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プロレス・ガール  作者: Tohna
後には引けない
35/45

VOL.35 江戸川区の要塞と、強烈夫婦。〜乙女たちの奇妙な荷物〜

 地獄の特訓と増量から一週間後。


 悠馬君の運転するユーコンは、東京都江戸川区の、とある河川敷近くに建つ古い倉庫の前に到着した。


「悠馬君……ここ、廃工場じゃないの?」

「いえ、ここがスガハラエンタープライズが新団体のために用意した道場兼、合宿所だそうです」


 外壁はトタンが剥がれかけ、錆びついたシャッターにはうっすらと昭和の匂いが漂っている。本当にここが私たちの拠点?


 しかし、重い鉄扉をギギギと開けて中に入った瞬間、私は言葉を失った。


「うそ……っ」


 外見のボロさからは想像もつかない光景が広がっていた。


 広大なスペースの中央には、真新しい公式サイズのプロレスリングが二基。壁際には最新鋭のウエイトトレーニングマシンがズラリと並び、床には衝撃吸収用の高価なマットが敷き詰められている。奥には高地トレーニング用の低酸素ルームまで完備されていた。


 建物には一円もかけていないが、設備にはひょっとしたら億単位の金が注ぎ込まれている。これが、スガハラの「本気」の証明だった。


「おらぁっ! 突っ立ってねえでさっさと並べ、ヒヨッコ共!」


 突然、道場に地鳴りのような怒声が響いた。


 現れたのは、身長190センチはあろうかという、岩石にタンクトップを着せたような大男だった。顔には無数の傷跡があり、どう見てもそのスジの……いや、元傭兵にしか見えない。


「ワシが今日から貴様らを鍛え上げる専属トレーナー、鬼瓦(おにがわら)だ。ワシの仕事は、貴様らを一人残らず一度『破壊』することだ。覚悟しておけ!」


 合格者10名と練習生10名、合わせて20人の乙女たちが震え上がる中、奥からエプロン姿の小柄な初老の女性がニコニコと笑いながら歩いてきた。


「もう、あなたったら初日から脅かさないの。ごめんなさいねえ、主人は口が悪くて」

 ふくよかで優しそうな、いかにも「寮母さん」といった雰囲気のおばちゃん。


 鬼瓦さんの奥さん!? 美女と野獣どころの騒ぎじゃないわ。


「私は寮母のミツ子よ。あなたたちの食事と生活は全部私が面倒見るからね。……残したら、殺すわよ?」


 ミツ子さんがふんわりと微笑んだまま、手に持っていた硬そうな青リンゴを片手で「グシャッ!」と握り潰した。


 リンゴの果汁がポタポタと床に滴り落ちる。


 ……訂正する。野獣と、もっとヤバい野獣の夫婦だわ、これ。


「さあ、まずは荷解きだ。二階の相部屋に荷物を置いてこい。制限時間は十分だ!」


 鬼瓦さんの怒号に急かされ、私たちは慌ててキャリーケースを引きずって二階の寮スペースへと駆け上がった。


 部屋は二段ベッドが並ぶ大部屋だ。


 荷解きを始めると、それぞれのキャリーケースから、プロレスラーの合宿にはおよそ似つかわしくない「私物」が次々と飛び出してきた。


「ちょっと飯田さん、なにそれ……」


 私が思わずツッコんだのは、ヤンキー気質の飯田さんのベッド。


 彼女の荷物からは、どピンクのフリフリなネグリジェと、身長の半分くらいある巨大な「うさぎのぬいぐるみ」が出てきたのだ。


「あァ!? 悪ぃかよ! アタシは寝る時くらい可愛いものに囲まれねえと安眠できねえんだよ!」


 飯田さんが顔を真っ赤にしてうさぎを抱きしめる。


 その隣のベッドでは、関節技職人の戸谷さんが、何やら奇妙な等身大の人形にせっせと服を着せていた。


「戸谷さん、それは……?」


関節技サブミッションのイメトレ用のダミー人形よ。名前はジョン。毎晩寝る前に、ジョンの腕を極めないと落ち着かなくて」


 戸谷さんが真顔でジョンの首をゴキッと捻った。怖い。怖すぎる。


 ふと振り返ると、鳥海さんは分厚い「人体解剖学」の専門書と、なぜか骨格模型の腕のパーツだけを持参していた。


「こ、これを見ながら寝ると、どの筋肉を狙えば一番痛いか、夢の中でシミュレーションできるんですぅ……」


 おどおどしながら物騒なことを言う鳥海さん。


 かくいう私も、他人のことは言えない。


 私がベッドの脇に丁寧に並べていたのは、最高級の抹茶の粉と、マイ茶碗、そして茶筅(ちゃせん)だ。


「夏南、アンタ何しにきたの……お茶会でも開く気?」


 パリピ風の馬場さんが、自分の特大プロテイン容器の山を積み上げながら呆れ顔で聞いてきた。


「精神統一よ! どんな過酷な状況でも、裏千家のお点前で心を落ち着けるの!」


 それぞれが絶対に譲れない「変なクセ」をベッド周りに構築していく。


 育った環境も、戦い方も、趣味も全く違う20人の乙女たち。でも、不思議と嫌な感じはしなかった。


「おらぁっ! 十分経ったぞ! リングに集合しろ!!」


 一階から、鬼瓦さんの地獄の底から響くような怒声が突き抜けてきた。


 ビクッと肩を揺らし、私たちは顔を見合わせた。


 飯田さんがうさぎのぬいぐるみを置き、戸谷さんがジョンの腕を離し、私が茶筅を置く。


 さあ、始まる。


 外の世界から完全に隔離された江戸川区の要塞で、私たちの本当の「地獄」が幕を開けた。

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