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プロレス・ガール  作者: Tohna
増長と没落
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50/63

VOL.50 薄茶の泡と決別。ゼロからの師弟特訓

 翌朝。


 私は道場の一階にあるキッチンで、ふたたび茶筅(ちゃせん)を握っていた。


 手首の痛みはもうほとんど引いている。


 しかし、いざ薄茶を点てようとすると、肩にガチガチに力が入り、どうしても腕全体でかき回すような不格好な動きになってしまう。当然、美しい泡は立たない。


「……また、失敗」


 濁った茶碗を見つめてため息をついた時、不意に横から手が伸びてきて、私の手からそっと茶筅を取り上げた。


「力が入りすぎです。そんなに肩を張っていては、良いお茶は点ちませんよ」


 悠馬君だった。


 彼は私の隣に立つと、新しい茶碗にお湯を注ぎ、流麗な手つきで茶筅を振り始めた。


 肩の力は完全に抜け、肘から先だけが柔らかく動いている。裏千家特有の、手首のしなやかなスナップ。


 あっという間に、茶碗の中にはきめ細やかな淡雪のような美しい泡が立ち上がった。


「悠馬君、お茶の作法なんて知ってたの?」


「いえ、見よう見まねです。ですが、プロレスの関節技も同じなんですよ」


 悠馬君は、点てたばかりの美しい薄茶を私に差し出した。


「関節を極める時や、投げを打つ時。力任せにガチガチに力むと、相手に動きを読まれるし、自分のスタミナも消耗する。脱力し、一番力の伝わるポイントでだけ『スナップ』を利かせる。……今の夏南さんは、お茶を点てる時も、リングに上がる時も、全身が強張っています」


 ハッとした。


 悠馬君の言う通りだ。私はリングに上がる時、「お父さんのように強くあらねば」と、無意識のうちに全身に(りき)を入れて、自分を大きく見せようとしていた。


「冬城のおやっさんは、身長190センチ、体重120キロのヘビー級でした。その圧倒的な質量があったからこそ、あの荒々しい『ストロングスタイル』が成立したんです」


 悠馬君は、私の華奢な肩を真っ直ぐに見つめた。


「でも、夏南さんは違います。体重も軽く、筋力もない。そんなあなたが、お父さんの幻影を無理やり自分の身体に降ろそうとすれば……心と身体のバランスが崩れ、動けなくなるのは当然です」


 悠馬君の言葉が、霧が晴れるようにスッと胸に落ちた。


 私は、お父さんの「形」だけを真似ようとしていた。


 巨大なクマの着ぐるみを、小鳥が無理やり着て動かそうとしていたようなものだ。


 だから、あの『獣』の感覚はもう二度と降りてこない。いや、降ろしてはいけなかったのだ。


「……もう、ビースティー冬城は来ない。私は、私の足で立たなきゃいけないんだ」


 私がポツリと呟くと、悠馬君は静かに頷いた。


 私は両手で茶碗を包み込み、その温かい薄茶をゆっくりと飲み干した。苦味の中に、確かな甘みが広がっていく。


「悠馬君」


 私は空になった茶碗をテーブルに置き、彼に向き直って深く頭を下げた。


「私に、プロレスを教えて。……基礎から、全部」


 エドさんや鬼瓦さんの教える基礎体力作りじゃない。


 「持たざる者」がリングで生き残り、勝つための技術(テクニック)。それを誰よりも知っているのは、昨日、自分だけの必殺技(フィニッシャー)を完成させたばかりのこの若武者しかいない。


「お父さんの真似はもうやめる。私は、体重の軽さも、アイドルの時に培った柔軟性も、この手首の使い方も……全部自分の武器にして、新しい『冬城夏南』のスタイルを作りたい。だから、悠馬君の技術を、私に叩き込んでほしいの」


 悠馬君は少し驚いたように目を見開いたが、すぐに口角を上げて不敵に笑った。


「……僕の特訓は、鬼瓦トレーナーのしごきより地味で、ずっとキツいですよ」


「望むところよ。もう、逃げないって決めたから」


「分かりました。僕が持っている技術、すべてあなたに移植しましょう」


 その日から、私と悠馬君のマンツーマンの特訓が始まった。


 道場の隅で、来る日も来る日も延々と繰り返されるのは、派手な投げ技でも打撃でもない。


 力の抜き方。相手の力のベクトルを利用して体勢を崩す重心移動。


 そして、小さな力で相手の急所を的確に絞り上げる関節へのアプローチ。


「違います、力で押し返さない! 僕の体重をそのまま横に流すんです!」


「くっ……こう!?」


「そうです! そこから手首のスナップを利かせて、関節をロックする!」


 汗と泥にまみれながら、私は貪欲に悠馬君の技術を吸収していった。


 亡霊の鎖を解き放ち、ゼロから己のプロレスを構築していく作業は、苦しくも、たまらなく充実していた。


 『カリスマの娘』という重い鎧を脱ぎ捨てた夏南の身体に、プロレスラーとしての真の息吹が宿り始めていた。

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