第二話 二度目のデートは手を繋ぐところから
あの『薔薇園の壁ドン(物理破壊音付き)』から一週間。
王宮内では、フェリシアとダニエルの仲について、とんでもない噂が一人歩きしていた。
「聞いたか?王太子殿下は、フェリシア様を壁に叩きつけるほどの激しい情熱をお持ちだとか」
「いや、逆にフェリシア様が殿下を突き飛ばしたという説もある。なんでも『貴方のリードは退屈だわ』と仰ったとか……」
「……不仲なのか?それとも愛憎劇か?」
噂は尾ひれがつき、いつしか『二人は互いの奔放な異性関係を許容し合う、冷え切った仮面夫婦になるつもりだ』という結論に達していた。
そんなこととは露知らず。
当の二人は、自室で悶絶していた。
「……死ぬ。昨日の『退屈だわ』っていう演技、やりすぎた……。本当は心臓が口から出そうだったのに!」
フェリシアはベッドの上でゴロゴロと転がり、枕に顔を埋めた。
「でも、あんなに手慣れた殿下に『ウブだと思われたら』、即座に捨てられてしまうわ!強く、もっとエロティックに振る舞わなきゃ……!」
一方、ダニエルもまた、自室で己の拳を鍛えていた。
「……クソッ、壁ドンで石柱を砕いたのは失敗だったか。野蛮だと思われたに違いない。次はもっと『大人の余裕』を見せなければ。そうだ、あえて他の女に囲まれている姿を見せて、嫉妬を煽る……これだ!本に書いてあった『嫉妬は恋のスパイス』作戦だ!」
そんなズレまくった二人が出席した、婚約披露を兼ねた夜会。
会場には、二人の『遊び人』という噂を聞きつけた、本物の遊び人(自称・恋の狩人)たちが集まっていた。
「……あら、殿下。お一人?フェリシア様はあちらで殿方と楽しそうになさっているわよ?」
妖艶な伯爵令嬢がダニエルに擦り寄る。
彼女はダニエルを『自分と同じ人種の遊び人』だと信じて疑わず、あわよくば愛人の座を狙っていた。
「……ふん、構わないさ。僕も、君のような美しい薔薇と話す方が有意義だからね」
(助けて!香水の匂いがきつい!鼻がムズムズする!くしゃみ出そう!)
ダニエルは、震える膝を必死に抑え、キザなポーズでシャンパングラスを傾けた。
一方、フェリシアの方にも、王国一のプレイボーイと名高い子爵が忍び寄っていた。
「フェリシア様。あのような冷淡な王太子より、僕の方が貴女を『満足』させられる自信がありますよ……?」
「っ……!?」
(ひいいいい!指!指が触れた!洗わなきゃ!違う、今は『魔性の女』よ!)
子爵がフェリシアの手を取り、その甲に不躾にキスを落とそうとした。
フェリシアは引き攣った笑顔を浮かべ、わざとらしくため息をついた。
「あら、子爵。そんな直球な誘い、私には少し刺激が足りないわ。もっと、こう……ゾクゾクさせてくださる?」
(言っちゃった!何よ『ゾクゾク』って!私が一番ゾクゾク(恐怖)してるわよ!)
その時。
『嫉妬作戦』を遂行中だったダニエルの視界に、手を握られているフェリシアが映った。
(……え?なに、あの男。フェリシアの手、握ってる?え、キスしようとしてる?)
ダニエルの頭の中で、何かがパチンと弾けた。
嫉妬作戦?大人の余裕?そんなものは消し飛んだ。
同時に、フェリシアもまた、令嬢に密着されているダニエルを見てしまった。
(……嘘。殿下、あんなに嬉しそうに鼻の下を伸ばして……(※実際はくしゃみを耐えている変顔)。やっぱり、私みたいな『演技派の初心者』じゃ、あの肉食系女子には勝てないんだわ……!)
