VOL.53 甘い毒と裏切りの封筒。引き裂かれた小町の絆
決定的な亀裂は、次期シリーズの対戦カードが道場のホワイトボードに貼り出された、その日の午後に起こった。
「どういうことだすか、源田さん! なんでおらが、また第一試合のタッグマッチなんだすか!」
静かな道場に、芳子の怒声がビリビリと響き渡った。
彼女はホワイトボードを指差し、血走った目で源田に詰め寄っていた。
連勝に次ぐ連勝。ネットのインディープロレス掲示板では「東北の星」「小町の最終兵器」と持て囃され、会場では自分の名前を呼ぶ歓声が一番大きいという自負がある。
それなのに、大将戦はおろか、メインイベントにすら自分の名前はない。芳子には、それが自分への不当な評価、いや「嫉妬」にしか思えなかった。
「何を勘違いしているか知らんが」
源田さんはにべもなく言った。
「お前は確かに星を拾っているが、プロレスが荒削りすぎる」
源田は椅子にふんぞり返ったまま、冷ややかな視線を芳子に向けた。
「スタミナと根性だけで勝てるのは、どこの馬の骨とも知れねえ三流インディーの連中が相手だからだ。基礎もできてねえのに大技ばかり狙ってちゃ、いつか取り返しのつかない大ケガをする。今はまだ下積みで基礎を……」
「うるせえだす!!」
ドンッ! 芳子が力任せにロッカーを蹴り飛ばした。金属の凹む鈍い音が道場に響き、練習生たちがビクッと肩を揺らす。
「おい、芳子。なんの真似だ?」
「あんたたち、おらが人気になるのが気に入らねえだけだべ! 夏南さんみたいな『顔だけのお嬢様』をエースにするために、泥臭いおらをいつまでも前座の引き立て役にしておきたいんだべ!」
「芳子ちゃん、何言ってるの! 源田さんはそんなこと……」
たまらず私が止めに入ろうとすると、芳子は親の仇でも見るような鋭い目で私を睨みつけた。
その目には、明確な憎悪と、長年蓄積された暗いコンプレックスが渦巻いていた。
「……芳子さんの言う通りです。こんな泥舟、もう見切りをつけましょう」
その時だった。
芳子の背後にピタリと付き従っていた練習生の一人、友部ゆかりちゃんが、静かに一歩前へ出た。
小柄で、いつも愛想笑いを浮かべながら芳子の身の回りの世話を焼いていた彼女。
だが今のゆかりの顔には、あの媚びるような笑みは一切なく、源田や私たちを値踏みするような酷薄な冷笑が張り付いていた。
「ゆかりちゃん……? 何を言ってるの?」
私が戸惑う中、ゆかりは内ポケットから高級な和紙の封筒を取り出し、うやうやしく芳子に手渡した。
「実は、私たちAJGPWから正式に『引き抜き』のオファーを受けているんです」
「なっ……!?」
道場の空気が、完全に凍りついた。飯田さんも馬場さんも、言葉を失ってゆかりと芳子を見つめている。
「芳子さんの圧倒的な実力と将来性は、帝国プロレスの黒田本部長も高く評価しています。こんな嫉妬まみれの素人の集まりで、いつまでも前座をやらされる義理はありません。業界トップの光り輝くリングで、メインイベントのスポットライトを浴びるべきです。私と、あと二人の練習生も一緒についていきます」
「ゆかり……お前、AJGPWと裏で繋がってたのか!」
鬼瓦トレーナーが額に青筋を立てて怒鳴るが、ゆかりは涼しい顔で肩をすくめた。
「芳子ちゃん、目を覚まして! 帝プロがそんな簡単にうちの選手を引き抜くなんて、絶対におかしいよ! 騙されてる!」
私は必死に叫び、芳子の腕を掴もうと手を伸ばした。
しかし、芳子はその私の手を、汚いものでも払うかのように乱暴に振り払った。
「気安く触らねえでけろ! ……ゆかりの言う通りだす。おらは、AJGPWに行く。本当の実力で、カリスマだか何だか知らねえエリートたちを見返してやるだす!」




