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30.思い出に走るノイズ



「行くぞ!!」



うなだれて崩れてしまいそうになるわたしの腕を、追いかけてきた草野君が力強く引っ張った。



「忘れろ。それでもって、何も考えるな。あいつらのしたことで自分を責めたところで、どうしようもないだろ」



草野君は学校の敷地を出て公道へ、そして駅へと向かって行く。抵抗する気も失せて力の抜けたわたしは連れられるがままだ。



「バス代ぐらい俺が出す。どうせ家に帰ったところでまたすぐに戻ってくることになるんだ」



突きつけられた現実に再び涙が流れた。


広い背中を見ながら深い深呼吸を繰り返す。目をきつくこすって、下唇をきつく噛んだ。

真実が何であったとしても、わたしはもう佐野君たちのところにだけは戻りたくないよ。



「……俺も、最初はお前のことを、人間を食らうやつだと思っていた」



駅までの道のり。前後に人がいなくなったのを見計らい草野君が打ち明けた。



「なんでよ。わたしのこと憶えてたんじゃないの」



不満を隠さず拗ねたように呟けば、「憶えていたからだ」とぞんざいに返される。



「俺たちみたいな人間は、大多数が幼いうちに食い殺されるんだ。いくらうまいからといっても、体が大きく成長するまでの時間の育てる手間やリスクを考えれば、見つけ次第食ってしまって次の獲物を探すほうが圧倒的に効率がいい。俺は、マリ、が気付ける人間だって昔から知ってたし、多分、もう……」



なるほど。



「わたしはとっくに食べられて死んでいると思ってたわけだ。残念だったね、しぶとく生き残ってて」


「残念なんか思うわけないだろ!」



張り上げられた声に、数メートル前を歩くサラリーマンが振り返る。草野君は恥ずかしそうに明後日の方向を向いてやり過ごした。サラリーマンはすぐに顔を進行方向に戻す。

わたしもほっと一息、肩の力が抜けた。



「あいつら時々、食った人間の姿を借りてそいつに成り代わるんだ。容姿もろとも、食べ終えた人間の社会的立場をそのまま丸ごと引き継ぐやつもいる。他人になりすまして人間社会に紛れ込むのは、あいつらにとって身を隠すための定石だ」


「どうして? 人間は勝手に食べられた人を全てをなかったことにするのだったら、こそこそ隠れる必要はないんじゃないの」


「隠れているのは人間からじゃない。あいつらは、自分たちを食らう上の存在を知っているというだけだ」



おかしいと思って指摘したところは、ことごとく理由を説明されてしまう。


……ああもう。ほんっと、どうしようもなく救いのない話だよ。



「好みの人間をあいつらが大きくなるまで育てるのケースにしても、そういった場合は普通3、4人で協力し合ってひとりの人間を囲っているはずなんだ。なのにどうやら栗原カナメは単独で動いていたみたいだし、とにかく、お前のことといい今回はイレギュラーな事態ばかりが起こりすぎてんだよ」


