第21話 温泉と香辛料
宿へ戻ったコラソンたちは、それぞれの部屋で休んでいた。
今日一日の出来事を思い返せば、身体だけでなく頭も疲れている。
コラソンはベッドに腰掛け、ぼんやりと天井を見上げていた。
――アリスって言ったかな?
どうしても、あの少女のことが頭から離れない。
あの時のあの子の表情。
何かを必死に耐えているように見えた。
小さく呟く。
敵なのか。
それとも――。
「……分からない…」
考えていても答えは出ない。
「……温泉でも入ってくるか」
部屋を出て、ぶつぶつ言いながら浴場へ向かう。
身体を洗い、湯船へゆっくりと身体を沈める。
「はぁ~~……いい湯だなぁ……」
「たまらんっ…」
温かい湯が身体を包み込み、今日一日の疲れが抜けていく。
「あの子のことも……明日考えればいいか」
目を閉じる。
その時だった。
「――あれ?」
聞き慣れた声がした。
「みんなも温泉来たんだ」
コラソンは目を開ける。
「……ん?」
しかも、すぐ近くから聞こえる。
女湯はあの岩の壁の向こうのはず…。
コラソンがいる岩陰の裏に聞き覚えのある五人の声
コラソンはゆっくりと周囲を見渡した。
壁。
入口。
そこに掛けられていた札。
『女湯』
「…………」
時間が止まった。
「…………え?やってしまった…。」
よく行ってた銭湯の男湯の入り口が左だったので
無意識に左へ入ってしまった。
自分が今いる場所を理解した瞬間、コラソンの顔が一気に
赤くなる。
「う、うわああああああっ!!」
慌てて立ち上がり、脱衣所へ駆け出す。
「えっ?コラソン!?」
「なぜここに!?」
女性陣の声が飛び交う。
ふと目が見てはいけないものを見てしまった。
普段の着衣からは想像できない優しい曲線美。
もちもちした透き通った肌。
初めて見る女性の体に耐えきれず鼻血が飛び出す。
その勢いで脱衣所まで吹っ飛んだ。
「意識が飛びそうだ…。」
そして――。
バタッ。
「飛んだ…。」
その場で気絶した。
「コラソンッ!大丈夫?」
しばらくして。
「……コラソン?」
メルが赤い顔で心配そうに顔を覗き込む。
「大丈夫?」
エマも隣に座っていた。
「まだ起きないね……」
動揺しならもアルファがコラソンを部屋まで運んでくれた
やがて――。
「……ん」
コラソンの目が開く。
「………!!?」
「コラソン!」
メルが嬉しそうに声を上げる。
「よかった……!」
エマもほっとしたように息を吐いた。
「よかった。目が覚めた」
コラソンはさっきの光景を思い出して二人の顔を
まともに見れない。
そこで、何かがおかしいことに気づいた。
――近い。
いつもより二人との距離が近い。
そして二人とも、頬が赤い。
「……?」
「二人とも、どうしたんだ?」
「え?」
「どうしたって……」
「いや……なんか顔赤くない?」
「そ、そうかな?」
メルは視線を逸らした。
そして、もう一度コラソンを見る。
「コラソン、大丈夫?」
「大丈夫だけど……」
メルがコラソンの肩にそっと手を置く。
「本当に?」
「う、うん」
メルはいつもより距離が近い。
「よかった……」
さらに近づいてくる。
コラソンは思わず後ろへ下がった。
(……メルって、こんな大人っぽかったっけ?)
(浴衣みたいな服のせいかな…?)
ふわりと漂う甘い香り。
コラソンの心臓が跳ねる。
「……ドキッ」
「ねえ、コラソン」
「な、何?」
メルがコラソンの目の前まで顔を近づける。
「私のこと……嫌い?」
「え?」
「ねえ」
メルはじっとコラソンを見る。
「私のこと、嫌い?」
「いや、そんな急に言われても……」
「ねえ?私は好きだよ…。」
――――っ!!??
