VOL.38 鎧を纏った乙女たち。いざ、新宿FACEへ
「バァァァァン!!」
道場に、鋼鉄のワイヤーが弾ける乾いた音が響き渡る。
私は全力でロープに背中を預け、その反発力を利用してリングの中央へと跳ね返った。
一ヶ月前、軽トラに跳ねられたような激痛に肺の空気を吐き出していたあの衝撃は、今では背中の筋肉がしっかりと受け止めて、前へ進むための推進力に変わっている。
「夏南! 来いっ!」
リングの中央で構える飯田さんが、両腕を広げて叫んだ。
私はトップスピードのまま踏み切り、空中で身体を横に投げ出した。
狙いすましたフライング・クロスチョップが、飯田さんの胸板にクリーンヒットする。
「ぐっ……!」
飯田さんが綺麗に後方へ吹き飛び、見事な受け身で衝撃を逃がしながらマットに叩きつけられた。
「よし、そこまでだ!!」
エプロンサイドで腕を組んでいた鬼瓦さんが、野太い声でストップをかけた。
その声を聞いて、リングを取り囲んでいた合格者十名と練習生十名が、一斉に「ふぅっ」と深い息を吐き出した。
旗揚げ戦前日。これが、私たちにとって最後のスパーリングだった。
私は肩で息をしながら、自分の身体を見下ろした。
合宿前の「マッチ棒」のようだった華奢な体型は、もうどこにもない。
毎日、ミツ子さんの作る恐ろしい量のどんぶり飯と肉を胃袋に詰め込み、鬼瓦さんの理不尽なスクワットと受け身の連続に耐え抜いた結果。
私の体重は目標のプラス三キロを優に超え、五キロも増量していた。
細身の服は全滅したけれど、代わりに肩回りや太ももには、相手の技を受け止めるためのしなやかな「鎧」が確かに備わっていた。
「……ヒヨッコ共。まあ、なんとか『プロレスラーの偽物』くらいには見えるようになったじゃねえか」
鬼瓦さんが、鼻を鳴らしてニヤリと笑った。この鬼トレーナーからの、彼なりの最大限の賛辞だ。
「本当ですよ。見違えました」
道場の入り口から、パチパチと拍手しながら悠馬君が入ってきた。
「プロ東の現役レスラーである僕の目から見ても、皆さんはもう素人じゃない。立派なプロの卵です」
悠馬君はリングを見上げ、優しく、けれど真剣な眼差しで私たちを見渡した。
「ですが、明日の新宿FACE……旗揚げ戦の相手は、帝国プロレスが送り込んでくるAJGPWのトップランカー五名です。ジュリー杉崎をはじめ、現役のチャンピオンクラスが容赦なく皆さんを潰しにきます」
ジュリー杉崎。
その名前が出た瞬間、道場の空気がピンと張り詰めた。
私の憧れの人。けれど明日は、私たちを公開処刑しにくる「敵」だ。
「怖くない、と言ったら嘘になるわね」
隣に並んだ関節技職人の戸谷さんが、首の骨をポキリと鳴らしながら不敵に笑う。
「でも、ジョンの腕を極めるより、生きた人間の腕を極める方がずっと面白そうだわ」
「お、おらも……じっちゃんのために、絶対に倒れねえだす!」
芳子ちゃんが、タコだらけの両手を握りしめて力強く頷く。彼女の泥臭いガッツは、今やこのチームの絶対的な精神的支柱になっていた。
「アタシらを誰だと思ってんだよ、悠馬サン」
飯田さんが、首筋の汗を拭いながら前に出た。
「毎日毎日、鬼瓦のシゴキとミツ子さんの殺人メニューに耐えてきたんだ。帝プロのお高く止まった連中なんかに、そう簡単にへし折られてたまるかってんだ」
「その通り!」
馬場さんや鳥海さんたちも、次々と声を上げる。
誰一人として、逃げる目をしていない。
アイドル志望も、アマレスのエリートも、ヤンキーも、農家の娘も。みんなが同じ地獄を共有し、互いの痛みを知ることで、最強の「戦友」になっていた。
「夏南。アンタはどうなんだい?」
飯田さんが私を見た。全員の視線が、大将である私に集まる。
私は、テーピングだらけの自分の拳をギュッと握りしめた。
「……ジュリー杉崎さんは、私の憧れよ。でも、私は『ビースティー冬城』の娘だから」
目を瞑らず、相手を見据える。
お父さんの教えと、エドさんの基礎、そしてこの一ヶ月で叩き込まれたプロレスの誇り。
「明日の新宿FACE、絶対に私たちが勝つわ。そして、帝国プロレスの連中に思い知らせてやるのよ。私たちがただの素人じゃないってことをね!」
「おうっ!!」
二十人の乙女たちの力強い雄叫びが、道場の天井を突き抜けた。
泣いても笑っても、明日が本番。
私たちのプロレス人生を懸けた、泥沼の初陣のゴングが、すぐそこまで迫っていた。




