表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄は承りました。では、王都へ戻る道はご自分でお探しください 〜追放された地図師令嬢は、辺境伯と「帰れる地図」を作る〜  作者: 白雪こよみ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
8/30

第8話 坑口の記憶

 銀掘りの古坑があると教えてくださったのは、ハーヴェル爺だった。


 クヴェレ村から東へ、沢を二つ越えたところ。五十年前まで掘っていて、今は誰も入らない。入口が三つあって、そのうち一つは崩れている。


「どれが崩れているのですか」


「さあ。わしが子どもの時分にはもう、そう言われとった」


 図には、坑口が一つだけ描いてあった。


 王都の写しではない。館の物置にあった、この領の古い一枚。四十年ほど前の墨で、紙が茶色くなっている。坑口はひとつ、四角い記号で描かれて、その脇に「銀」と書いてある。


 三つあるものが、一つになっていた。


    ◇


 沢を二つ越えるのに、半日かかった。


 冬の沢は、越えるのが難しい。夏なら水の中を歩けばいい。冬は、水の上に雪が乗って、蓋のようになっている。その蓋は、場所によって厚かったり薄かったりする。


 見分ける方法をトマスさんが教えてくれた。雪の色を見る。下に水が流れているところは、雪がわずかに青い。青いところは踏まない。


 わたくしは、その青の見え方を覚えるのに、沢一つぶんかかった。二つ目の沢では、自分で見分けられた。


 こういうことは、図には描けない。青い、と書いても、青の程度が伝わらない。伝わらないものは、図の外に置くしかない。


 だから村には、歩ける人が要る。図は、歩ける人の代わりにはならない。


 ニナと、トマスさんと、フェリクス様。ライナー様は領のご用で峠の向こうへ行かれている。


 道はあるようで、無い。夏には人が通るらしいが、冬は雪が覆っていて、木立の切れ方だけを頼りに進む。トマスさんが先に立って、鉈で枝を落としながら歩いた。落とした枝は、そのまま目印になる。


 途中でニナが歌を歌いはじめた。


 北へ三つ、水がある。


 東へ二つ、木がある。


 西へ行くなら、日のあるうちに。


 節が単純で、同じところを繰り返す。


「それは、何の歌でございますか」


「知らない。ばあちゃんが歌ってた」


 わたくしは、帳面に書き留めた。


 北へ三つ、水がある——三つ、というのは何の三つだろう。沢だろうか。曲がり角だろうか。


 その日は、それ以上分からなかった。


    ◇


 坑口は、三つとも見つかった。


 一つ目は、図に描いてあるとおりの場所にあった。木の枠が半分朽ちて、口の上半分が土に埋まっている。


 二つ目は、そこから北へ四十歩ばかりの、岩の陰。


 三つ目は、離れていた。沢を一つ下ったところ。ここだけ、水が流れ出していた。坑の中に湧いた水が、下の口から出ている。


 三つを繋いで考えると、この山の中に、四十歩ぶんではきかない広さの穴が空いていることになる。


 図の四角ひとつでは、それが分からない。


 わたくしは三つの口の位置を、器械で測った。木立が邪魔をして、二つ目からは一つ目が見えない。そういうときは、見える場所をひとつ挟む。岩の頭がちょうどよかったので、そこへ布を巻いて目印にして、二回に分けて繋いだ。