「……ふうん。じゃあさ、ひょっとしたら前を歩いてる人が、草野君の言うところのカナメと同類だってこともあり得るわけ?」


「……………そうだな。人間との区別なんて、やつらが本性を出すまで付けようがない。それにヨシアキたちがいないところで襲われたら、俺やお前はどうすることもできない」



そうか。だから草野君、学校を出てからは顔がこわばり気味なんだ。

よくしゃべるのもわたしを気遣ってというより、自身の緊張をごまかす意図があるのだろう。


駅のロータリーで停留所にできた列に並び、市の西側行きのバスに乗り込む。

出発時は座れないほど混雑していたが、市街地を抜けた途端一気に乗客はまばらになった。

閑散とした車内で後ろから2番目のふたり掛けの席にわたしと草野君は腰を落ち着ける。



「本当に行く気か?」


「行くよ。行ってちゃんと確かめないと」



決意が揺るがないように、スカートのポケットに入れた生徒手帳を握りしめる。



「あれだけのことを目の当たりにしても、まだ信じられないのか」


「……ごめん」



ふたつ前の席という、普通にしゃべっていても話し声が聞こえる場所に人がいるため、草野君は突っ込んだ物言いはしてこなかった。


左右の風景が田んぼばかりの道をバスは進む。

日はすっかり沈んでいて、空は夕焼けの名残が藍色に染まろうとしていた。


進行方向右奥に小学校が見えてきた。

大きな時計塔が目印の、わたしが6年間通った学校だ。

学校の手前あたりから田んぼはなくなり、道は住宅に挟まれる。わたしの降りるバス停まであと少し。


スーパーマーケットの前でバスがゆっくりと停車する。

ふたつ前の座席に座っていた人が立ち上がり、前方の出口へと歩いた。



「お前、さあ」



自動ドアが閉まると同時に草野君が口を開いた。



「俺の親のことって、憶えてないのか?」


「んー……、えっと、おじさんはあんまりあったことなかったから、静かで寡黙なイメージしか残ってないけど、おばさんはよく覚えてるよ」



気さくで明るいけど怒ったら怖い人。

よくいろんなところに遊びに連れて行ってくれた。



「危ないからしちゃいけないって言われたのに公園の木に登っちゃって、ふたりですごく怒られたよね。すごく強烈だったから、今でも忘れられないよ」


「……ああ、そうだな。そうだったよなあ」



思い出を噛みしめるように、草野君はそっと目を閉じる。

ひとりで抱え続けた記憶をようやく誰かと共有できたのだ。この喜びは計り知れないと思う。


発車したバスはすぐにまた、赤信号で動かなくなる。



「草野君は……わたしのお父さんとお母さんのこと、憶えてる?」


「声がでかくて豪快に笑うおじさんと、おばさんはマリによく似た顔立ちだったな。物静かで、優しそうな人だ」


「……お兄ちゃんの、ことは?」


「サッカー好きで、よく公園で練習してた人だろ」



草野君の言葉のひとつひとつを聞き逃さず胸に刻む。


——そうだ。それがわたしの家族なんだ。



「おかしな箇所でもあったか?」



いぶかしげに聞いてきたので、小さく首を振って否定する。



「ううん、あってるよ。どこも間違ってなかった。ほんと、なんで人様の家族なんて憶えてるんだか」


「お互い様だ。正直、あのころ他にどんな友達がいたかなんて、俺はもうはっきりと憶えていない」



わたしがカズ君を忘れられなかったのと同じで、草野君もまたわたしを憶えていてくれた。それはとても嬉しいことなのはずなのに……。


素直に喜べないのは、まだわたしが諦めきれていないからだ。


歯科医院の前のバス停でわたしたちは降車した。ここからは国道をそれて、住宅街の細い道を歩く。



「気が済んだら、ヨシアキたちのところに戻るぞ」



かつて過ごした街を懐かしむ様子もなく、真剣な目をして草野君は言う。



「戻ったらあいつらに詫びて、行動を共にしたいと伝えるんだ。どんなに心の中で反抗しても、絶対に態度には出すな」


「なにそれ?」


「いいから聞け。あいつらに付いていれば、少なくとも、俺が消えるまではお前の身の安全が保証される」



嫌だよ、そんな草野君を犠牲にした平穏なんて。

了承できるわけがない。



「わたしは今でも、今日のこと全部白昼夢だったって可能性を捨ててないよ」



だから草野君は、わたしなんかのために体を張ろうとしなくていい。



「今日のことは、ぜーんぶわたしの都合のいい妄想」



カズ君っていうわたしの理解者がどうしても欲しくて、頭の中で意識せず作り上げてしまったのかもしれない、——と。



「ひょっとしたらこうして草野君に話しかける行為だって、周りから見たらひとりでぶつぶつ何もないところにしゃべってるだけかもしれないって、そういう可能性も捨ててない」


「……信頼していた友人に食われかけるのが、都合のいい妄想なのか」



だって、そう思わないと家に帰れない。



「……俺は、ヨシアキたちのとって釣針の先についたミミズと同じだ。獲物を狩るために手の届く場所で放し飼いにされた、ペットと同じような扱いで。逆らえば殴られて、誰が主なのかを体に教え込まれる。俺の境遇も、お前にとっては都合のいい妄想で片付けられるのか」


