第三話 初夜は名前を呼んで、見つめ合うところから
結婚式という一大イベントを終え、二人はついに正真正銘の夫婦となった。
豪華な寝室。キャンドルの灯りが揺れる中、広いベッドを前にして、二人は直立不動で固まっていた。
「……ふっ、フェリシア。ついに、この時が来たね。僕の情熱で、君を溶かしてしまわないか心配だよ(棒読み)」
ダニエルは、新郎衣装のネクタイを緩めながら、かつてないほど震える声で言った。
心の中では(助けて!『溶かす』って何!?どの程度の温度!?沸騰!?物理現象の話!?)と絶叫中である。
「ええ……。殿下……いえ、旦那様。お手柔らかに……お願い……するわ……(小声)」
(……無理!この沈黙、耐えられない!私の経験値じゃ、この後の展開を『アドリブ』でこなすなんて不可能よ!)
フェリシアも、いつもの妖艶な微笑みはどこへやら、顔を真っ赤にして床の絨毯の模様を必死に数えている。
二人は同時に、ガバッと背後の棚や枕の下に手を伸ばした。
「「……あ」」
二人の手が、それぞれ隠し持っていた『禁断の書』を掴み、空中でぶつかった。
ダニエルが持っていたのは、『決定版:愛妻を悶絶させる夜の作法・上巻』。
フェリシアが持っていたのは、『愛され王妃のたしなみ:一夜で夫を虜にする四十八の手法』。
「…………」
「…………」
気まずい沈黙が流れる。
先に口を開いたのはダニエルだった。
「……フェリシア。……その、四十八の手法っていうのは……これからやるのか?」
「……ギ、ダニエル様こそ、上巻ということは、中巻と下巻もあるのかしら……?」
二人は数秒間、お互いの本と顔を見比べ……そして、同時に崩れ落ちた。
「もうダメだ!フェリシア、ごめん!俺、やっぱり『本』がないと、何から手をつけていいか分からないんだ!ズボンの脱ぎ方すら、どのタイミングが正解か書いてないんだこの本!」
「私もよ!『恥じらいつつ誘え』って書いてあるけど、恥じらってたら誘えないし、誘ってたら恥じらえないわよ!矛盾してるわ、この参考書!」
二人はベッドの端に並んで座り、それぞれの本を床に投げ出した。
豪華な初夜。甘い雰囲気。
そんなものは、自分たちの『真面目すぎる性格』の前では無力だった。
「……なあ、フェリシア。俺たち、やっぱりカッコつけるの、もう完全にやめないか?」
ダニエルが、情けないほど情けない顔で笑った。
「そうね……。私、殿下の前で『いい女』でいようとするの、疲れちゃった。……本当の私は、殿下が隣に座るだけで、指先が冷たくなるくらい緊張しちゃう、ただの頭でっかちな女なの」
「俺もだよ。君の髪が頬に触れるだけで、心臓がバクバクして、倒れそうになる」
ダニエルは、震える手でフェリシアの肩を抱き寄せた。
本に書いてあるような、スマートな『抱き寄せ方』ではない。
ぎこちなく、力が入りすぎて、少し痛いくらいの、不器用な抱擁。
でも、その体温は、どんな恋愛教本に書かれた言葉よりも熱かった。
「……マニュアル、読みますか?」
フェリシアが、彼の胸元でクスクスと笑いながら聞いた。
「……いや。今日は、一ページ目だけでいい。……『名前を呼んで、見つめ合う』。これだけで、一晩かかりそうだ」
ダニエルは、彼女の額に優しくキスをした。
今度は鼻もぶつからず、完璧な角度だった。
フェリシアは目を瞬かせ、それから小さく笑った。
「……殿下」
「もう殿下じゃないだろう」
「……ダニエル様」
名前を呼ぶだけで、喉が震えた。
それでも、今度は誤魔化さなかった。
「私、ずっと思っていたの。貴方の隣に立つなら、強くて、余裕があって、何でも知っている女じゃないといけないって」
「俺もだ。君の隣にいるなら、百戦錬磨で、揺るがなくて、完璧な男でなければならないと」
ふたりは顔を見合わせる。
どちらの仮面も、もうない。
「……でも、そんなもの、いらなかったな」
「ええ。本当に」
ダニエルは、今度は迷わず彼女の手を握った。
本に書いていない強さで。
「俺は、虚勢を張る君より、震えている君のほうが好きだ」
「私も。完璧な王太子より、石柱にヒビを入れて泣きそうになる貴方のほうが好き」
今度は演技ではない、素直な笑いだった。
「……じゃあ、今日はこれで十分だな」
「ええ。手を繋ぐところから、やり直しましょう」
月明かりの下、絡めた指先だけが、確かな約束だった。
翌朝——
侍女たちが部屋に入ると、豪華なベッドの端で、しっかりと手を握り合ったまま眠る二人の姿があった。
投げ出された教本には、付箋と赤ペンの跡がびっしりと残っていたが——
そのどのページよりも、昨夜の一歩のほうが、ずっと確かなものだった。
最後までお付き合いありがとうございました。
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