「嫌い?」
コラソンの顔が真っ赤になる。
「俺はメルのこと……す、す、す、す――」
「……?」
「スースー……」
「……寝た?」
メルはそのまま、こてんと眠ってしまった。
コラソンは固まった。
「…………」
「メル?」
返事はない。
「寝ちゃったのか……」
コラソンが苦笑する。
その時だった。
背中で――。
「スースー…。」
エマが寄りかかっていた。
「……?」
コラソンは振り返る。
そこにはエマがいた。
どうやらコラソンの背中に寄りかかったまま、いつの間にか眠っていたらしい。
「……すぅ……」
「エマまで……」
コラソンは困ったように笑った。
「今日はみんな疲れてたんだな」
二人を起こさないように、そっと身体を動かす。
そして、そのまま静かな夜が過ぎていった。
翌朝。
宿を出たコラソンたちは、ギルドへ向かっていた。
昨日の温泉での事顔を赤くしたお姉さん3人にこっぴどく怒
られた事は言うまでもない…。
「……」
「……」
妙に静かだった。
コラソンもメルも、昨日のことを意識している。
メルは時々、ちらりとコラソンを見る。
そしてすぐに視線を逸らした。
「……コラソン」
「ん?」
「昨日のこと……」
「……昨日?」
コラソンも分かっている。
だが、恥ずかしくて話を逸らした。
「温泉ではごめん…。」
「……そこじゃない」
「え?」
メルの頬が赤くなる。
「私……昨日、コラソンに……」
言葉が続かない。
昨夜の記憶はところどころ曖昧だ。
それでも、自分がコラソンに何かを言ったことだけは覚えている。
「……」
メルは胸に手を当てた。
ドキドキする。
(私……昨日、コラソンに何を言ったんだろう)
そして、思い出そうとするほど顔が熱くなっていく。
コラソンもまた、顔を赤くしていた。
(メル昨日好きって言ったよね?)
(俺も昨日……何を言おうとしたんだよ……)
二人は互いを意識したまま歩いていく。
その少し後ろでは、エマが大きなあくびをしていた。
「……眠い」
フレーレ
「エマ、昨日ちゃんと寝た?」
「うん……でも、昨日の料理を食べてから、すごく眠くなった」
「料理……?」
コラソンが首を傾げる。
アルファ
「昨日酒場で牛串の香草焼きがあっただろ?」
セリナ
「昨日の料理には、この地方で香辛料として使われる薬草
酔香草が使われていたんですよ。」
「少量なら料理の香りを引き立てる程度なんですが、
体質によって はお酒に酔ったような状態になることがあ
るらしいですよ。」
「メルちゃんもエマちゃんも成人してるから大丈夫だと
思ったんですが…。」
「あれだけ食べれば無理もないかもです…。」
メルエマ
「だって美味しかったんだもん」
「みなさんー!」
前方からミオが駆けてきた。
「ギルドへ急いでくださいニャ!」
「何かあったのか?」
ミオの表情は険しかった。
「街の様子を見に行っていたパーティが帰還したニャ」
「それなら――」
「……いや違うニャ」
ミオが言葉を止める。
「帰ってきたのは、一人だけニャ」
「……!」
コラソンたちは急いでギルドへ向かった。
ギルド内には、多くの冒険者が集まっていた。
その中心に、一人の獣人が座っている。
全身傷だらけ。
鎧は砕け、血にまみれていた。
「……あの人は?」
コラソンが尋ねる。
ファングが答えた。
「シルバーファミリアのS級冒険者……ハウンドだ」
「S級……」
ハウンドは今回、街周辺の調査に向かったパーティ、シルバ
ーファミリアのリーダーだった。
しかし――。
「他の人たちは?」
メルが聞く。
ファングは静かに首を横に振った。
「……全滅だ」
ギルド内が静まり返る。
ハウンドが苦しそうに口を開いた。
「……魔獣だ」
「魔獣?」
「ああ……キングベアだ」
周囲からざわめきが起こる。
キングベア。
キルベアの上位種。
強力な魔獣ではある。
だが、S級パーティが壊滅するほどの相手ではない。
ハウンドも、それを理解していた。
「普通のキングベアなら……俺たちでも倒せた」
拳を握る。
「だが……あれは違った」
その目には、恐怖が浮かんでいた。
「ただのキングベアなんかじゃなかった」
コラソンの脳裏に、グラトニックウルフの姿が蘇る。
――まただ。
普通の魔獣では説明できない異常。
「何があったんです?」
コラソンが尋ねる。
ハウンドはゆっくりと語り始めた。
「俺たちは村へ向かっていた」
「村へ?」
「ああ。だが、その途中で異変が起きた」
