17.マラキ
「王族は生まれながらにして王族である。だが、貴族についてはそうではない。下層民として生まれても、多額の税金を納めれば、一定の期間、中層民として扱うものとする」
先々代の国王クワルツ四世の取り決めによって、貴族は二種類に分かれた。
生まれが貴族なら帯剣貴族、そうでなければ法服貴族と呼ばれる。
しかし、下層民として生まれながら、法服貴族の一族となった者が、歴史上にわずかいる。
マラキという女がそうであった。
彼女は、アンソルスランの貧しい農村で生まれた。
生来のくすんだ灰色の髪は、陽光に照らされると神秘的な色となった。
歩くのもおぼつかない年頃から既に大きな目とつややかな唇で周囲を魅了した。
だが、弟が生まれて間もなく母が駆け落ちをする。
姉弟は叔母に引き取られて育つこととなったが、慎ましいを通り越して糊口を凌ぐような生活は、マラキに強い頑強さと、富への渇望を植え付けた。
ところが、マラキが7歳の時、再婚した母が来訪し、彼女を引き取って首都レゾンでの暮らしが始める。
マラキは、生まれ持った可憐さと賢しさによって金融家の継父から大層かわいがられ、高等な修道院学校への入学を果たした。
当時、下層民が教育を受けること自体が稀で、ましてや貴族の子女と机を並べることなど皆無だった。
しかし、マラキは見事その箱庭に潜り込み、貪欲に学んだ。
挨拶と笑顔の徹底は人から好感を勝ち取ること。
自分を嫌う相手とは、一旦距離を置いた上で、次第に孤立させると相手から迎合してくること。
高飛車な人間を手玉に取るには、ひとまずへりくだることが肝要であること。
自分の容貌を嫌う男はいないこと。
自分の容姿は女の中でもとりわけ魅力的であること。
つまり、マラキは後にアヴァール宮殿で立ち回るための一切を、学校で体得していったのである。
マラキは15歳で修道院での教育を終え、彼女を見初めた富豪の家で侍女をしていたが、素行上の問題から解雇される。
彼女の過失というよりも、彼女の魅惑に耐えられなくなった男が言い寄り、その男に近しい女が危機感から働きかけ、醜聞を嫌う主人から暇を出されるという展開であった。
それでも、彼女に声をかける金持ちは絶えなかった。
その後、男性遍歴を繰り返し、高級娼婦のような生活をしていたが、それでも表向きはお針子として生活を営んでいた。
だが、洋裁店に勤めていても、その美しさはあっという間に評判となる。
いくつかの偶然と繋がりによって、マラキは、グルナ子爵という人物に囲われることになる。
このグルナ子爵は、奇妙な嗜好の持ち主だった。
彼女に貴婦人のような生活とさせることと引き換えに、自身が連れてきた男性とベッドを共にさせたのである。
マラキは、なんの抵抗もなくそれを受け入れた。
家柄のよい貴族や学者、芸術家達を次々と相手にした。
それによって彼女は、社交界でも通用するような話術や立ち居振舞いをさらに会得していく。
肉欲は、身分を問わず人を虜にするものである。
マラキの噂は下世話な市民を通り越して貴族のサロンでささやかれるようになり、それはやがて国王の元にも届くようになる。
最愛の正室を病で失ったクワルツ五世は噂を聞きつけ、彼女を品定めに行った。
好色な王は一目見て魅了され、マラキはすぐさま公妾となる。
公妾になるには既婚者でなければならないという決まりがあったため、グルナ子爵の弟と型通りの手続きをして結婚したマラキは、正式にクワルツ五世の公妾になった。
宮廷の貴族たちからは、好かれ、歓迎された。
これまでに培ったすべての技術が、彼女のことを誰に目にも魅力的に写らせた。
朗らかで、愛嬌があり、親しみやすい。
彼女についての話を、貴族の男女はもちろんのこと、宮殿に出入りする市民や士官たちも喜んでした。
「宮廷に居並ぶ美女は多いが、その中でもマラキ様は最高の美女だ」
「まったくだ」
「欠けたところが一つもない」
「大きな青い瞳でまっすぐに見つめられると、どんな人をもとりこにしてしまう」
「鼻はじつに小さく、肌は目を見張るほど清らかだ」
「あの方は、汚れも、臭いも、ノミもシラミも無縁だ」
「週に何度もバラの香りの風呂を浴びているそうだ」
マラキをよく思わなかったのは、宮殿にただ一人だけだった。
王妃のチュルクワーズである。