「…………うん、ごめん」



あーあ。わたしは最低だ。



「でも、わたしは奇跡を信じたい」


「そんなもの起こるわけがないだろ!」


「行ってみないとわからないよ!!」



足を止めて互いに数秒間睨みあった。

根負けしたのはわたしだ。罪悪感に駆られて、逃げるように目を背ける。



「家の人たちがわたしを憶えてなくても、佐野君たちのところへは行きたくない。草野君、……カズ君こそ、今日わたしに会って話したことは全部妄想だと思って、忘れてしまったほうがいいと思うよ」


「なんだよ……それ」



愕然とする草野君に、わたしは強がって無理やり笑った。



「できたら、もっと早くに再会したかったなあ」



いつ会えていたら素直に彼の言葉を信じられたかは定かじゃない。


だけど。この巡り会いは、遅すぎた。


そこからわたしの家の手前まで、お互い何も話さなかった。



「ここでいいよ。ありがとう」


「……ライヨン公園で待ってるからな」



わたしが了承する前に草野君は30メートルほど先にある公園へと行ってしまう。


でも……どんなに待たれても、きっとわたしは姿を現さないよ。



「気が済んだら遅くなる前に帰ってね。田舎でも夜になると危ないから」



背中に話しかけたけど、聞こえていないかのごとく無視された。



「さて……と」



ひとりになって、改めて我が家に向き直った。1階のリビングの電気は付いている。

家の前まで足を運んで、門扉を開けるだけでも緊張した。



——あなた、どなた?



