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プロレス・ガール  作者: Tohna
増長と没落
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60/63

VOL.60 遺言のリング。絶望の底で見つけた「ただ一つの武器」

 悠馬くんと火浦の死闘の熱気がまだ色濃く残る、代々木競技場のリング。


 世にも珍しい男女プロレスの共同興行。


 次なる決戦の舞台へと歩みを進める私、冬城夏南の隣には、セコンドとしてド派手なシャツを着た源田さんがついていた。


 ふとリングサイドを見ると、メインイベントを控えているはずのアシュラさんがセコンド用のパイプ椅子にどっかりと座り込んでいる。


「アシュラさん……出番は次ですよね? 控室で休んでいなくていいんですか?」


「お嬢さん。東プロ(うち)の坊主が命懸けで繋いだバトンだ。お嬢がどうやって帝プロの女帝に落とし前をつけるか、特等席で見届けさせてもらいますぜ」


 アシュラさんの不器用なエールに、私は小さく頷いた。


「坊主が最強と呼ばれる男に勝ったんだ。俺はまだ坊主に負けちゃいねえ。帝プロのメインイベンターなんぞ、秒で蹴散らしてくれるわ」


 火浦をメインに持ってこなかったのは、単純に悠馬くんの格を慮っての事だと私にも分かった。


 帝国プロレスに、火浦健吾を超越するレスラーなんていない。

 

 アシュラさんの余裕は私の安心にも繋がったの。


 そして、ロープを跨ぐ直前、私は振り返って源田さんに深く頭を下げた。


「源田さん。ごめんなさい」


「あァ?」


「私が勝手に無制限マッチなんて受けたせいで、負けたら『プロレス小町』は帝プロに吸収されて、スガハラの戦略事業も潰れちゃう。本当に、勝手なことをして……」


 私が謝罪の言葉を口にした瞬間。


 源田さんは「くくっ」と喉の奥で笑い、やがて腹を抱えて大きな声で笑い始めた。


「戦略事業だァ? お前、俺がそんなみみっちい金儲けのために、お前ら素人を集めてプロレス団体なんて作ると思ってたのか?」


「え……?」


 私が顔を上げると、源田さんはいつもの胡散臭い笑顔を消し、静かに、だが熱を帯びた瞳で私を見つめた。


「夏南。お前の親父……ビースティー冬城が死ぬ間際、病室で俺に何を言ったか知ってるか」


 源田さんは、ぽつりぽつりと、遠い過去を思い出すように語り始めた。


「親父さんはな、今際の際でこう言ったんだ。『夏南が心配で俺は死ねねえよ。でも、もしその時が来たら源田(お前)に夏南を託す。必ずレスラーにしてくれ。あいつは、俺と冴子の遺伝子を持っている。レスラーになるべくして生まれてきたんだ』ってな」


 心臓が、大きく跳ねた。


 お父さんが、そんなことを……?


「俺は東プロには入らなかったが、帝国プロレス時代にあの人に受けた恩と、この約束だけはずっと忘れちゃいなかった。お前をリングに立たせるためだけに、スポンサーを集め、スガハラの名前を使い、お前のための団体『プロレス小町』を立ち上げたんだ」


 源田さんは、私の背中をドンッと力強く叩いた。


「だから、会社の命運なんて気にするな。これは最初から、お前のためだけに用意されたリングだ。お前の好きに戦ってこい!」


 目頭が熱くなる。


「スガハラの社長も、かつてはビースティー冬城のタニマチをやってたんだ(笑)。反対なんてするもんか」


 私は一人じゃなかった。


 お父さんの遺言、お母さんの血、悠馬君の技術、そして源田さんの執念。


 すべてが私をこのリングへと押し上げてくれていたのだ。


「……はいっ!!」


 私は涙を拭い、コーナーポストへと駆け上がった。


 対角線の赤コーナーには、黒と金のガウンを羽織ったAJGPWの頂点、ジュリー杉崎が冷酷な目で私を見据えていた。


「カン、カン、カン!!」


 ついに、プロレス小町の、そして私自身の運命を決めるゴングが鳴り響いた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「ハァッ!!」


 試合開始直後、ジュリーさんが放ったソバット(後ろ蹴り)が私の鳩尾(みぞおち)に突き刺さった。


 呼吸が止まり、くの字に折れ曲がったところに、容赦のないエルボーの連打が降り注ぐ。


(速い……! 重い……っ!!)


 悠馬君と特訓した「脱力」で衝撃を受け流そうとするが、ジュリーさんの攻撃は点ではなく「面」で襲ってくるような圧倒的な圧力があった。


 関節の遊びを作る隙すら与えられない。


 投げられ、蹴られ、絞め上げられる。


 私の身体は、まるで暴風雨に巻き込まれた木の葉のように、リングの上で徹底的に痛めつけられていった。


 バァァァンッ!!


 強烈なジャーマン・スープレックスで投げ捨てられ、私は後頭部からマットに沈んだ。


(……やれることは、やった。悠馬君と、血を吐くような特訓もした。でも……)


 霞む視界の中で、私は絶望的な実力差を痛感していた。


 (まだ、全然足りなかったんだ……)


 ジュリーさんは、完璧だった。


 技のキレ、スタミナ、スピード、すべてにおいて一点の曇りもない「完成された芸術品」。


 付け入る隙など、どこにもないように思えた。


 ジュリーさんが、トドメを刺すべく私を見下ろしている。


 その瞳は、絶対的な自信に満ち溢れ、孤高の光を放っていた。


 一方で私に対する憐憫のニュアンスも感じ取られた。


 ――孤高?


 その時、私の頭の中にふと、ある閃きが舞い降りた。


 ジュリーさんの瞳には、迷いがない。他者を寄せ付けない、一人で完成された頂点の輝き。


(……見つけた)


 私は、マットに口の中が切れて出た血を吐きながら、ゆっくりと口角を上げた。


 私が持っていて、ジュリーさんが持っていないもの。


 それは、「未完成であることの強さ」だ。


 ジュリーさんは完璧なプロレスラーだ。だからこそ、彼女のプロレスには「それ以外のもの」が混ざらない。


 でも、私は違う。


 私はビースティー冬城の荒々しい遺伝子を持ち、『狂乱の女帝』と呼ばれた母の柔軟な狂気を秘め、アイドルを目指していた時に培った観客の熱を吸収するステップがあり、お茶の作法で学んだ手首のスナップがあり、そして悠馬君から受け継いだ「相手の力を利用する」泥臭い技術がある。


 私は、何色にも染まっていない「空っぽの器」だからこそ、すべての経験を吸収し、規格外の化学反応を起こすことができるのだ。


「……まだ、終わってない」


 私はロープを掴み、ふらつく足で立ち上がった。


 これまでのお父さんの真似事のような「ストロングスタイル」の構えではない。


 極限まで脱力し、両手をだらりと下げ、足幅を広くとった、誰のプロレスの型にもハマらない奇妙な構え。


「悪あがきを……沈みなさい!」


 ジュリーさんが苛立ちとともに、必殺のハイキックを私の側頭部へと放つ。


 私はその完璧な軌道から目を逸らさず、己の器に満ちた「すべて」を解放すべく、一歩前へと踏み出した。


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