表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
プロレス・ガール  作者: Tohna
後には引けない
41/45

VOL.41 沈黙の盤上遊戯。サブミッション職人の意地と残酷な結末

 先鋒戦の凄まじい結末に、新宿FACEは異様な熱気と動揺に包まれていた。


 担架で運ばれていく村上レノンさんの姿を、次鋒の戸谷明日花はリングサイドで静かに見送っていた。


 彼女の表情は、いつも通り氷のように冷たく、落ち着き払っている。


「……レノン、よくやったわ。あとは私が引き継ぐ」


 戸谷さんは首の骨をポキリと鳴らすと、ゆっくりとリングの階段を上った。


 次鋒戦。


 赤コーナーから姿を現したのは、AJGPWが誇るサブミッションの達人、桃谷ゆづる。


 小柄ながらも、その手足には無駄な筋肉が一切なく、まるでしなやかな蛇のような不気味さを漂わせている。


「カーン!!」


 ゴングが鳴った。


 先ほどの先鋒戦のような、ド派手なぶつかり合いはない。二人はリングの中央で姿勢を低くし、静かに相手の隙を探り合う。

 タックル、テイクダウン、そしてグラウンドへの攻防。


 打撃音一つないリング上に響くのは、キャンバスが擦れる「シュッ」という音と、二人の荒い息遣いだけだ。


 プロレスにおける関節技は、チェスや将棋に似ている。


 一つ先のポジションを読み、相手の腕や脚を罠に誘い込み、詰み(チェックメイト)へと追い込む盤上遊戯だ。


「……っ!」


 桃谷が素早い動きで戸谷さんの背後を取り、スリーパーホールドを狙う。


 だが、戸谷さんは慌てない。冷静に桃谷の腕を払い、下から絡みつくようにして桃谷の右腕を捕らえた。そのまま身体を反転させ、完璧な十字固め(クロス・アームブリーカー)の体勢に入る。


「極まった!!」


 セコンドの私たちが思わず身を乗り出す。


 合宿所のベッドで、毎晩ダミー人形の『ジョン』を相手にミリ単位で角度を調整してきた、戸谷さんの必殺の形だ。ジョンの腕なら、とっくにへし折れている角度。


 しかし、桃谷の顔に焦りはなかった。


 彼女は極められそうになっている右腕の肘の角度を微妙にズラし、戸谷さんのロックを無効化する。


 そして、戸谷さんの身体を支点にするようにして、くるりと宙返りをした。


「なっ……!?」


 戸谷さんが驚愕の声を上げた瞬間、攻守が完全に逆転していた。


 桃谷の細い両脚が、戸谷さんの首と腕を万力のように締め上げている。変型のトライアングル・チョーク(三角絞め)だ。


「ぐぅっ……!」


 戸谷さんの顔が、一瞬にして苦痛に歪む。


 脱出を試みるが、動けば動くほど、桃谷の脚が容赦なく頸動脈を圧迫していく。さらに桃谷は、空いている戸谷さんの左腕を両手で掴み、ありえない方向へと捻り上げた。


 首を絞められながら、腕の関節を破壊される。


 見たこともない、複雑怪奇な複合関節技。これが、AJGPWのトップランカーが持つ「引き出しの数」だった。


「戸谷さん! ロープ! ロープに逃げて!」


 私はリングサイドの床を叩きながら絶叫した。


 戸谷さんの顔は真っ青になり、目は虚ろになりかけていた。左腕の関節からは、ギリギリと靭帯が悲鳴を上げる嫌な音が聞こえる。


 それでも彼女は、決してタップ(降参)の意思を示さなかった。


(……タップなんて、しない。ここで私が折れたら、あの合宿の地獄は、レノンの涙は、何だったのよ……っ!)


 戸谷さんは意識が遠のく中、右手の指先をジリジリと這わせ、数センチ先のロープへと伸ばしていく。


 その執念に、新宿FACEの観客から自然発生的に「戸谷コール」が巻き起こった。


 あと五センチ。


 あと三センチ。


 戸谷さんの指先が、鋼鉄のロープに触れた、その直前だった。


「……甘いよ、新人さん」


 桃谷が冷酷に呟いた。


 彼女は戸谷さんの身体をマットの中央へと強引に引きずり戻し、さらに深く、容赦なく左腕を反り上げた。


「あぁぁぁぁぁっ!!」


 これまで一度も声を荒げたことのない、あのクールな戸谷さんの口から、絶望的な悲鳴が弾けた。


 これ以上極められれば、左腕の骨は完全に砕け散る。プロレスラーとしての選手生命が終わる。


「ストップ! ストップ!!」

 レフェリーが、戸谷さんの限界を悟り、二人の間に割って入った。


 カン、カン、カン、カン!!


 再び、非情な終了のゴングが鳴り響く。

「勝者、桃谷ゆづる! レフェリーストップ!!」


 桃谷が技を解くと、戸谷さんはぐったりとマットに崩れ落ちた。


 だらりと力なく投げ出された左腕を押さえながら、戸谷さんは悔しさに唇を噛み締め、ポロポロと涙をこぼした。


「ごめん……ジョンより、ずっと……強かった……」


 敗北。


 これで『プロレス小町』は二連敗。


 圧倒的な技術の差を見せつけられ、会場は重い空気に包まれた。


 だが、戸谷さんがセコンドに肩を貸されてリングを降りた瞬間、赤コーナーの階段を荒々しい足取りで駆け上がる影があった。


「……よくやったよ、戸谷。アンタの執念、しっかり見届けたぜ」


 特攻服を羽織った元ヤンキー、飯田恭子。


 彼女の目には、先の二人の敗北を糧にした、狂暴なまでの闘志が燃え盛っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