チュルクワーズは高潔であることを幼少期から強く躾けられたために、性道徳に厳しく、若さゆえの潔癖も手伝って、公妾という立場そのものを嫌っていた。
自分は大公の血を引いているという矜持が加わり、マラキの出身が下層であることも、王妃の感情に拍車をかけた。
二人の関係が極めて疎遠であったことを表すエピソードがある。
宮廷におけるマナーでは、身分の低い側から高い側へ声をかけることは許されない。
だから、チュルクワーズの側からマラキに声をかけない限り、二人が言葉を交わすことはない。
チュルクワーズは、およそ二年に渡ってマラキを無視し続けた。
これにはマラキも憤懣やるかたない様子だったが、最高権威である王妃と正面切って争うわけにはいかず、陰ではどうあれ、人前では敬意を見せ続けた。
しかし、宮中の雰囲気を和やかにしたいと願う温厚な夫クワルツ六世に説き伏せられ、972年の元旦、新年拝賀式で、ただ一言だけ「今日のレゾンは、たいへんな人ですこと」と声をかけたという。
その場に居合わせた婦女達は、「チュルクワーズ様はいったい誰に向かってお話ししていらっしゃるのだろう」と訝しむほどだったというが、マラキはこれを「自分の勝ちだ」と嬉々として近しいものに語ったという。
王妃チュルクワーズがそれから当分の間笑顔を見せなかったのは、追記するまでもない。
チュルクワーズから疎んじられながらも、マラキはその能力の高さを存分に用いて、王妾でありながら権勢をふるう。
974年にクワルツ五世が崩御すると、法的には宮廷を去らなければならなかったにもかかわらず、近郊の宮殿に居座った。
マラキの信奉者――というよりも、彼女が宮中に作り上げた人脈が政治的に極めて有用であり、その恩恵に預かろうとした権力の亡者たち――が、彼女の地位を、何か使途の分からないような役職をでっちあげて鎮座させたのである。
そして、マラキは、支持者を使って政治に口出しをするようになり、陰から手の届く範囲――つまりアヴァールのほぼすべて――を牛耳るようになった。
「マラキ様」
真っ白で艶のある、人気のない廊下を歩く中、呼び止められたマラキは一拍置き、優雅に振り返った。
一拍が、自分への興味をつくる。
これはマラキが体得していた技術の一つであった。
「コション大司教様。私ごときに声をかけていただけるとは、恐悦至極」
コションは、脂肪が浮き、脂ぎった頭皮をペチペチと撫でながらにやりと笑みを浮かべた。
「何をおっしゃるやら。聞きましたぞ、国庫の決算書にも随分手を回したとか。今や、ルガルデの田舎娘様よりも実権を行使していらっしゃる。それに、最近はまた若い燕を取り替えたとも」
「コション様におかれましては、相変わらず、神事より俗世間への関心がお強いようで。月に一度、二度となく宮殿の夜会にいらっしゃるとは」
言いながら、マラキは眼光鋭く僧侶を見た。
「噂が人を殺す。今、こうして我々がふたりきりで会話を交わしている姿を見られただけでも、それは針小棒大に広まるもの。ましてや……」
「ごもっとも。だが、ひとつ警告しておかねばならなかったのでな」
コションが扇で口元を隠し、にわかに前かがみになった。
マラキも、素早く周囲に誰もいないのを確かめ、耳を寄せる。
「田舎娘様が、何やら故国と連絡を取り合っているようだぞ」
「チュルクワーズが? 何のために?」
「内容はわからぬが、何か、知己に頼み事のようだ」
ふっとコションは体を離した。
「掴んで損はなかろう」
「エクーテの独立の流れを考えれば、彼女がルガルデに頼み事など叶おうはずもないが……確かに、興味はある。それで?」
マラキの言葉に、コションはにやりと笑った。
「何、いつもの頼みごとだ。口の堅い若いのを見繕ってくれ。場所はいつものところで問題ないが、そうだな……あの娘はどうだ。王女付きの」
「エムロッドか。それは少々難しいな。王女は、お気に入りの彼女の姿が見えなくなると訝しむ。それに、彼女は中層としては下の位だが、窮するほどでもない」
「それは残念だ。では、いつも通り、そなたに任せるとしよう。では、会場でな」
コションが去ると、マラキは氷よりも冷たい視線で彼の背中を見送った。
作者の成井です。
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