第36話 ▶幻影クリーム
あらすじ:真津璃は女だった
「はあ? 私が女だってバレかけてた?」
真津璃は鮭の皮を綺麗に剥がすと、身を口に放り込んだ。
桃神郷にそびえるどでかい建造物。
俺たちが毎朝ツクヨミ荘から通う校舎は、大学病院のような設計であまり学校っぽさは感じない。中央は吹き抜けになっており、八階建て。
授業で使う教室はほとんど大学みたいな講義室だ。前の教壇から離れていくほど段差が生じるアレである。
で、午前の授業を終えた俺は、真津璃と共に食堂で昼食をとっている。
食堂といっても、校舎の中に建てられた、いわゆる学食だ。お金もキビダンゴもかからないのはありがたいが、ランクに応じて選べるメニューが大きく変わってくる。こういうところで格差社会の片鱗を見せてくるんだよな、この学校。
さておき、真津璃がご機嫌斜めである理由は簡単。やつの女の子疑惑がすでに立ち始めているからだ。
「今朝もジョーとゴシップが言ってたぞ。お前が実は女なんじゃねえのかって」
「ば、馬鹿らしい。私の振る舞いは完全無欠、どこからどう見ても男だっ」
うん。だからそういうことを人目のつく場所で言うなよ。お昼時だから騒音で誰にも聞かれてねえだろうけど。
俺は納豆をぐるぐる混ぜながら話を切り出す。
「よく聞け、真津璃。これは由々しき事態だ。今はまだ大丈夫だが、このまま無策で過ごしているといつか必ずボロが出る。だから……」
「だから?」
「策を考えるんだよ。噂立っている女の子説を根こそぎ打ち砕くような、完璧な作戦」
うーん、と真津璃はうなりながら二つ向こうのテーブルを見る。鮮やかな刺身がこじゃれた皿の上で躍っていた。
やつは視線を自身の皿に戻す。皮だけ残った鮭が物悲しくくたびれていた。
「わからないわね。何か考えでもあるの?」
「からくりだ」
「いや、なんでそこでからくりが出てくるのよ」
真津璃は焼き鮭の皮をじっと眺めながら続ける。
「普通にさ、男装をバージョンアップすりゃいいでしょうが。そうすれば、私のことを女だなんてのたまう愚か者共は一掃される」
「人のこと言えねえけど口悪いなお前。というか、そういう問題じゃねえんだよ。バレるバレない以前に、疑われている現状が不味いんだ」
「というと?」
俺は真津璃の焼き鮭に箸を伸ばす。「皮貰っていいか?」「好きにすれば」うん、焦げ目がパリパリしてて美味しい。
「これはジョーが言ってたことだが、お前が男からの連れションに応じたことは一度もない。風呂だって今日まで俺の監視下でしか入ってねえ。当たり前だと言いたい気持ちはわかる。だが、それだけで男たちはお前に興味を持っちまってんだよ。あいつは何かある、ってな。そこを変えたいのであれば、認識の段階から変えなきゃならねえ」
「洗脳でもするつもり?」
「俺の見立てが正しけりゃ、そうなる。だってそうだろ。連中の頭に『真津璃=男』と植えつけたら、もう誰もお前を女だと疑わない」
なるほど、と真津璃は考える素振りを見せる。
「まあ、そうかもね。そんな力があったらいちいち細かい言動を気にしなくて済むわね」
「むしろ今まで気にしてたのかよ」
「今食べた鮭の皮吐き出させるわよ?」
怖い怖い。
▶▶▶
食堂を出た俺たちは長い廊下をひた歩いていた。無駄に幅がある上、これまた無駄に長い。道中いくつも教室があったが、その中には自習室や筋トレルームもあるようだ。ここで暮らし始めて二週間経つが、教室関係はまだまだ謎が多い。
俺は足を止めると、明らかに他の教室とは異質な部屋と向かい合う。壁の色が他は乳白色なのに対してくすんだ色をしており、『からくり屋』と書かれた怪しげな立て看板が教室前に置かれている。
初日に見たのは出張所で、ここが本店。すでに何度か訪れているが、俺も真津璃もなかなか買う決心がつかないでいた。
