表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄は承りました。では、王都へ戻る道はご自分でお探しください 〜追放された地図師令嬢は、辺境伯と「帰れる地図」を作る〜  作者: 白雪こよみ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
24/30

第24話 帰り道も、国のものですか

 三日目、峠へ上がった。


 コンラート殿と、書記と、ライナー様と、わたくし。ニナは連れていかない。フェリクス様が館に残った。


 峠道は、四月でもまだ雪が残っている。北側の斜面だけが白い。日の当たらない場所から先に凍って、最後に解ける。


 コンラート殿は、よく歩かれた。


 六十を過ぎておられるはずだった。歩き方に無駄がない。膝を高く上げず、足の裏を滑らせる。ハーヴェル爺と同じ歩き方だった。


「外回りを、なさったことがおありですか」


 わたくしは、伺った。


「八年やった」


 それだけ仰った。


 八年は長い。外回りは若いうちの数年で終わるのがふつうだった。八年やった人は、山で何度か死にかけている。


 道の途中で、その方は二度立ち止まった。二度とも景色を見るためではなかった。足の裏で地面を確かめておられた。


 柔らかいところと硬いところを踏み分けて歩く人は、雪の下に何があるかを足で読んでいる。これは頭で覚えるものではない。何年も歩いた体だけが覚える。


 わたくしは、その歩き方を後ろから見ていた。


 この方は、線を引かない院長ではあっても、線の引き方を知らない人ではなかった。


    ◇


 吹き溜まりの跡は、まだ残っていた。


 道が北へ曲がるところ。北の斜面から落ちた雪が、まだ半分残って、道の上に膨らんでいる。


 わたくしは、そこで足を止めた。


「ここでございます」


「ここが」


「冬に、荷車が止まります。年によって止まる年と止まらない年がございますが、雪のあとに北風が吹くと、埋まります」


 コンラート殿は、その膨らみを見ておられた。それから、屈んで、雪を握られた。握って、指のあいだから落として、また握った。


「締まっているな」


「はい。四月の雪でございますので」


「冬の雪は、これより軽い」


「はい」


「軽い雪は、風で動く」


 その方は、立ち上がって、雪を払われた。


「あなたの図に、この場所は、どう書いてある」


「短い横棒を一本。それと、荷車はここまで、という印を」


    ◇


 領庫から持ってきた峠の図を、その場で広げた。風があったので、四隅を石で押さえた。コンラート殿は、屈んで、それを見ておられた。


「二つ印がある」


「はい。急な坂と、この吹き溜まりでございます」


「急な坂のほうには、荷車が通れると書いてある」


「雪が固ければ通れます。ですから、ここまでは行っていい、と」


「戻れるからか」


「はい」


 コンラート殿は、図の上の、その二つの印のあいだを指でなぞられた。


「行っていい、と書いた図を、私は見たことがない」


    ◇


 風が強くなってきたので、茶屋の跡へ移った。


 石の壁が腰の高さまで残っていて、その内側だけ風が来ない。去年の夏、わたくしが帳面に書いた場所だった。


 壁の裏には道標が倒れたままになっている。彫られた二つの名のうち片方は削れて読めない。


 コンラート殿は、それを見つけて、屈んで指でなぞられた。


「ヴァイセン」


「読めるのでございますか」


「彫りの底が残っている。上から光を当てれば読める」


 わたくしはその名を帳面に書いた。ヴァイセン。峠の向こうの、いまは地図に無い集落の名だった。


「四十年前まで人が住んでいた。冬に村ごと出た」


「……院の図には」


「載せなかった。無くなる村を載せると、正図の改訂が増える」


 書記が湯を沸かしているあいだ、コンラート殿は壁にもたれて座っておられた。


「アルストレム」


「はい」


「あなたは、この領の図を、王国の図にしたいのか」


 わたくしは、少し考えた。


「したくはございません」


「ほう」


「王国の図に、この領の図を入れていただきたいのではございません。王国の図に、余白を作っていただきたいのです」


「同じことだ」


「違うと存じます」


 わたくしは、蝋布を膝の上に置いた。


「印の形は、土地ごとに違ってよいと存じます。この村の三本の横棒は、隣の村では通じないかもしれません。通じなくてよいのです。大事なのは、印を打つ場所が、図の上に残っていることでございます」


「規定が二十六増える、という話ではないのか」


「はい。増やしていただかなくて構いません。落とさないでいただきたいだけでございます」


 コンラート殿は、しばらく黙っておられた。


「落とさなければ、正図は汚くなる」


「はい」


「王国のどこでも同じに読めなくなる」


「はい」


「それでも、落とすなと言うのか」


「落とされた場所で、人が死にましたので」


    ◇


 風が、壁の外を通っていった。


 湯が沸いて、書記が三つの碗に注いだ。ライナー様は受け取らず、壁の外に立っておられた。中の話は聞こえていたと思う。


「あなたの図は、国のものだ」


 コンラート殿は、そう仰った。


「北方測図の任は、院の命により発せられた。命により作成された図は、国の資産だ。辺境伯が雇い直したのは形式にすぎん。私が院長として認めなければ、それは通らない」


「はい」


「認めない、と言えば、この図は明日から誰のものでもなくなる」


 わたくしは、碗を膝の横に置いた。置いてから、こう申し上げた。


「では、帰り道も、国のものですか」


    ◇


 コンラート殿の手が、止まった。


「……何と」


「この図に書いてございますのは、行き方ではございません。帰り方でございます」


 わたくしは、蝋布を広げた。


 二十六の印。点と、横棒と、斜線と、四角と、人の形と腰の線。


「どこまで行ったら引き返さなければならないか。どこで日が落ちるか。どこに風の来ない場所があるか。この線は、行くための線ではございません。戻るための線でございます」


「同じ線だろう」


「同じ線でございます。ですが、行きは誰でも歩けます。帰りは、そうではございません」


 わたくしは、峠の道の、二つ目の印を指した。


「行くだけなら、この先へも行けます。行った人は、たいてい行けます。行った先で暗くなって、風が出て、そのときに初めて、帰り道が要るのです」


 風の音がした。


「王都の図は、行き方が書いてございます。よく書けております。三年、わたくしも書いておりました」


 わたくしは、顔を上げた。


「帰り方は、誰も書いておりませんでした。ですから、余白に書きました。国のものだと仰るなら、それでも構いません。ただ、国は、その余白を落とします」


 そこまで言って、わたくしは口を閉じた。言い過ぎたと思った。


 院の頂に座る人へ向かって言う言葉ではなかった。三年前のわたくしなら、この半分も言わずに黙っていた。


 コンラート殿は、碗を両手で持ったまま動かれなかった。湯気が上がって、風で横へ流れた。


 やがてその方は、碗を石の上に置いた。置いてから、こちらではなく、壁の外に立っているライナー様のほうを見た。


「辺境伯。聞いていたな」


「聞いていた」


「この娘の言うことに、あんたは責を負えるか」


「負う」


 即答だった。コンラート殿は、それきり何も仰らなかった。

【余白より】四月の雪は締まる。冬の雪は軽い。軽い雪は、風で動く。


余白の註記は、行くための線ではございません。帰るための線でございます。第一話から引っぱってまいりました意味が、ここで全部出ます。


次回、北から早馬が来ます。紙には、助けてくれ、と書いてございます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