二人の視線が、会場の端と端でぶつかった。
そこにあるのは、もはや演技ではない、本物の絶望と悲しみ。
「……不仲の噂は、本当だったようだな」
周囲の貴族たちがヒソヒソと囁く。
「……ふん、失礼するよ。空気が淀んできたからね」
ダニエルは令嬢の手を振り払い、会場を飛び出した。
「わ、私も……少し風に当たってくるわ!」
フェリシアもまた、子爵の手を跳ね除け、ドレスの裾を翻して走り去る。
向かった先は、あの日壊した石柱のある、あの薔薇園だった。
フェリシアは、折れた石柱の陰で膝をつき、ドレスが汚れるのも構わず顔を覆っていた。
「……バカみたい。私、何やってるの……」
『夜の女王』なんて大嘘だ。
本当は、男性に手を握られただけで心臓が止まりそうになるし、耳元で囁かれたら腰が抜ける。
でも、あの美しすぎるダニエル殿下に釣り合うのは、同じくらい酸いも甘いも噛み分けた『大人の女』だけだと思い込んでいた。
「殿下は……あの伯爵令嬢と、今頃……っ」
「……何をしているんだ、君は」
聞き覚えのある、重低音のセクシーボイス。
フェリシアが弾かれたように顔を上げると、そこには肩で息を切らし、髪を振り乱したダニエルが立っていた。
フェリシアは慌てて涙を拭い、また『魔性の女』の仮面を被ろうとした。だが、ダニエルの様子がいつもと違う。
「で、殿下……!?なぜここに……あちらでレディたちと『火遊び』を楽しんでいらしたのでは?」
「火遊び!?ふざけるな!あんな香水のきつい女たちに囲まれて、俺がどれだけ命の危険を感じたと思っているんだ!」
「え……?」
「……あ、いや、今の言動は忘れてくれ。……とにかく!君こそさっきの男は何だ!あのチャラついた子爵!あんなにニヤニヤして、君の手に……手に、その……汚らわしい!」
ダニエルは、まるで子供のように顔を真っ赤にして怒鳴った。
いつもの『余裕たっぷりの微笑み』はどこへやら、今の彼はただの『好きな子を奪われそうになってパニックの少年』である。
「そ、そんなの……社交界の嗜みでしょう?殿下だって、もっと激しい遊びを夜な夜な……」
「してない!!」
ダニエルの絶叫が薔薇園に響き渡った。
「夜な夜な!?俺が夜に何をしていたか教えてやろうか!腹筋だ!背筋だ!あとは『絶対に滑らない口説き文句100選』という怪しい本を暗記して、鏡の前で練習していたんだよ!」
「…………えっ?」
フェリシアの思考がフリーズした。
今、この超絶イケメン王太子は何と言った?腹筋?暗記?
「……俺は、君に一目惚れしたんだ!でも君があまりに色っぽくて、経験豊富そうで……俺みたいな『恋愛経験値:スライム級』の男じゃ相手にされないと思って……必死に『遊び慣れてる男』のフリをしてたんだよ!」
ダニエルは、もはやヤケクソだった。
彼はフェリシアに歩み寄り、今度は壁ではなく、彼女の肩をがっしりと掴んだ。
「……本当は、さっきの手へのキスだって、見てるだけで気が狂いそうだった。君に触れていいのは俺だけだ!……と言いたいが、実は俺、まだ女の子と手を繋いだことすらないんだ……。笑いたければ笑え!これが『絶倫王太子』と噂された男の正体だ!」
静寂が流れた。
薔薇園を渡る風の音だけが聞こえる中、フェリシアの目から、ぽろりと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「……フェリシア?ごめん、やっぱり引いたよな、こんなウブな男……」
「……う、うわあああああああん!」
「ええっ!?なんで泣くんだ!?」
フェリシアはダニエルの胸に顔を埋めて、子供のように泣きじゃくった。
「よかったぁぁ!私だって、私だってそうなのよ!毎日『誘惑のテクニック』なんて本を読んで、どうすれば殿下に飽きられないか必死だったんだから!本当は男性と二人きりになるだけで怖くて、生きた心地がしなかったのよぉ!」
「……え?君も……未経験なのか?」
「当たり前じゃない!私が知ってる『夜のテクニック』なんて、全部小説の受け売りよ!実践なんて一つもしてないわよ、このバカ殿下ぁ!」
二人は、月明かりの下で互いの『ピュアすぎる真実』をぶちまけ合った。
あんなに格好つけていた壁ドンも、あんなに妖艶だった微笑みも、すべては『相手に嫌われたくない』という一心で作り上げた、涙ぐましい偽物だったのだ。
「……なんだ。俺たち、世界一のバカだな」
ダニエルが、ふっと力が抜けたように笑った。
その笑顔は、これまでの『作り込まれたセクシーな微笑』よりも、何万倍も輝いて見えた。
「……そうね。本当に、バカだわ……」
フェリシアも、鼻をすすりながら笑った。
ようやく、重たい『遊び人』の仮面が剥がれ落ちた。
「……フェリシア。もう、演技はやめよう。俺は、ありのままの君が好きだ。……だから、その……。あー、ええと……」
ダニエルは、真っ赤な顔で視線を泳がせた。
そして、恐る恐る、壊れ物に触れるような手つきで、フェリシアの小さな手を包み込んだ。
「……まずは、手を繋ぐところから、始めてもいいかな?」
「……ええ。よろしくお願いするわ、ダニエル様」
フェリシアは、顔が沸騰しそうなほど赤くなったが、しっかりと彼の手を握り返した。
翌朝、王宮にはさらなる噂が流れた。
「王太子殿下と王女様が、朝まで薔薇園で手を繋いで立ち尽くしていた。あまりにピュアなオーラが出ていて、誰も近づけなかった」と。
不仲説はどこへやら。
そこには、世界で一番美しくて、世界で一番奥手な、新婚(予定)カップルの姿があった。
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