俺たちは躊躇なく中に入ると、からくりとガラクタが入り乱れる工房のような空間に出迎えられた。商品棚には大小様々な小物が並べられている。畳の上にはゴーグルをかけたご老人。
「やあやあ、お前さんたちか。そろそろ何買うか決まったかのう?」
マスターは手元のドライバーを回しながら尋ねる。俺たちのことは冷やかし客として認識しているようだ。
「おうマスター、今日はちょいと相談に来たんだよ。なあ、真津璃?」
「あ、ああ。……その、なんだ。相手に暗示をかけられるようなからくりはあるだろうか」
暗示? とマスターは作業の手を止めた。食いつきは悪くないので俺が横から補足する。
「ほら、こいつ小っちゃいからさ。風呂とかで他人に見られるのが恥ずかしいんだよ。だから、思い込ませたいんだ。真津璃のそれは小っちゃくない、ってな」
「おい唯人。何の話をしている」
真津璃が怪訝そうな顔をしているが無視。マスターは納得したように頷いた。
「そういうことじゃったか。ならば、こういうのはどうじゃ」
立ちあがったマスターは商品棚をごそごそ、日焼け止めクリームみたいな形状のものを取り出した。
「これはキジ印の『幻影塗料』。塗りたくった人や物を、意のままの姿に見せることができるんじゃ」
「意のままに……ってどういうことだよ?」
「例えば、こいつを1円玉に塗りつけて、『これは500円玉なんじゃあ!』と祈ると周りのやつらからは500円玉に見えるっちゅう代物じゃ」
「おおっ、すげぇ」
「すごいけど嫌な例えだな……」
真津璃はげっそりとしているが、多少の興味は湧いたらしい。
「じゃあ……これを人間に塗れば」
「うむ。どんなに醜いおっさんでもたちまち美少女に大変身じゃ。ただし、それが『幻影塗料』によるものだと看破している相手には効かないので注意じゃよ」
逆に言えば、バレさえしなけりゃ幻影を見せ続けられるわけだ。自分に塗って真津璃は男だと強く願うだけで疑われる心配もなくなる。
真津璃は決意した。
「これ、買います。キビダンゴ何枚で譲っていただけますか」
問題あるまい。こいつは俺と違って124枚ものキビダンゴを所持している。トップクラスだ。
「うーむ。そうじゃなあ。これはちっとばかし使い勝手がいいからのう……。200枚くらいで手を打ってやろうか」
「えっ……」
「はあああ!? じじいテメェ、『バリ乾電池』の時と全然違うじゃねえか」
「ええい、うるさい。搾れる相手から搾らんでなにが商売じゃ。ワシが200枚と言ったら200枚なんじゃい」
最低な理由だった。くそっ、上乗せで76枚もポンと出せるはずがない。どうする……。
その時、かつてゴシップが言っていた言葉が脳裏をよぎった。──からくりは必ずしもキビダンゴで交換しなきゃならないわけではない。マスターを満足させたらそれでいいのだ。
ならば。
「真津璃、ちょっと耳貸せ」
「な、なんだ」
俺は真津璃を引き寄せ耳打ちする。やつの顔はわかりやすく発熱するが、やってみる価値はあると念押しすると真津璃はしぶしぶ前に出た。
「なんじゃ、少年。値切りなんてワシには通用しな……」
「ま、マスター。僕……どうしてもそのからくりが必要なんです。でも、200枚もキビダンゴ持ってなくて……。お願いです、なんでもします。どうか、そのクリームを譲っていただけないでしょうか……っ?」
甘えた声といじらしい仕草。これは、想像以上のインパクトだった。懸念すべきは男の娘(正確には違うが)の魅力がじいさんに伝わるかどうかだったが、杞憂だった。
「アグレッシブゥゥゥウウウ!」
ぶべらっ、と鼻血を吹き出すとマスターは勢いよく卒倒してしまった。
「いいモン見させてもらったわい……根こそぎ持ってけ猫ちゃんめ」
「あ、ありがとうございます……」
真津璃は『幻影塗料』を手に入れた。




