VOL.34 太ももが爆発する! ヒンズースクワット500回の地獄
地獄の増量指令から三日が経過した。
人間の適応能力というのは恐ろしいもので、あれだけ泣きながら食べていた「どんぶり飯と山盛りの鶏肉」にも、私の胃袋は少しずつ慣れ始めていた。
パサパサの鶏胸肉も、スープで流し込むようにすれば案外スルスルと入っていくし、何よりあれだけ酷使した身体が強烈にエネルギーを欲しているのが自分でもわかる。
体重計の数値も、順調にプラス1.5キロを指していた。
お気に入りだった細身のデニムの太もも部分がキツくなってきたのは乙女として涙が出るほど悲しいけれど、背に腹は代えられない。
だが、問題は「食事」の方ではない。
「お嬢さん、腰が高いです。もっと深く! 腕の振りでリズムを作って!」
「ひぃぃぃっ……! わ、わかってるわよぉ……っ!」
自宅の練習場で、私は今、もう一つの宿題である「ヒンズースクワット500回」の真っ最中だった。
プロレスラーの基本中の基本、ヒンズースクワット。
ただの屈伸運動だと思っていたら大間違いだ。腕を前後に大きく振り、その反動を利用しながら、背筋を伸ばしたまま深く腰を落とす。そして、呼吸のタイミング。これを一定のリズムで延々と繰り返すのだ。
「ニーヒャクサンジューハチ! ニーヒャクサンジューク!」
悠馬君が容赦のない正確なカウントを響かせる。
最初の100回は「意外と余裕じゃない? 私、やっぱり才能あるかも!」なんて思っていた。
しかし、200回を超えたあたりから、私の太ももに異変が起き始めた。
筋肉の中にどろどろとした鉛が溜まっていくような感覚。いわゆる乳酸というやつだ。
300回を迎える頃には、太ももが内側からパンパンに膨張して、今にも爆発しそうだった。
「サンビャク……ナナジュー……ひぃっ、ふぅっ……」
「ペースが落ちていますよ! 膝を伸ばしきらない! 負荷を逃がさないで!」
エドさんのゲキが飛ぶ。
もう、息を吸っても吸っても酸素が足りない。
肺が焼けるように熱い。
視界がチカチカして、リビングの風景がぐにゃぐにゃと歪んで見える。
「ヨンヒャク……ニジュー……っ!」
限界だ。脚が、自分の脚じゃないみたい。
膝が笑うどころか、爆笑して痙攣している。
深く腰を落とした瞬間、太ももの筋肉が「これ以上は無理ですストライキします!」
と悲鳴を上げ、私はそのままバランスを崩して床に倒れ込んだ。
「ああっ……! む、無理……っ、脚が、ちぎれる……っ!」
私は練習場の床の上で芋虫のようにのたうち回った。
太ももの前側も裏側も、つったように固まってしまって、ジンジンと焼け焦げるような痛みが襲ってくる。
「お嬢さん。源田からの宿題は『最低500回』です。リングの上で相手の技を跳ね返す下半身を作るには、これでも全然足りません。さあ、立って」
見下ろすエドさんの顔は、完全に「鬼の教官」だった。
「お、鬼……悪魔……筋肉ダルマ……っ!」
悪態をつきながら、私は生まれたての子鹿以上にプルプルと震える脚で、なんとか立ち上がった。
「ヨンヒャク……ニジュウ……イチッ!」
そこからの80回は、本当に記憶がない。
ただ、「AJGPWをぶっ潰す」「練習生たちを食わせる」という謎の使命感だけで、無意識に身体を上下させていた。
「ヨンヒャク……キュウジュウ……クッ!!」
「最後です! 深く!」
「ゴヒャクゥゥゥゥゥッ!!」
ドサァッ!!
500回目を終えた瞬間、私は糸が切れたマリオネットのように床に崩れ落ちた。
もう一ミリも動けない。敷いてあるマットのビニールカバーに顔を押し付けたまま、ゼェゼェと荒い息を吐き出すことしかできない。
「よく頑張りました。見事な500回です」
エドさんがタオルを私の頭にバサッと乗せながら言った。
「はぁ……はぁ……終わっ……た……」
「ええ。今日の分は、ですね」
「……え?」
私は床に這いつくばったまま、ピクッと反応した。
「明日は600回を目指しましょう。合宿までに1000回連続でできるようにならなければ、プロレスラーの『鎧』とは呼べません」
「ろ、ろっぴゃく……? せん……?」
「はい。さあ、筋肉が分解されないうちに、プロテインと鶏胸肉のおかわりを持ってきますね」
エドさんは爽やかな笑顔でキッチンへと消えていった。
「嘘でしょぉおおおおお!!」
のたうち回る私の絶叫が、再び平和な練習場に響き渡った。
合宿までの残り四日間。私の筋肉は、無事に生き残ることができるのだろうか?




