第19話 図面控え
橋台を図に落とすのに、三日かかった。
位置は星で出してある。あとは、形と、そこへ至る道と、渡れないという事実を、どう書くかだった。
「渡河不能」と書けば済む話ではない。読む人は、なぜ渡れないのかを知りたがる。橋が落ちたのか、まだ架かっていないのか。落ちたのなら、また架かるかもしれない。架かっていないのなら、当分は架からない。
わたくしは、橋台の記号を新しく作った。
四角を二つ、向かい合わせに置いて、そのあいだを空ける。空けたままにする。桁の線を引かない。
空いているところに、点を三つ打った。三つは「歩けない」という意味だ。人の形と腰の線と同じで、この領で決めた印だった。
できあがった図を、ハーヴェル爺に見ていただいた。爺は、長いこと黙っておられた。
「これは、院の図では描けんな」
「はい」
「院の図には、無いものを描く欄がない」
◇
その言葉が、引っかかった。無いものを描く欄がない。では、王都の図に描いてある橋は、何なのか。
誰かが、無いものを描いた。描くには、描く理由と、描く欄が要る。
わたくしは、爺に伺った。
「院の図面控えは、いまも残っておりますか」
「控えというと」
「正図を作る前の、審査の控えでございます。どの図をいつ改訂したか、誰が起案したか、どういう理由でその線を入れたか。院では、それを綴じて残しております」
わたくしは、写図室にいたころ、その綴りを何度も見た。清書のときに、前の版と食い違うと、そこを見に行かされる。
地下の書庫の、いちばん手前の棚。年ごとに綴じてある。
「見に行けるか」
「わたくしは、行けません」
院の書庫に入るには、席次が要る。筆写係は、次席の使いとしてなら入れる。使いでなくなった者は、入れない。
「爺は」
「わしも入れん。四十年前に辞めた男だ」
爺は、そこで少しだけ笑われた。
「ただ、書庫番なら知っとる」
◇
手紙を書いた。
宛先は、王立測図院 書庫掛。名前は、爺が覚えておられた。ヨナス・ケラーという方で、爺が助手だったころ、まだ十代の下働きだったのだそうだ。
文面は短くした。
十四年前の北方地区の改訂について、審査控えの写しを一部、拝借したい。私費で写し賃を払う。
最後に、爺が一行だけ書き足された。
——ハーヴェルはまだ生きとる。膝が悪い。
その一行が要るのだと、爺は仰った。
役所に頼みごとをするときは、頼む理由より、頼む相手が誰かのほうが効く。四十年前に同じ建物で働いた男の名前は、規則の書いていない場所で効く。
◇
手紙を出してから、待つあいだに、夏の測量を進めた。
東の坑のあたりを一枚に仕上げた。三つの坑口と、崩れかけた支柱と、下から水の出る口。水の出る口には、飲めるかどうかの印を付けた。飲めない水にも印が要る。
それから、村の壁の図を描き直した。冬に描いたものは、川の幅が冬のままだった。夏の幅を、別の色で重ねた。
色は、赤い染め粉を薄めて使った。ヘルダさんが「杭のときは黄がいいと言ったくせに」と笑った。
紙の上と、雪の上は、違う。紙の上でなら、赤は黒とよく分かれる。
手紙を出した三日後、フェリクス様が書庫へ入ってきて、たいそう深刻な顔で仰った。
「大変です」
「何がでございますか」
「うちの領庫に、紙が無い」
わたくしは筆を置いた。
「先月、あなたが十二枚使いました。今月、私が申請書に八枚使いました。峠は開いてますが、次の便は十日後です」
「……八枚も、何をお書きになったのですか」
「橋の申請の下書きです」フェリクス様は胸を張られた。「七回書き直しました」
「七回」
「一回目は情熱的すぎました。二回目は情熱が足りませんでした。三回目で領主に見せたら『長い』と言われまして」
その日、わたくしは布に描くことにした。
蝋を引いた布は、指で撫でれば消える。消えるものに下書きをして、通ると決まってから紙に清書する。
フェリクス様は、それを見て「それ、最初から言ってください」と仰った。
◇
返事は、二か月後に来た。
夏の終わりだった。荷の便に、油紙で包んだ薄い束が入っていた。