勝手知ったる自分の家のはずだ。だけど美子さんに会うなり警戒されて冷たい視線を浴びせられたら……、そんな事態も想像せずにはいられない。


そんなこと、普通に考えたらおかしいはずなのに。


4月に出会ったばかりの苦手な先生や親しくもないクラスメイトとはわけが違う。

紛れもなくここは10年以上の月日を過ごしたわたしの場所。住み慣れた家なのだ。


奇跡が起こるという根拠はどこにもない。

でもそれを思うなら、佐野君たちや草野君が説明したことだって、完全に証明されないことという意味では同じじゃないか。


頭の中で言い訳を繰り返し、自分を奮い立たせた。

門扉を開けて、玄関へと続く敷き詰められた灰色のタイルの上を走る。


勢いのままドアノブに手をかけた。

鍵は——、開いている。



「ただいまー」



いつも通り、ドアを開けて声を張り上げる。

玄関と廊下を仕切る段差の手前には黒い男物の靴が並んでいた。茂さんも帰宅しているようだ。



「おかえりー、ゆっくりだったのね」



扉を隔てた家の奥からの声に、ひとまず安堵。



「うん。友達と話してたら遅くなっちゃって」



このまま1階のリビングに顔を出すのは躊躇われ、紐をほどいて靴を脱ぎ玄関の横にある階段を駆け上った。

自分の部屋に入り後ろ手にドアを閉める。


ベッド、勉強机、本棚——。


わたしが使っていたものは、朝に家を出る前と同じ状態で残っている。

捨てられたものはないようだ。


ならば美子さんと茂さんからわたしが消えていなくても、何の不思議もないよね。

佐野君たちの言ってたことは、高校に限定された現象なのかもしれないし。


確かな証明がなければいくらでも仮説は作れる。


大丈夫。……大丈夫だ。


呪文のように何度も頭の中で呟きながら部屋を出る。

一段一段、慎重な足で階段を下り1階へ。



「おかえり。俺がマリちゃんより早く帰れるなんて、少し新鮮だね」



リビングダイニングのドアを開ければテーブルで新聞を読んでいた茂さんが顔を上げた。

今、マリちゃんと、わたしを見てはっきり言った。



「うん。友達と遊んでたら時間確認するのを忘れてて。遅くなったからバスで帰ってきちゃった」


「それはいいけど、何か食べてきたのかしら。すぐに晩御飯よ」



美子さんが炒め物を盛った大皿をテーブルに置きながら尋ねてくる。



「大丈夫。何も食べてないから、お腹は空いてるよ」



そういやわたしは今日ひとくちも食事をとっていない。

できた手を示す料理から上がる蒸気と、おいしそうな香りによって急に空腹を自覚した。


普通だ。ここにあるのは、いつもと変わらないわたしの日常。今日のことを考えれば、まるで別世界にいるようだ。


……いや、違うか。学校のほうが、わたしにとって異常すぎる別世界だったのだ。


テーブルの、わたしの定位置に腰を下ろす。

すぐ目の前では美子さんと茂さんが互いに向き合う形で椅子に座って食卓につく。


雑談を交わしながらの3人そろった食事風景。

胃は空っぽのはずなのに、食べ物はあまり喉を通ってくれなかった。


気付いたら、おかずをつまもうとするわたしは箸の先が、見えるぐらいに震えていた。


大丈夫、大丈夫……。


何度も繰り返し心で唱える言葉は次第に、わたしを勇気づける力を失う。



「マリちゃん、気分悪いの? あまり食べれて内容だけど」



自身の皿にあるおかずや、茶碗のごはん。

全て半分も食べきらないうちに、美子さんと茂さんは晩御飯を終えてしまった。


……駄目だ。

わたしはもう、食事どころじゃない。


これ以上流され続けるのは、耐えられそうになかった。



コップに満たされたお茶をひとくち喉に通す。

味や匂いが感じられないほど、わたしは緊張いた。


ぎゅっと目を閉じて、空気を思いっきり肺に吸い込む。

息を止めてのろのろと立ち上がり、座っていた椅子をテーブルの下にしまった。


静かに息を吐き出して、わたしは美子さんと茂さんを見つめる。



「マリちゃん?」



空いた皿を持って台所に行こうとした美子さんが、わたしの行動に懸念し椅子に座り直した。


言わなきゃ。


ここで、全部。確かめないと……。



「……約、10年間。今まで育ててくれたことは、とても感謝しています。ふたりがいなかったら、わたしみたいな子ども、生活することも何も、どうすることもできなかった」


「どうしたの? ……急にそんなこと」



きょとんとする美子さんと、無言でこちらを見つめる茂さん。ふたりはいつもわたしに優かった。


感情が高ぶって、息が荒くなる。

呼吸がままならない中、続きの言葉をなんとか振り絞った。



「でも……もう、限界なんです。これ以上このままだと、頭がどうにかなってしまいそうで……。お願いです。本当のことを、教えてください」



深く息をして、美子さんをじっと直視する。左手はスカートの上からポケットに入っている生徒手帳を強く握った。



「あなたたちは、一体……誰、なんですか。わたしの……お、お父さんとお母さんは、今、どこにいるんですか——?」



もしも。



——何を言っているの。マリちゃんのお母さんはわたしでしょう? ——って。



美子さんがそんなことを言うのなら、わたしはこの場で泣き崩れるんだって決めている。


泣いて泣いて、いっぱい泣いて。

ふたりにわたしの頭は日常生活を普通に送れないぐらいおかしくなってしまったのだと、ちゃんと打ち明けよう。


そして明日、美子さんに連れ添ってもらって、病院に行くんだ。


心臓がうるさい。

呼吸音に鼻をすする音。耳に入るのはわたしが出す音ばかりで、しばらくの間ふたりはぴくりとも動かなかった。


茂さんは真顔で口を結んで、一言もしゃべろうとしない。

瞬きもせずにわたしを見ていた美子さんは沈黙の後、微かに首をかしげる。


ゆっくと開かれた唇はやがて弧を描き、美子さんの顔に表情をもたらした。


笑ったのだ。……彼女は。



「……マリちゃんってそういえば、中学校の頃からもうあんまり大きくなってなかったわね?」



いつもと変わらない優しい口調。

世間話をするかのように、美子さんはわたしに言った。



全てを悟る。



これが現実だ。




「……返してよ」



美子さんと茂さんが椅子から立ち上がる。


足が震えた。


涙が頬を伝う。


美子さんが、表情をそのまま一歩わたしに踏み出した。

極度の怒りと悲しみが頭の中で混ざりあい、爆発する。



「——返してよ!!」



叫んだところで、彼女たちの心にわたしの想いは届かない。






実らない。



報われない。





わたしの願いは、叶わない。









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