VOL.52 コンプレックスの鎧。分断される小町
プロレス小町の内部に生まれた亀裂は、日が経つごとに深まっていった。
芳子ちゃんを中心とした「福田派」と、私や飯田さんたちレギュラーメンバーとの間には、目に見えない高い壁が築かれていた。
「どうしちまったんだよ、あいつ……」
飯田さんが、道場の隅で悔しそうに呟いた。
「前はあんなに可愛かったのに。最近じゃ挨拶もしねえ、練習も自分たちだけで勝手にやりやがる」
そんなある日の夜。
私は一人、道場の隅で薄茶を点てていた。悠馬君との特訓で得た「脱力」の感覚を忘れないための、私なりの儀式だ。
茶筅を振る音が響く中、不意に、道場の扉が開いた。
芳子ちゃんだった。
一人で何かを探しにきたようだったが、私の姿を見つけると、露骨に顔をしかめた。
「……まだそんな『お遊び』やってるだすか。お嬢様は、気楽でいいだすな」
「芳子ちゃん。これ、お遊びじゃないよ。私にとっては大切な……」
「冗談じゃねえ!何が大切だすか!」
芳子ちゃんが、私の言葉を遮って叫んだ。その声は、震えていた。
私も緊張と義憤で視界が狭まっている。
そして震えてた。
芳子ちゃんは握り拳を私に向かって突き出した。
「あんたには分からねえだす! アイドルだの、裏千家だの、綺麗な世界で生きてきたあんたには! おらが、ずっとどんな思いをしてきたか……!」
芳子ちゃんは。突き出したその拳を自分の眼前に引っ込めた。
分厚く、汚れの落ちない手を。
「おらは、ずっと『泥臭い田舎もん』だって、心の中で笑われてると思って生きてきただす。オーディションの時も、あんたや馬場さんみたいな『エリート』の引き立て役だと思ってただす。……借金を背負って、ボロボロの服を着て、言葉もなまって。あんたたちの隣にいるのが、恥ずかしくてたまらなかっただす!」
それは、彼女の深いコンプレックスの告白だった。
彼女の傲慢な態度は、自信の表れではなかった。
「自分は、もう誰にも馬鹿にされない強い人間なんだ」ということを自分自身に、そして周囲に誇示し続けなければ、その裏に隠れた劣等感に押し潰されてしまいそうだったのだ。
「……だから、おらは力を手に入れただす。勝てば、みんながおらを崇めてくれる。練習生たちだっておらを頼ってくる。お嬢様の影に隠れてビクビクしてたおらは、もう死んだんだす!」
「芳子ちゃん……私は、一度もあなたのこと、そんな風に思ったことなんて……」
「思ってなくても、そうなってるだす! あんたが優しくすればするほど、おらは自分の惨めさを思い知らされるんだす!」
「ちょっと、芳子ちゃ……」
「黙れ!いいとこのお嬢さんが偉そうに!」
芳子ちゃんは、吐き捨てるようにそう言うと、背を向けて走り去っていった。
私は何も言い返せず、心を通わせることができなかった後悔で涙が出て来そうだった。
その場に残されたのは、静寂ときめ細やかに泡立った、静かな薄茶だけ。
(『良いとこのお嬢さん』、か。それを捨て去るのに時間がかかったのは確かだけど……なんだか悔しいわ)
私は虚無感をなんとか満たす様に、自服で薄茶を飲んだ。
苦くない。手前の出来は悪くない。
でも、心の中は苦々しい気持ちしかない。
強くなることが、必ずしも幸せに繋がるわけではない。
かつての結束は、成功という劇薬によってバラバラに引き裂かれようとしていた。
スランプから脱出しようとする私。
必殺技を手にし、怪物を狙う悠馬君。
そして、心の傷を強さで覆い隠し、暴走を始める芳子ちゃん。
『プロレス小町』が本当の意味で一つの団体になれるのか。
帝国プロレスという巨大な敵を前に、私たちは身内という名の、最も困難な「壁」に直面していた。




