VOL.56話 泥濘(ぬかるみ)の監獄。少女たちの殴り込み
帝国プロレスの息がかかったAJGPWの道場は、まるで高級ホテルのように清潔で、そして監獄のように冷たかった。
深夜。道場の通用口から、三つの影が音もなく侵入した。
先頭を行くのは、パーカーのフードを深く被った私、冬城夏南。その後ろに、特攻服を肩に羽織った飯田さん、そして無言で拳を握りしめる馬場さんが続く。
「……あそこにいた」
馬場さんが低く呟いた。
眩しいLED照明の下、広大な道場の床を、小さな背中を丸めて雑巾掛けしている人影があった。
福田芳子ちゃんだ。
移籍した当初の威勢の良さは微塵もなく、頬はこけ、目はうつろで、冷たいタイル床に垂れる自分の汗を機械的に拭い続けている。
私たちがここに来た理由は、芳子ちゃんについて行って移籍した練習生の一人、蘇我希ちゃんが逃げ帰ってきて、AJGPWでの非道な扱いを暴露したからだ。
「芳子ちゃん!」
私の声に、芳子ちゃんの身体がビクンと跳ねた。
彼女はおそるおそる顔を上げ、私たちの姿を認めると、まるで幽霊でも見たかのように絶句した。
「夏南……さん……。飯田さん……馬場さん……なんで……」
「何でじゃねえだろ、この大馬鹿野郎!!」
飯田さんが叫び、芳子の胸ぐらを掴み上げた。
「アタシらがどれだけ心配したと思ってんだ! こんなところで、何が『スター』だ! 何が『メインイベント』だ! 便所掃除がテメエのやりたかったプロレスかよ!」
「ごめんなさい……ごめんなさい……っ」
芳子ちゃんは抵抗することもなく、ただただ子供のように泣きじゃくった。
「おら、馬鹿だっただす。ゆかりの口車に乗って、みんなを裏切って……。もう、小町には戻れねえと思って……」
「戻れるかどうかなんて、後で考えなさい。今はここを出るわよ」
馬場さんが芳子ちゃんの手を取り、強引に立ち上がらせた。
その瞬間だった。
いきなり大きな声が聞こえた。
「――おやおや、不法侵入ですか。相変わらずお行儀が悪いですね」
道場の入り口から、パチパチと乾いた拍手の音が響いた。
帝国プロレス営業本部長、黒田。そして、その隣には冷笑を浮かべた友部ゆかりちゃんが立っていた。
「黒田さん……! 芳子ちゃんを返してもらうわよ。あんたたちのやり方は、最初から卑怯だった」
私が一歩前に出ると、黒田は鼻で笑い、手にしたバインダーから一枚の書類を突きつけた。
「返す? 勘違いしないでいただきたい。彼女たちは自由意志でAJGPWと専属契約を結んだ。それを解除して連れ戻すというのなら、それ相応の『落とし前』をつけてもらわねばなりません」
書類には、目を疑うような数字が並んでいた。
専属契約解除料、育成コスト、営業損失補填……。
合計、三千万円。
「三千万……!? ふざけんな! 一週間掃除させただけで何が育成コストだ!」
飯田さんが吼えるが、黒田さんは動じない。
「これは正当な契約違反への違約金です。払えないのであれば、彼女たちは我々の所有物として、一生ドサ回りの雑用で使い潰させてもらう。……さて、どうしますか? 冬城のお嬢様」
芳子が絶望に顔を歪め、再び床に崩れ落ちようとした。
三千万。
零細団体の私たちには、払えない死刑宣告。黒田の狙いは、芳子ちゃんを人質にして、プロレス小町を完全に破産・解散させることは明白だった。
私たちは歯噛みするしかなかった。
情けなかった。
それ以上に悔しかった。
私が唯一できた事といえば、じっと黒田さんを睨む事だけだった。




