第6話 KANO⑥ ツンデレ男と慈愛の天使
「ギャャャャャャャ止まれねえぇぇぇぇぇぇぇ」
突拍子もなく、静寂の溜まり場たる保健室に奇怪な悲鳴が響き渡る。
「きゃっ! え⁉︎ え⁉︎ ……え? 」
バーン! という音と共に保健室にロリスが勢いよく転がり込んで来るのを、独りベッドで横になっていたソフィーナは小さな悲鳴をあげながら目を丸くして眺めていた。
扉を破壊するほどの突進で、人類史上初の保健室テロを成功させた張本人は「痛ッ……ああクソ、ここの扉立て付け悪いんじゃねえの? 」などと愚痴をこぼしながらヨロヨロと立ち上がる。
「よう、大人しい方。データスのジジイにお前が呼んでるって言われたからな。超特急で来てやったぜ! あ、別にお前にケガさせた罪悪感があってとかじゃないからな⁉︎ ただちょっと、そう、軽〜く散歩してたからね……」
“なんで自分はこんな発生地不明のツンデレなんて見てるんだろう”……と、思いながらもそれをロリスに気取らせないように出来る限りの作り笑顔で応対する。
「ロリス先輩、わざわざ来ていただいてありがとうございます。あと、私の名前はソフィーナです。ソフィと呼んでください」
ぺこりと小さく一礼をする。
「オーケー。それで? ソフィさんや、俺になんの話なんだ? 」
「はい、ロリス先輩に折り入ってお願いしたいことがあるんです」
澄みきった真摯な眼差しをずいと向けられてさっきまでヘラヘラしていたロリスは急に押し黙る。
「アナスタシアに、皆んなに何か研究させてあげられませんか?もちろん、ロリス先輩の研究している事でいいんです。どうか……」
あまりにもその場の雰囲気からぶっ飛んだお願いに、治療費でもせびられるのではとヒヤヒヤしていたロリスはほっと胸を撫で下ろし顔を綻ばせる。が、それと同時に今度は真面目な顔でソフィーナに質問を投げかける。
「お前さあ、なんか他人のことばかりを助けたがるよな? ちょっと前の昼休みの時もあの……アナスタシア? のこと庇って俺にサンドイッチを迷いなく譲ってたし。今回、俺やお前の親友たちにお前は怪我をさせられたんだから被害者である自分の得になるお願いをすべきなんじゃないのか? 」
ポカンとしているソフィーナにロリスは続ける。
「いやな、俺の昔のダチにそうやって他人ばかり気にかける奴がいてさ。そのせいで謂れのない怨み買ったり、毎日傷だらけになったりしててさ。今そいつが幸せかどうかは知らねえが俺としては……まあ、なんだ、奇特な奴というか危ない奴だったからさ……」
「そうでしたか。なんだか気を遣わせちゃったみたいですみません。ただでさえケガをした私のために超特急で駆けつけてもらってるのに……その上でまた更に心配をおかけしてしまうなんて」
ソフィーナの放つ言葉にはなんだか独特の、それでいて惹きつけられる色香があって……それでいてイヤらしくないのが彼女の器量の良さを表しているというのか、それとも自分がケガをさせた相手だからなのかは当のロリスには見当がつくはずもなく
「いや、そそそそんなんじゃねぇし⁉︎ だから別にお前にケガさせたことを俺はそんなに気にしてないし⁉︎ 別に今のもただの思い出話を勝手にしただけだし⁉︎ 」
ソフィーナはそんなツンデレ口調のロリスに少しの間俯いたまま反応を示さなかったが、ふぅーと短く息を吐くと気まずそうな表情をして頬を紅潮させているロリスに向き合い
「先輩を心配させてしまったから話しますけど、この事は私たちだけの秘密でお願いしますね? 」
と、唇にそっと人差し指を添え、可愛く前置きを一つして話し始める。
「実は私、ちょっと家庭事情が複雑であまり他人に自分の欲しい物とか、して欲しいことをおねだりすることがなかったんです。別に血が繋がってないとか、家庭内暴力を受けているって意味じゃないんですけど……」
ベッドの桃色の掛け布団の端をキュッと掴み、続ける。
「そんな生活の中で私が唯一『こんな事をして欲しい』『こんな事をする人であって欲しい』というお願いを持てたのが近所の友達でした。だから私のお願いは皆んなのーー」
ソフィーナのそんなゆっくりとした力強い語りを遮るかの如くロリスが口を挟む。
「待て待て。やっぱりそれはお前のための願いじゃないだろ?他人にどうあって欲しいかなんて願って自分になんの得があるんだよ? 」
「御言葉ですがロリス先輩。本当のお願いっていうのは自分も含めた周りの人全員が幸せになれる願いのことを言うんじゃないですか? だってーー」
全てを慈しむようなその瞳にロリスは一瞬、時が止まったかのようにも思えた。
それほど、彼女のーーソフィーナの笑顔は美しく、どこか儚げだったのだ。
そんな顔で告げられた次の一言は、ロリスの胸に強く刺さる事になる。今この瞬間も、そしてこれからも。
「だって、私だけが幸せな世界なんて、私は幸せとは思えないから。だから、それを知っている私の幸せは皆んなが幸せに感じることなんです。だからーーロリス先輩。私は、私の親友に夢を掴み取ってもらいたいんです」
ソフィーナの強く心に訴えかけてくる口調にロリスは現実に引き戻される。
「アナスタシアはまだまだ子供な部分もあって、先輩に対して失礼な口をきいたりしているので決して印象がいいとは言えないのは分かっています。でも、私はそんなアナスタシアが大好きだから。どうか……お願いします」
ロリスの心境は納得してなかった。が、なぜかソフィーナのお願いは断り辛いと感じていた。
それは、自分がなにかを忘れている時のような、もやもやしたもので、ロリスの心からいつもの誰かさんの暴言のようにスッと消えてはくれなかった。
それに、ロリスは自分がケガをさせた相手の頼みを断れるほど性根が腐りきった男ではなかった。(腐りかけてはいるが……)
「しゃーねーな。どうせ今のやり方で続けてたらあいつらの不満が爆発してエリサにチクりかねないしな……ところで、ふと気になったんだが……」
ロリスは“やった”と嬉しそうな顔で小さくガッツポーズをしている慈愛の天使をどこか和やかな気持ちで見遣りながら続ける。
「当のお前の親友はここに来たのか? 」
「はい。私がここに運ばれてからずっと一緒に居てくれたんですけど……今ちょうど買い出しに出てくれていて。アナに何かお話でもあったんですか? 」
ロリスはふっと静かに笑うと
「ねーよ。んじゃ俺はあいつとはち合わせる前に退散させてもらうとするわ」
ソフィーナに背を向け扉のなくなったドアから出て行く。
最後に“本当に俺でいいのか”という独り言が聞こえていたが、ソフィーナは敢えて気がつかないふりをしていた。