村から数キロ離れた森の空に黒い魔法陣が現れた。
そして突然現れた100は越えようかと言う数の
キルベアそしてキングベア。
異常な力。
異常な速度。
傷を負っても止まらない。
まるで理性を失ったように、仲間たちへ襲いかかった。
「俺たちは戦った」
ハウンドが唇を噛む。
「だが……勝てなかった」
S級パーティですら、太刀打ちできなかった。
「俺は死を覚悟した…。」
「その時離れた森の奥で何かが光った…。」
「キングベアはそっちに気を取られ隙をつき俺は逃げれ
たんだ…」
「森の光…?」
コラソンはハウンドの傷を見つめる。
「まず、治します」
「……治す?」
コラソンが手をかざす。
淡い光がハウンドを包み込んだ。
裂けた傷が、みるみる塞がっていく。
血が止まり、傷口が消えていく。
周囲の冒険者たちが息を呑む。
ハウンド自身も驚きを隠せない。
「……これは……ヒールのレベルじゃないぞ」
コラソンは何も答えず、ハウンドを見る。
「続き……聞かせてもらえますか?」
「ああ……」
ハウンドは頷いた。
「そしてもうひとつ…。」
「キングベアの群れは、森にいたのではなくどこかから召喚
されたように見えた」
「召喚魔術で、あれだけの数の魔獣を……?」
ファングが眉を寄せる。
ハウンドは静かに頷いた。
「そうだ。あれほどの数を一度に召喚するなど、常人に成せ
ることではない」
「……」
部屋の中に重い沈黙が落ちた。
ハウンドは、さらに言葉を続ける。
「幸運だったのは……キングベアの群れが現れた場所が、
村から数十キロも離れていたことだ」
「……数十キロ?」
メルが呟く。
コラソンたちは顔を見合わせた。
もし、あれほどの数のキングベアが村のすぐ近くに
現れていたら。
考えるまでもない。
村は、跡形もなく消えていただろう。
「ギルド長室へ来てくれ」
ファングが立ち上がった。
「ここでは話しにくい」
ギルド長室。
部屋に入ると、ファングは扉を閉めた。
そこにはハウンドと数名のギルド関係者。
そして、コラソンたちがいた。
「……ここから先は、普通の魔獣被害の話ではない」
ファングが口を開く。
コラソンは一度、メルとエマを見る。
そして、小さく頷いた。
「話しておいた方がいいと思う」
「何をだ?」
ハウンドが尋ねる。
コラソンは真っ直ぐに彼を見る。
「……悪魔の存在についてです」
「悪魔……?」
その言葉に、ハウンドの表情が固まった。
ファングも眉をひそめる。
「悪魔って……あの御伽話の?」
「俺たちは、実際に悪魔と遭遇しました」
「……」
誰も言葉を発しない。
コラソンは、これまでに分かっていることを話した。
魔族。
悪魔。
そして、魔王復活のため人間の負の感情と魔石を利用して
る事。
キングベアの異常な出現。
召喚されたと思われる魔獣の群れ。
それらが偶然ではないこと。
話を聞き終えたハウンドは、しばらく黙っていた。
「……正直、信じられん」
「そうですよね」
コラソンも否定しなかった。
悪魔など、普通なら信じられる話ではない。
「だが……」
ハウンドが腕を組む。
「もし、本当にそんな得体の知れない
存在がいるのだとしたら……」
ハウンドは、先ほど聞いたキングベアの話を思い返す。
突然現れた群れ。
異常な数。
そして、召喚魔術の可能性。
「今回の件も……説明はつく」
ファングが低く呟いた。
「キングベアを意図的に召喚した者がいる……
そう考えればな」
コラソンは頷いた。
「村が心配です、まずはキングベアを討伐します」
「賛成だ」
ファングが即答する。
すると――
「俺も行かせてくれ…。」
「一緒にやってきた仲間なんだ、放置するわけにはいか
ん」
ハウンドが立ち上がった。
「仲間の弔いがしたい」
その言葉に、部屋の空気が変わる。
ハウンドは拳を握り締めた。
「俺たちの仲間を奪った魔獣だ。せめて、この手で決着をつ
けたい」
コラソンはハウンドの目を見る。
そこにあるのは怒りだけではなかった。
仲間を失った者の悲しみ。
そして、その死を無駄にしたくないという覚悟。
「……分かりました」
コラソンは頷いた。
「一緒に行きましょう」
た。
――その様子を。
一人の少女が、じっと見つめていた。
フリル。
ギルドの隅で、ハウンドの話を一部始終聞いていた。
キングベア。
暴走。
異常な魔獣の群れ。
そして――
何かがおかしいという感覚。
フリルは小さく拳を握った。
