Vol.40 撃突する巨体。涙の投げ技職人と非情のレフェリーストップ
先鋒戦。
大歓声に包まれた新宿FACEのリングに、金髪のハーフ美女、村上レノンさんが足を踏み入れた。
「青コーナー、141パウンド、プロレス小町所属、村上ぃーーーーレ・ノンーーーー!!!!」
リングアナからの紹介を受けて四方に挨拶するレノンさん。
141ポンドって、換算されたら体重わかっちゃうじゃない!
対角線に立つのは、AJGPWが誇るトップ外国人レスラー、アマンダ・トレーシー。
身長180センチ近い筋骨隆々のアマンダに対し、村上さんもまた、私たちの中で最も大柄な恵まれた体格を持っている。
彼女が先鋒に抜擢されたのは、相手の外国人特有のパワーと真っ向から組み合える唯一の存在だったからだ。
(レノンさん……頑張って……!)
私はリングサイドから、祈るように両手を握りしめた。
村上さんは、見た目のクールな美しさとは裏腹に、実はものすごく優しくて、合宿中も鬼瓦さんのシゴキですぐに泣いてしまうような女の子だった。
だが、今の彼女の瞳には、涙はない。
「カーン!!」
開始のゴングが鳴った直後、アマンダが野獣のような咆哮を上げて突進してきた。
ロックアップなどという探り合いはない。
巨体を活かした強烈なエルボー・スマッシュが、村上さんの顔面を容赦なく捉えた。
「きゃあっ……!」
村上さんの身体が大きくグラつく。アマンダはさらに村上さんをコーナーに押し込み、丸太のような腕で逆水平チョップの雨を降らせた。
バァン! バァン!
鈍い破裂音が響き、村上さんの白い胸板がみるみるうちに赤く腫れ上がっていく。
彼女は打撃戦には滅法弱い。
痛みに顔をしかめ、防戦一方になる村上さんに、観客からは、
「やっぱり素人か」
「AJGPWのトップには通用しない」
という冷ややかなため息が漏れ始めた。
しかし、アマンダがとどめとばかりに、全体重を乗せた強烈なラリアットを放とうと右腕を振り上げた、その瞬間だった。
「なめるなぁっ!」そ
村上さんが、鋭い踏み込みでアマンダの太い右腕をかいくぐり、その背後に回り込んだ。
大きな体格を活かし、アマンダの分厚い腰を両腕でがっちりとホールドする。
そして、長い脚でキャンバスを力強く蹴り上げ、美しいアーチを描きながら後方へ豪快に投げ飛ばした。
ドゴォォォォン!!
「うおおおおっ!?」
キャンバスが割れるほどの轟音と、アマンダの巨体が宙を舞い、首すじからマットに突き刺さった光景に、会場の空気が一変した。
完璧な弧を描いた、ジャーマン・スープレックス・ホールド。
これこそが、村上レノンの真骨頂だ。打撃や関節技は苦手だが、一度組んでしまえば誰にも負けない「投げ技職人」としての意地。鬼瓦さんのしごきに泣きながら、毎日何百回と繰り返したブリッジの成果だった。
「いくよぉっ!」
カウントツーでアマンダが肩を上げると、村上さんは休むことなく立ち上がり、今度は正面から組み付いた。
そのままアマンダの巨体を引っこ抜き、フロント・スープレックスで豪快に叩きつける。
流れるようにフォールに持ち込む、オーソドックスで美しいプロレスの型。素人離れしたその連携に、客席から地鳴りのような歓声が巻き起こる。
だが、AJGPWのトップランカーも伊達ではない。
再び跳ね起きたアマンダは、強引に村上さんのバックを取り返し、力任せの高角度バックドロップで村上さんの後頭部をマットに沈めた。
そこからは、まさに理不尽な肉弾戦だった。
互いの意地とプライドを懸けた、投げ技の応酬。
アマンダがエクスプロイダーで投げ飛ばせば、村上さんもすぐさま立ち上がり、喉を枯らして絶叫しながらベリー・トゥ・ベリー(フロント・スープレックス)で投げ返す。
リングが軋み、キャンバスに汗が飛び散る。三週間の即席オーディションで選ばれた素人が、トップ外国人レスラーと真っ向から「スープレックス合戦」を繰り広げているのだ。
「レノンさん! いけえええっ!」
セコンドについた飯田さんや馬場さんが、エプロンを叩いて声を枯らす。
そして、十五分に及ぶ激闘の末、運命の瞬間が訪れた。
互いに体力の限界を超え、足取りも覚束ない状態。
フラフラと立ち上がったアマンダに対し、村上さんは最後の力を振り絞って背後に回った。アマンダの両脇から腕を差し込み、首の後ろでがっちりとロックする。
「これで……最後ぉぉっ!!」
アマンダが振りほどこうと暴れるのを、村上さんは渾身の力で押さえ込み、そのまま後方へ大きく反り返った。
必殺の高角度フルネルソン・スープレックス(ドラゴン・スープレックス)。
二人の巨体がもつれ合うようにして、後頭部から危険な角度でマットに突き刺さった。
バァァァン!!
鈍い音が響き、二人はピクリとも動かなくなった。
「……レノンさん!」
私は叫んだ。
数秒後。
村上さんが、うつろな目をしながら、本能だけでズリズリとキャンバスを這い始めた。
彼女の意識は、半分飛んでいる。受け身の取れない角度で投げ切ったため、自らも脳震盪を起こしているのは明らかだった。
それでも彼女は、合宿で叩き込まれた「相手から目を逸らすな」「フォールしろ」という使命感だけで、完全に気絶して白目を剥いているアマンダの胸の上に、自らの腕を乗せた。
「ワン! ……ツー!」
レフェリーが、マットを叩く。
あと一つ。あと一つで、私たちが勝つ!
会場全体が「スリー」のカウントを期待して息を呑んだ。
しかし、レフェリーの手は、三つ目を叩く直前で空中でピタリと止まった。
彼は気絶しているアマンダと、そして村上さんの顔を覗き込んだ。
村上さんの焦点の合っていない目と、痙攣している指先を確認すると、レフェリーは頭の上で大きく両手を交差させた。
「そこまで!! 試合終了!!」
カン、カン、カン、カン!!
急激な終了のゴングが鳴り響く。
「……えっ?」
大歓声が、戸惑いのどよめきに変わった。
「両者、戦闘不能! レフェリーストップにより、勝者、アマンダ・トレーシー!」
リングアナの非情なマイクパフォーマンスが響く。
ルール上、フォール中の選手が危険な状態(脳震盪など)にあると判断された場合、レフェリーの権限で試合を止められる。
アマンダは気絶したが、村上さんもこれ以上試合を続けるのは生命の危険があると判断されたのだ。
記録上は、レフェリーストップによる村上さんのTKO負けとなる。
「……うぅ……あぁぁ……」
ゴングを聞き、源田さんに抱き起こされた瞬間、村上さんの大きな目からポロポロと涙がこぼれ落ちた。
「わたし……勝てたのに……っ、みんなの、ために……っ」
セコンドの飯田さんたちがリングに駆け上がり、泣きじゃくる村上さんの巨体を抱きしめる。
誰も彼女を責めない。
むしろ、AJGPWのトップを気絶するまで追い込んだその「惜敗」は、会場全体に凄まじい衝撃を与えていた。
0対1。
黒星スタート。
しかし、村上さんが流した涙と、リングに残した熱跡は、続く次鋒戦の戸谷さんに、確かな「炎」として引き継がれたのだった。




