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プロレス・ガール  作者: Tohna
増長と没落
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55/63

VOL.55 死海の底と、狂乱の女帝

 バァンッ! バチン、バチン、バチン!!

 

 後楽園ホールのリングで、悲鳴のような連続タップアウトの音が響き渡った。


 東京プロレスの次期シリーズ。メインイベントを任された悠馬は、対戦相手である巨漢のベテランレスラーを、リングの中央で完全に「処刑」していた。


 新必殺技、複合関節技『デッド・シー(死海)』。


 相手の右腕をへし折らんばかりの角度で極めながら、首を両脚で万力のように締め上げる。一度捕らえられれば二度と脱出できないその蟻地獄に、観客は息を呑み、そして熱狂した。


「勝者、悠馬!!」


 レフェリーのコールとともに技が解かれると、相手は白目を剥いて意識を失っていた。


 もはや「客を呼べない地味なレスラー」ではない。


 悠馬は今や、東京プロレスの中で最も危険な『暗殺者』として、怒涛の連勝街道を突き進んでいた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

その数日後。都内の高級ホテルの大宴会場には、無数のカメラのフラッシュが瞬いていた。


 帝国プロレスと東京プロレスによる全面対抗戦『NGP』。そのメインイベントを飾るシングルマッチの公開調印式である。


 長机を挟んで、両団体の代表者が向かい合って座っていた。


 帝国プロレス側には、本部長の黒田と、はち切れんばかりの筋肉を高級スーツに押し込んだ怪物、火浦健吾。


 東京プロレス側には、エースであるアシュラ、パーカー姿の悠馬。そして中央には、亡き夫の後を継いで東プロの会長を務める、冬城 冴子(ふゆき さえこ)が、淡い藤色の美しい着物姿で上品に座っていた。


 夏南の母親である。


「――それでは、両陣営から、意気込みをお願いします」


 司会者の声に、黒田がマイクを握り、薄ら笑いを浮かべた。


「意気込みも何も、これは公開処刑の確認作業に過ぎません。業界のトップである我々帝国プロレスの若きエース、火浦の相手が、東プロの練習生上りとは。いよいよ人材不足のようですね」


 黒田の挑発に、記者たちからどよめきが起こる。


 黒田はさらに、着物姿の冴子会長に蔑むような視線を向けた。


「冴子会長。女手ひとつ、泥臭い男たちの会社を切り盛りするのは大変でしょう。悠馬選手が手伝っていたスガハラの素人女子団体『プロレス小町』も、うちが少し優秀な選手を引き抜いてやっただけで、あっさりと内部分裂して崩壊寸前だそうです。……プロレスは、お遊びじゃないんですよ。無理をなさらず、東プロごと我々帝プロの傘下に入られてはいかがですか?」


 娘の夏南が命懸けで守ろうとしている小町の崩壊を嘲笑い、亡き夫の遺した東プロを「お遊び」と侮辱する言葉。


 アシュラのこめかみに青筋が浮かび、長机を蹴り飛ばそうと腰を浮かせた。

 

 ――しかし。

 アシュラの動きを制したのは、隣に座る冴子会長の、スッと上げられた白く細い手だった。


「……黒田本部長」


 冴子が、マイクを手に取った。


 先ほどまでのおっとりとした上品な微笑みは、彼女の顔から完全に消え失せていた。


 代わりに宿っていたのは、背筋が凍るような、絶対的な「捕食者」の冷酷な目つきだった。


「え……?」


 黒田が、その異様な気迫に思わずたじろぐ。


「お遊びじゃない? ……当たり前だろ、若造が。誰に向かってプロレス語ってんだ、コラ」


 会場の空気が、一瞬にして凍りついた。


 着物姿の気品あふれる未亡人の口から飛び出した、ドスの効いた低く野太い声。アシュラでさえ、思わず背筋を伸ばして冷や汗を流している。


「冴子……会長?」


「私が冬城の姓を名乗る前……昭和のリングで何と呼ばれていたか、テメエらが知らねえ訳ねえよな?」


 冴子は着物の袖をまくり上げ、長机の上に両掌をドンッと突いて黒田を睨み据えた。


「『狂乱の女帝』紅 冴子(くれない さえこ)。……反則、凶器攻撃、ノーコンテスト。女子プロレス界で一番血の雨を降らせて、リングを焼け野原にしたのはこの私だよ。私の娘がやってる団体をコケにして、うちの若い衆(悠馬)を馬鹿にして……生きてここから帰れると思ってんのか、あァ!?」


 記者たちが一斉に息を呑んだ。


 オールドファンの記者の中には、「まさかあの伝説の極悪ヒールが……!?」と震え上がっている者もいる。


 隣に座っていた帝プロの怪物・火浦でさえ、冴子から放たれる本物の『殺気』に圧倒され、無意識のうちに身体を引いていた。


「な、何を馬鹿な……うちは帝国プロレスだぞ!」


 黒田が震える声で強がるが、冴子は鼻でふんと笑い捨てた。


「小賢しい工作でしか勝てねえ三流企業が。……いいか、リングの上の落とし前は、リングの上でしかつけられねえんだよ」


 冴子はマイクを置き、隣の悠馬に視線を送った。


「やれるね、悠馬」


「……はい。会長」


 凄まじい空気に包まれる中、悠馬は一切の感情を顔に出さず、サラサラと調印書に自分の名前をサインした。


 そして、火浦の目を見据えて、静かに言い放つ。


「源田さんや鬼瓦さんたちが手塩にかけて技術を教えている『プロレス小町』の女の子たちは、今、あなたたちの陰湿な罠で泣いています。……その落とし前、リングの上で、あなたの『誇り』をへし折ることで払ってもらいますよ」


 悠馬の瞳の奥で、決して消えることのない青白い炎が燃え上がっていた。


 『狂乱の女帝』の血を引く娘の戦い、そして覚醒した暗殺者・悠馬と怪物・火浦の頂上決戦。


 すべての因縁が交差する決戦のリング『NGP』のゴングが、今、鳴らされようとしていた。

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