「……」
コラソンたちが外へ出ていく。
フリルは椅子から立ち上がった。
そして――
そのまま走り出した。
「待って!」
外へ出たコラソンたちが振り返る。
そこには、息を切らしたフリルがいた。
「フリル?」
コラソンが驚く。
フリルは肩で息をしながら、必死に言葉を紡ぐ。
「僕も……連れてって」
「駄目だ」
即答だった。
「キングベアを相手にするんだ。遊びじゃない」
メルも心配そうにフリルを見る。
「危ないよ……」
エマも頷く。
「本当に危険だと思う」
フリルは俯いた。
昼間の明るい笑顔はない。
小さな身体を震わせながら、それでも顔を上げる。
「お願い……」
「僕も行かなきゃいけないんだ」
「どうして?」
コラソンが尋ねる。
フリルは答えられなかった。
まだ言えない。
フリルは暴走した魔獣の影を思い出す。
そして今回のキングベアの異常も、もしかすると無関係では
ないのかもしれない。
確かめたい。
けれど、それを今ここで話すことはできなかった。
「……分からない」
フリルは苦しそうに呟く。
「でも……僕、確かめたいんだ」
その必死な表情を見て、コラソンは黙り込む。
ただ同行したいと言っている顔ではなかった。
何かを背負っている。
そんな目だった。
しばらくして、フリルが続ける。
「それに……僕、近道を知ってる」
「近道?」
「うん」
フリルは街の外を指差した。
「普通の道を行くより、ずっと早く着けるよ」
アルファがフリルを見る。
「……本当に?」
「僕はこの辺りをずっと走り回ってきたから」
フリルは頷いた。
「お願い。僕も連れてって」
コラソンはしばらくフリルを見つめていた。
そして――
小さく息を吐く。
「……分かった」
「コラソン!」
メルが声を上げる。
コラソンはメルに向かって微笑んだ。
「フリルには、何か理由があるんだと思う」
そしてフリルを見る。
「ただし、絶対に俺たちから離れない様にね!」
「……うん!」
フリルの顔に、ようやく笑顔が戻った。
「ありがとう!」
こうして――
コラソンたちは、キングベア討伐へ向かう。
時は遡り前日―――
キングベア出現の夜
アストリア王国。
王都の遥か地下。
巨大な空間。
その中央には、漆黒の円卓が置かれていた。
七つの椅子。
そのすべてに、異様な気配を纏う者たちが座っている。
――七魔皇。
その一人、マルギスが口を開いた。
「あのガキの捕獲はどうなってる?」
アリスの紫色の瞳が僅かに揺れる。
だが、すぐに表情を戻した。
「まだ捕まえていません」
「まだ?」
「お前の能力なら容易く見つけられる筈だが…」
マルギスが不機嫌そうに眉を寄せる。
「獣人の街にいるんだろ?」
「はい」
アリスは淡々と答える。
「ですが、正確な場所までは……」
嘘だった。
アリスは知っている。
フリルがどこにいるのか。
だからこそ――
正確な場所を教えるわけにはいかなかった。
マルギスは少し考えた後、アリスを見つめる。
「まずは首都以外の村から壊しエネルギーを集める。」
愉快そうな笑みを浮かべる。
「人間どもが築き上げたものを、一つずつ潰していく」
そしてマルギスは、アリスへ視線を向けた。
「お前、村の場所は分かるな?」
アリスは静かに頷く。
「はい」
正確な村の位置も、街の位置も分かっている。
だからこそ――
アリスは一つの村を思い浮かべた。
しかし。
それを、そのまま伝えることはしない。
「……この地点です」
アリスは、村から数キロ離れた地点を示した。
「ここに村があります」
嘘だった。
正確な位置から、わざと外している。
少しでも遠ざけるため。
少しでも被害を減らすため。
アリスは表情を変えない。
マルギスは疑うことなく頷いた。
「よし」
「キングベアを送る」
マルギス魔法陣を発動。
「キングベアを転移させた。」
アリスは黙ってそれを見ていた。
――これでいい。
――異変に気づいて逃げれるかもしれない。
そう思った、その時。
マルギスが笑った。
「今頃、村は大混乱だろうな」
「……」
アリスは何も答えない。
マルギスは椅子から立ち上がった。
「村を見て来い!」
そしてアリスを見る。
マルギスは笑う。
「お前が場所を教えたんだ。最後まで見届けろ」
「そしてガキを見つけて来い!」
アリスは一瞬だけ目を伏せる。
――フリル。
どうか、無事でいて。
胸の中でそう願いながら。
「……分かりました」
アリスは立ち上がった。