 繋ぐたびに、誤差が乗る。だから繋ぐ回数は少ないほどいい。三つの口を測るのに、四回繋いだ。四回ぶんの誤差は、歩幅で言えば二、三歩ぶん。この土地なら、それで足りる。


 王都なら足りない。王都では、家の壁と壁のあいだを測る。二、三歩ずれると、他人の家に線が入る。


 どこまで正確なら十分か、という問いに、正しい答えはひとつではない。何のために測るかで変わる。


「入るのか」


 フェリクス様が、松明を持ったまま仰った。


「一つ目の口から、十歩だけ」


 わたくしは、測縄の端をトマスさんに握っていただいた。十歩ぶん出したら、それ以上は行かない。縄を握っている人がいれば、必ず戻れる。


 中は、思ったより広かった。


 天井が高い。壁に鑿の跡が残っていて、上から下へ、規則正しく並んでいる。掘った人の背丈が分かる高さだった。


 足元に木が落ちていた。拾い上げると、支柱の切れ端だった。折れた面が、まだ白い。


 新しい。五十年前に折れたものなら、こんな色はしていない。


「トマスさん」


 わたくしは、外へ声をかけた。


「この坑は、いつまで人が入っておりましたか」


「五十年前だろ」


「支柱が、最近折れております」


 外で、少し声が途切れた。


「……そりゃ、崩れかけてるってことか」


「崩れかけております。三つ目の口から水が出ているのも、たぶん、同じ理由でございます」


    ◇


 外へ出ると、ニナが岩の陰に座っていた。膝を抱えて、坑口のほうを見ないようにしている。


「入らないのでございますか」


「入らない」


「はい」


「……別に、こわくない」ニナは、言った。「暗いのが嫌いなだけ」


「わたくしもです」


「うそだ。入ってたじゃん」


「縄がございましたから」


 ニナは、それを聞いて、しばらく黙っていた。それから、わたくしの手の中の測縄を見て、こう言った。


「縄、あったら入れるの」


「戻れると分かっていれば、たいていの場所には入れます」


 ニナは、膝を抱えたまま、少しのあいだ考えていた。


「じゃあ、縄がないと入れないってこと?」


「縄でなくてもよいのです。誰かが外で待っている、でも構いません。日が沈むまでには戻る、と決めてある、でも構いません」


「決めるだけで?」


「決めるだけでは足りません。決めたことを、守れる場所にいるかどうかを、先に知っておく必要がございます」


 それが、たぶん、わたくしの仕事だった。


    ◇


 帰り道で、ハーヴェル爺の話を聞いた。


 わたくしが、坑口が三つとも図に無いのはなぜかと伺ったからだ。


「院はな、消すんだ」


 爺は、雪を踏みながら仰った。


「三つあると、書く手間が三倍になる。写しを取るときも三倍だ。ひとつにまとめても、上には分からん。上は現地を見ないからな」


「……確かめないのですか」


「確かめる者は、外回りに回される」


 わたくしは、足を止めそうになった。


 その言い方には、覚えがあった。写図室で、二度尋ねた者がどこへ行くか。


「爺は、外回りでいらしたのですか」


「二度尋ねたからな」


 それきり、その話はされなかった。


 村の入口が見えたところで、爺は思い出したように付け足された。


「王都の連中を、悪く思わんでやってくれ。あれは、そういう作りになっとるだけだ。作りを直さんことには、誰が座っても同じことをする」


    ◇


 館に戻ると、フェリクス様が掲示板の前に立っておられた。


 王都からの回状が、月の荷で届いていた。


 北方街道開削のため、軍務省遠征課が測量隊を出す。出立は年明け。経路は、ヴェルデ峠を越えて北上し、ラーン川流域を通って鉱山へ至る。


 わたくしは、その一行を三度読んだ。


 ヴェルデ峠を越えて北上し、ラーン川へ下る手前に、谷がひとつある。両側の尾根が高く、冬は昼を過ぎるとすぐに翳る。日の入りより二刻早く暗くなる谷だ。


 その東の斜面は、土が緩い。三年前、わたくしはそこへ登って、土を握って崩れ方を見た。


 だから原図の余白に、短い横棒を一本引いた。いま、その印は、紙にない。

【余白より】坑口は三つ。図には一つ。支柱の折れ口、まだ白し。


図が現地に負ける回でございます。この作品は、地図の万能を書きません。土地の記憶のほうが正しいことは、いくらでもございます。


次回、王都で北方遠征の告示が出ます。隊が持ってまいりますのは、原図ではなく、写しの写しでございます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