審査控えの写し。十四年前の、北方地区改訂の分。二十二枚あった。わたくしは、館の卓の上に並べて、一枚ずつ見ていった。
半分は、道の改訂だった。街道の付け替え、里塚の位置の修正。残りは、川と橋。
その中に、それがあった。ラーン川、架橋計画にともなう改訂。
起案の日付は、十四年前の三月。改訂の中身は、一行だけ書いてある。
——ラーン川渡河地点に橋梁を実線にて記載。
実線にて記載。わたくしは、その一行を三度読んだ。
◇
図面上の線には、決まりがある。
あるものは実線。計画中のものは破線。破線は「まだ無い」という意味で、破線で描かれた橋を渡ろうとする者はいない。
実線で描かれた橋は、あるということだ。起案の理由の欄には、こう書いてあった。
——北方街道整備予算の申請にあたり、経路の連続性を示す必要があるため。
予算を取るには、道が繋がっていなければならない。川で切れている道には、予算がつかない。繋がっていることを紙の上で示すために、まだ架かっていない橋を、実線で描いた。
橋台は、その年に積まれている。積んで、そこで止まっている。予算は下りたが、橋そのものは架からなかった。
なぜ架からなかったのかは、この控えには書いていない。控えには、審査の順序も残っていた。
起案があり、次席が検め、院長が決裁する。三つの欄に、三つの印。印の下に、日付。
起案から決裁まで、四日だった。
院の改訂は、ふつう、三か月かかる。現地の確認に人をやり、戻ってきた報告を検め、それから決める。四日で通るのは、確認をしていないという意味だ。
わたくしは、起案者の欄を見た。名前が、そこにあった。
その字を、わたくしは知っていた。写図室の壁に、院内の通達が貼られる。通達の末尾に、いつも同じ字で署名がある。三年、毎朝それを横目で見ていた。
筆の入り方に癖がある。最初の一画を、上から強く入れて、途中で力を抜く。
◇
その紙を持って、ライナー様の部屋へ行くまでに、廊下で二度、足を止めた。
止めたのは、迷ったからではない。
この一枚を見せたら、あの方が何をするか、わたくしには分からなかったからだ。
扉を叩いた。入れと言われて、卓の上に置いた。ライナー様は、それを読まれた。
一度目は速く、二度目はゆっくり。二度目のとき、指が起案者の欄で止まった。
しばらくして、その方は顔を上げられた。
「これは、写しだな」
「はい。原本は院の書庫にございます」
「原本が残っているか」
「綴じてございますので、抜けば分かります」
ライナー様は、紙を卓に戻された。
「明日、王都へ発つ」
「……何をなさいますか」
「まだ決めていない」
わたくしは、卓の端に手をついた。
「ひとつだけ、申し上げてもよろしいでしょうか」
「言え」
「この紙は、証拠にはなりません」
ライナー様が、こちらを見た。
「写しでございます。原本ではございません。院は、写しの真正を認めない仕組みになっております。認めてしまうと、誰でも写しを作って持ち込めますので」
「では、何のためにこれを取り寄せた」
「どこに何があるかを知るためでございます」
わたくしは、控えの綴じ穴の位置を指した。
「この綴りは、地下書庫の手前の棚の、上から二段目にございます。十四年前の分は、上から四冊目。抜けば、この一枚がそこにあることが分かります」
ライナー様は、しばらく黙っておられた。
「お前は、行かないのか」
「わたくしが行けば、恨みで動いていると読まれます」
それは、本当のことだった。
本当のことだったが、それだけではないと、自分でも分かっていた。
わたくしは、その紙を巻いた。
いつもどおり、指三本ぶんの隙間を残して、麻紐を二重にかけた。端は、引けばほどける結び方で。
【余白より】紙が尽きたので布に書く。図面控え二十二枚、私費にて。起案から決裁まで四日。
巻き方の描写が、第一話と同じ形で出てまいります。指三本ぶんの隙間、麻紐は二重、端は引けばほどける結び方。急いで開く方がいらっしゃるかもしれませんので。
次回、王都で原本の提出命令が出ます。問われはじめますのは、検めの欄の印でございます。




