか、職員の対応とか、子供たちの生活環境とかを見せてもらう──そういう名目で入ります」
「なるほどなぁ」
アシュは口元だけで笑った。
「ずいぶんお綺麗な建前じゃねぇか」
わざと粘つくような声で返す。
「実際に、夜帷でも任務の成り行き上子供を保護する事はたまに有るんです。なので、建前とはいいつつ、本当に何もなければ受け入れ先の候補としての調査に移行します。どちらにしても大切なお仕事なんですよ」
シイナのハンドルを握る手に力が入る。
きっと彼女のことだ。内容に関わらず、受けた仕事はどれも真摯に取り組むだろう。全くもって背筋が伸びる思いだが……。
「ガキの保護がどうだとか、興味無ぇなぁ。俺ぁもっと血生臭いのが好みなんだよ」
生殺しのアシュとしては悪態をついて見せるしかない。
「ご、ごめんない。本来なら四天王のアシュさんが出向くようなお仕事ではないと思いますが。任務なので、少しお付き合いください」
「……っち、分かったよ」
シイナが少しほっとしたように声を明るくする。
「先方とのやり取りは私の方で行いますので。アシュさんは現場の雰囲気をつかみつつ、もし私に至らない点があればご指導頂ければと思います」
真面目だ。
本当に、どこまでも真面目だ。
こんなヤバい奴にご指導頂く事なんて、普通ないだろう。
アシュはそんな彼女の横顔を見ながら、窓の外へ視線を戻した。
郊外の景色が流れていく。
のどかな道。
穏やかな空。
遠くに見える青々とした山脈。
“慈愛の庭財団”か。
名前だけ聞けば、善意の塊みたいな場所だ。
だが、もしそこが本当に子供を盾にして裏で汚れた商売をしているのだとしたら──。
アシュは、シートに沈めていた背をほんのわずかに起こした。
「なぁ、シイナ」
「はい?」
「子供は好きか?」
声音はだらけたままだったが、ほんの少し、暖かなものを感じたような気がした。
「……はい」
シイナは少しだけ驚いたように目を瞬かせ、それから静かに頷いた。
アシュは再び背もたれに身を預け、足をダッシュボードに乗せ直し、静かに目を閉じた。




