第11話 雪を掘る
出たのは十四人だった。
ノルトフェルトから八人、ミュール村から六人。橇が二台と、犬が四頭。
わたくしも入れていただいた。ライナー様が「地理に明るい者を出せと書いてある」と仰ったからで、要請どおりというより、要請の言葉尻を使われたのだと思う。
ニナは連れていかない。母親のヘルダさんが、はっきりそう言った。ニナは言い返さなかった。門のところに立って、こちらを見ていた。
出る前に、わたくしは蝋布を三枚、腰に下げた。
谷の図と、峠の図と、白紙。白紙は、向こうで描くためのものだ。
雪の中で紙は使えない。濡れると墨がにじむ前に、紙そのものが崩れる。蝋を引いた布なら、雪をかぶっても、手のひらで払えばそのまま読める。
院で笑われたやり方だった。橇には、鍬と、鋤と、細長い鉄の棒を六本積んだ。
棒は探るためのものだ。崩れた雪の上を歩きながら、一定の間隔で突き刺していく。人に当たると手ごたえが違う。石は硬く、木は乾いた音がして、人は柔らかい。柔らかいものに当たったら、そこを掘る。
この方法を知っていたのはミュール村の男たちだった。あの村では十年に一度ほど崩れが出る。出るたびに、同じことをする。
わたくしは棒の突き方を教わった。まっすぐ下へ、体重を乗せずに、腕だけで。体重を乗せると、下にいる人を傷つける。
◇
谷の入口に着いたのは、三日目の昼だった。
崩れは、思っていたより長い範囲に広がっていた。斜面の中ほどが、幅二百歩ばかり、まるごと下へ落ちている。落ちた雪は、谷底で盛り上がって、青みがかった塊になっていた。
崩れた雪は、時間が経つと固くなる。半日で、鍬が要るほどになる。
三日経っている。
遠征隊の生き残り十九人は、谷の入口に天幕を張っていた。掘り返す道具が足りず、手で二日掘って、二人を出したところだった。二人とも、助からなかった。
残りは十一人。わたくしは、まず数を確かめた。
天幕の位置。崩れの端から何歩か。夜半に崩れたのなら、人はどこで寝ていたか。
寝ていた場所は、生き残った人が覚えていた。天幕は五張り。三張りが崩れの下、二張りが端。
「三張りぶんを、掘りましたか」
「二張りぶんだ」若い兵が答えた。「三つ目がどこか、分からん」
「天幕の間隔は、どのくらいでございましたか」
「……十歩くらい、だと思う」
わたくしは、崩れの端に杭を打った。
二つ目の天幕が出た場所から、十歩。斜面の傾きぶん、雪は下へずれる。ずれる量は、傾きと落ちた高さで見当がつく。谷の傾きは、この目で見た。
二十二歩ぶん下へ、印をつけた。
「ここを掘ってください」
◇
掘るのは、思っていたより静かな作業だった。
誰も喋らない。鍬の音と、息の音だけがする。掘り出した雪を後ろへ回して、また掘る。四人一組で、半刻ごとに交替する。半刻以上続けると、汗をかいて、そのあと冷える。
崩れた雪には層がある。上から三尺ほどは軟らかく、その下が硬い。硬いところで鍬が跳ねる。
わたくしは掘る側には入れなかった。力が足りない。代わりに、掘った位置に杭を立てて、どこまで掘ったかを図に落としていった。
同じ場所を二度掘る人が出ないように。これは、わたくしにできることだった。
九人が出た。
二人が生きていた。天幕の骨組みが、たまたま三角に潰れて、その内側に空洞ができていた。
残りの七人は、間に合わなかった。
生きていた二人を橇に乗せて、ミュール村の男たちが先に降ろしていった。
残るのは、まだ二人。
◇
二人は、崩れの下にいなかった。
生き残りの証言では、その二人は崩れたとき、端の天幕にいて、無事だった。それから、暗いうちに動いたのだという。
「どこへ」
「川だ」若い兵が言った。「橋を渡って、対岸の道から助けを呼ぶと言って」
わたくしは、蝋布を広げた。ラーン川。谷の底から西へ半里。
その川筋に、四角い記号がひとつ、打ってある。館の書庫の古い図にあったのと、同じ位置だった。
わたくしは、この谷を測っていない。だから、この記号は、わたくしが写したのではない。写しの写しから、そのまま持ってきた形だった。
「隊の図にも、橋が」
「ある。ここに」
若い兵が、自分の懐から折り畳んだ紙を出した。
六枚目の写しだった。線が太い。縁は、まっすぐに切り落としてある。
四角い記号が、そこにあった。
◇
川へ下る道は、雪が浅かった。
風の通り道だからだ。風が雪を飛ばすので、地面が近い。歩きやすい。歩きやすいほうへ人は行く。
これは罠だとわたくしは思った。
雪の深い道と浅い道が並んでいたら、人は必ず浅いほうを選ぶ。夜ならなおさらだ。けれど雪が浅いのは風が強いからで、風が強い場所は、立ち止まったときにいちばん体温を奪う。
行きは楽で、帰りは苦しい。そういう道がある。図の上では、どちらも同じ細い線になる。半里は、思ったより早かった。川は、凍っていなかった。
ラーン川は水量が多く、この幅では凍らない。両岸のあいだは四十歩ほど。水は黒く、速い。
橋は、無かった。
両岸に、石を積んだ台が向かい合って残っている。橋台という。橋を架けるときに、まず作るものだ。
台の上に、桁は載っていなかった。
載ったことが、一度もない台だった。石の上面に、木がこすれた跡がない。十四年も風雨に晒されて、なお角が立っている。
二人は、そこにいた。
川の手前、橋台の陰。二人とも、外套にくるまって座っていた。並んで、上流のほうを向いて。
寒さで死ぬ人は、最後に暖かいと感じるのだと、ハーヴェル爺から聞いたことがある。だから、外套を脱いで見つかることがあると。
この二人は、脱いでいなかった。
◇
ライナー様は、橋台のところから動かれなかった。
石の角に手を置いて、対岸を見ておられた。左手だった。手袋の上から、石を握っておられた。
わたくしは、少し離れて立っていた。やがて、その方が仰った。
「十四年前も、ここだ」
わたくしは、答えなかった。
「親父の隊は、二十四人だった。ここまで来て、渡れずに、川沿いを北へ行った。北は、もっと風が強い」
風が、上流から吹き下ろしてきた。わたくしは腰から白紙の蝋布を外して、板に留めた。
橋台の位置を測った。両岸の距離。台の高さ。水の幅。石の摩耗の向き。
それから、余白に一行だけ書いた。
——桁なし。渡河不能。上流下流に渡れる場所なし。
この一行を書くのに、手が震えて、二度書き直した。寒いからだと思うことにした。二人を橇に乗せて、谷へ戻った。
戻る道は上りだった。行きに歩きやすかったぶん、そのまま帰りの重さになった。橇を引く縄が肩に食い込んで、四半刻ごとに交替した。
途中でいちど、ライナー様が振り返られた。川は、もう木立に隠れて見えなかった。
【余白より】探り棒、六本。腕だけで刺すこと。橋台あり、桁なし、渡河不能。
蝋を引いた布に描きますのは、雪と雨で紙が死ぬからでございます。この日、濡れずに残りましたのは、その一枚だけでございました。手が震えて二度書き直した一行も、そこにございます。
次回、隊を出した方が、この領へまいります。詫びは、ございません。




