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婚約破棄は承りました。では、王都へ戻る道はご自分でお探しください 〜追放された地図師令嬢は、辺境伯と「帰れる地図」を作る〜  作者: 白雪こよみ


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第18話 星と、父の隊

 六月の川は、冬とは別のものだった。


 水は減っていたが、まだ速い。両岸のあいだは四十歩。冬に測った数と、二歩ちがった。冬は雪の縁から測っていたからだ。


 測り直して、帳面に書いた。冬の数の下に、夏の数を並べて書く。同じ場所の数が二つあるのは、間違いではない。季節が二つあるからだ。


 橋台は、変わっていなかった。


 石を積んだ台が、両岸に向かい合って立っている。近づいて見ると、積み方が丁寧だった。角の石は、面を合わせて削ってある。急ごしらえではない。


 この台を積んだ人は、ここに橋を架けるつもりだったのだと思う。


 上面に、木がこすれた跡はない。十四年、そのままだった。


    ◇


 夜営は、川から少し離れた高みに張った。


 川べりは霧が出る。霧が出ると星が見えない。星が見えないと、位置が出せない。


 この土地には、王都からの繋がりがない。器械で繋いでいくには、遠すぎる。


 繋ぐというのは、点から点へ三角を伸ばしていくことだ。王都から北へ、里塚ごとに繋いでいけば、理屈の上ではここまで届く。届くが、その途中で誤差が三十回ぶん積み上がる。


 積み上がった誤差は、目に見えない。図の上では、線はきれいに繋がっている。繋がっているのに、実際の場所とは半里ずれている。そういう図が、王国にはいくつもある。


 だから、天から降ろす。決まった星が、決まった刻に、どの高さに来るかを測る。それで、この場所が王国のどのあたりにあるかが出る。


 「北へ何里」を、人の足でなく、空で決める。


 器械を据えて、水平を出した。据えるのに半刻。天幕は、フェリクス様とローデさんが張った。


 火は、少し離して焚いた。近いと、器械の覗き穴に熱の揺らぎが入る。


「あんた、火にあたらないの」


 ニナが言った。今回は連れてきている。歩測が要るからだ。ヘルダさんの許しは、ライナー様が直接もらいに行かれた。


「もう少ししましたら」


「凍えるよ」


「凍える前に測り終えます」


    ◇


 星を測るのは、地上を測るより静かな仕事だった。


 器械の覗き穴に星を入れて、目盛りを読む。読むのは高さだけだ。地平からどれだけ上にあるか。それを、決めた刻に測る。


 刻を決めるのが難しい。この土地に時計はない。館の大時計は動かせない。だから、砂時計を三つ持ってきて、順に返しながら数える。返す係はローデさんがやった。返すたびに声を出してもらう。


 声と、目盛りと、星の名前。三つを組にして帳面に書く。書き終えるまでは次の星に移らない。


 寒い。六月でも、夜の川べりは息が白くなる。手袋をしていると目盛りが読めないので、右手だけ外して測って、測り終えるたびに懐へ入れる。


 この出し入れを、一晩で四十回ほどした。星は、九つ使った。


 九つのうち、二つは雲に入った。残りの七つで足りる。多く測るのは、間違いを見つけるためだ。七つの答えがだいたい同じところに集まれば、その真ん中を取る。ひとつだけ離れていたら、それは読み違えている。


 計算は、火のそばでやった。


 紙に数を並べて、足して、割る。指がかじかんで、二度書き損じた。


 出た数を、帳面に書いた。


 ラーン川の橋台。ここが、王国のどこにあるか。これで、王都の図と重ねられる。


 顔を上げたら、ライナー様が火の向こうに座っておられた。


 ニナは、天幕の中で寝ている。ローデさんが見張りに立っている。フェリクス様は、鍋を洗っておられた。


「終わったか」


「終わりました」


「それで、何が分かる」


「王都の図の上に、この橋台を置けます」


    ◇


 ライナー様は、火に枝を足された。左手だった。手袋を、外しておられた。


 わたくしは、それを見て、目を逸らした。逸らしてから、逸らしたことのほうが失礼だったと思った。


「見ていい」


「……はい」


 手の甲から手首にかけて、皮膚が引き攣れていた。指は、四本目と五本目が、まっすぐ伸びない。


「十四年前だ」


 ライナー様は、火を見ながら仰った。


「親父の隊が戻らなかった。二十四人だ。川筋を北へ行って、そこで冬になった」


「はい」


「戻ってきた者が一人いた。その男が言った。図には橋があった、と」


 枝が、火の中で音を立てた。


「俺は十五だった。屋敷じゅうの地図を集めて、広間で焼いた。三枚は枠に入ったままだったから、掛けたまま焼いた。火が壁を伝ったから、素手で叩いた」


「……はい」


「叩いても消えなかった。フェリクスの親父が、外から水を運んできて消した」


    ◇


 わたくしは、何も申し上げなかった。申し上げる言葉が、ひとつも見つからなかった。


「あのとき、俺は紙が憎かった」


 ライナー様は続けられた。


「いまも、たぶん憎い。だが、あの日焼いたのは、うちの領の井戸と、うちの村の道が書いてあった図だった。橋を描いた図は、王都にある。俺は、間違ったものを焼いた」


 火が、少し傾いた。風が出てきていた。


「お前の図に名前を入れさせたのは、そのためだ」


「はい」


「間違えたときに、どこへ行けばいいかが分かる。焼く相手を、間違えずに済む」


 わたくしは、頭を下げた。下げてから、顔を上げるまでに、少し時間がかかった。


「一つ、伺ってもよろしいでしょうか」


「言え」


「戻ってこられた、その一人の方は」


 ライナー様は、少し間を置かれた。


「三年後に死んだ。冬に、家で」


「……はい」


「その男が、毎年、名前を書き写していた。二十四人ぶんだ。字が下手でな、三日かかっていた」


「いまは、どなたが」


「フェリクスだ。親父から引き継いだ」


 わたくしは、鍋を洗っておられた方の背中を見た。


 軽口ばかり言う方だと思っていた。軽口を言う人は、たいてい、言わずに済ませているものを持っている。


    ◇


 その夜、わたくしは天幕に入らず、器械のそばに座っていた。


 星は、まだ出ている。


 北の空の低いところに、動かない星がある。あれを基準にして、ほかの星の高さを測る。動かない星があるから、動く星の位置が決まる。


 誰かが、どこかに立っていてくれないと、測るということはできない。


 ニナが天幕から出てきて、わたくしの隣に座った。眠れないのだそうだ。


「あれ、なに」


「星でございます」


「知ってる。名前」


 わたくしは、王都で習った名前を申し上げた。ニナは、聞いてから、こう言った。


「ばあちゃんは、ちがう名前で呼んでたよ」


 わたくしは、帳面を開いて、その名前を書き留めた。書き留めながら、ふと思った。


 王都の名前と、この土地の名前と、どちらが正しいのかを決める仕組みは、たぶん無い。無くていい。図には両方書いておけばいい。


 欄が足りなければ、欄を増やす。


 ニナは、そのうち、こちらへ寄りかかって寝てしまった。重かった。動くと起きるので、そのまま朝まで座っていた。

【余白より】星、九つ。うち二つは雲に入る。残る七つの真ん中を取る。動かぬ星があるから、動く星が決まる。


位置というのは、動かないものを先に決めてから出すものでございます。星でも、人でも。同じ夜に、二十四人が帰らなかった話が出てまいります。


次回、王都から十四年前の控えが届きます。実線で引かれた橋の話でございます。


ブックマークと評価は、星を待つあいだの炭の代わりに受け取っております。

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