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16.チュルクワーズ

「賢い選択ね」


 真珠の首飾りを見た母――つまり、ディール王国の王妃の言葉に、王女ペルルは微笑み、ドレスの裾を軽く引いてお辞儀をした。

 エムロッドはお腹の前に両手を重ね、直立したままその所作を見た。


「エムロッド」

「はい」


 王妃チュルクワーズに名を呼ばれ、エムロッドは背すじを伸ばした。

 いや、元々緊張していた体が、曲がっていたはずもない。

 半ば反り返るほどに、エムロッドは姿勢を作り直した。


「貴女の入れ知恵でしょう」


 問いに対して、エムロッドは何も言わず、静かにお辞儀を返した。

 認めれば、直属の主であるペルルに恥をかかせる。

 否定すれば、王妃に対して虚偽を伝えることになる。

 この場は、何も言わないのが正解だ。

 その証拠に、チュルクワーズ王妃も、ペルル王女も、自分に対して何の言葉も望んでいない。


「我が娘ながら、うらやましいわ。このような知恵者が、しかも年の近い者が傍らにいるなんて。私にも、貴女のような知己がいた気もするのだけれど」


 上品に笑う王妃に、エムロッドはどんな表情を返していいのかわからず、固まってしまった。

 いつ見ても、美しい顔立ちである。

 当然、ペルルとはよく似ているのだが、内側から滲み出るような気品と強さが王妃を美しく見せていた。

 そしてそれらは、王女にはまだ備わっていないものだ。

 王妃チュルクワーズの美貌については、王家御用達の宮廷画家が言を残している。


「彼女は、すべての性格の人々をとらえる眼をしている」

「肌はすばらしく、肩と頸もすばらしかった。これほど美しい腕や手は、その後二度と見たことがない」

「肌は輝かんばかりで、すきとおって一点の曇りもなかった。思い通りの効果を出す絵の具が、私にはない」

「身のこなしの優雅さを言えば、ディール中で一番りっぱに歩く婦人だった」


 しかし、宮中で王妃に対する文句で多く出てくるのは、そういった容姿のことではなかった。

 彼女の出自に関することである。

 チュルクワーズは、長年敵国関係が続いているルガルデ公国における最高権力者の、直系の血族だった。


 六百年ほど昔、大陸の南方で随一の実力者であったセルヴォランが、ディール王国から袂を分かって大公を名乗り、一方的に独立を宣言した。

 当時の王室が支配力を維持できなくなっていたこと、セルクル教において腐敗する天派に対して地派が誕生したことなどが重なり、ルガルデ公国は建った。

 それ以来、ディールとルガルデは互いの国境線を引きあう険悪な関係を続けていたが、転機となったのは、東の諸島において、エクーテ合衆国が建つ機運が高まったときである。

 エクーテがルガルデ公国から独立する動きを封じ込めるためには、公国の戦力を注ぎ込まなければならない。

 だが、東に気を取られている間にディール王国が侵略を仕掛けてくる可能性がある。

 そう考えたルガルデ公国の権力者集団は、大公の血を引く者をディール王家に嫁がせ、王国とのかりそめの友好関係を築こうと画策した。

 そして970年、チュルクワーズはディール王国のクワルツ六世の妃となる。

 14歳の若さであった。

 エクーテ合衆国の独立や、その後の関係を見越した上での完全な政略結婚であることは、彼女にもよくよく分かっていた。

 しかし、チュルクワーズは意気揚々と嫁いだ。

 婚姻が成立し、両国間に繋がりが出来ると、ルガルデ公国は独立を謳うエクーテに攻勢を仕掛けようと体制を整え始めた。

 その矢先、そのチュルクワーズはエクーテ合衆国の独立戦争に加勢することを進言したのである。


「陛下。ルガルデの増長を抑えるためにもっとも有効な方策は、エクーテに与し、三つ巴の情勢を生み出すことです。さすれば、エクーテはディールに恩が生まれ、有事の際にはルガルデに対して優位に立てます」


 温厚な性格で知られるクワルツ六世は、仰天して妻に真意を尋ねた。

 なぜ、故国であるルガルデに敵対するようなことを進言するのかと。

 チュルクワーズは、きっぱり言った。


「ディール王国の王妃として、この国の益を第一に考えたまでのことです」


 重臣たちは、チュルクワーズに感嘆し、国王に重ねて進言した。


「陛下。元々、ルガルデ公国はディール王国から独立して建った国です。これまで好きにさせていたことが間違いです」


 ディール王国の中には、ルガルデを属国とすべきだという過激な思想を持つ者が少なくない。

 彼らは派閥を結成し、婚姻によって両国の関係が友好的になることを厭っていた。

 彼らはチュルクワーズを「ルガルデの売春婦」などと揶揄していたが、彼女の言葉に手のひらを返し、褒めたたえた。

 さらに、自らの領地が国境付近でルガルデの脅威にさらされている者達も追随し、最初は宣戦の拡大と国家の疲弊を案じて渋っていた国王も、ついにはエクーテの武力援助を表明したのである。


 こうして、ディール革命時代を語るうえで重要な要素となる、三国のにらみ合いが成立した。

 表向きには時の国王クワルツ六世の英断として記録されはしたが、その経緯は瞬く間に知れ渡り、王妃チュルクワーズが強烈な政治手腕を持っていることは周知の事実となった。

 先見の明を持つ優れた統治者の器であることを示したチュルクワーズには、多くの諸侯がすり寄り、甘い汁を吸うために人目をはばからず「贈り物」をする者たちがアヴァール宮殿に謁見を求めた。

 毎日毎晩のように開かれる舞踏会も、国王の労を労い称える場と謳われてはいても、実際は王妃チュルクワーズとお近づきになるための社交の場として認識されていた。

 舞踏会が無くても、食事会に招かれれば王妃の目に留まることが出来るかもと誰もが色めき立ち、屋敷で最も価値のあるドレスと宝飾を身に着けた。


 しかし、当のチュルクワーズは実利主義で、そういった貴族らの忖度をことごとく退けた。

 それだけでなく、彼女は王家に関わる浪費を見直し、倹約な生活を訴えていく。

 特に宮殿における食費が膨大になっていたことを憂いて、自らの経験を生かして、宮殿近くに畑を開墾し、自ら土いじりをして採れた作物を宮殿の料理に使うなどの活動をするほどであった。

 これらの結果、「ルガルデの売春婦」という陰口はほとんど聞かれなくなったが、「ルガルデの田舎娘」という陰口が広がった。


 ただ、こういった歴史的な事実が、正確に後世に伝わることはなかった。

 彼女に敵対する力ある人々が醜聞を広め、市民がそれを信じたがために、多くの不名誉が事実として長年信じられていったのである。

 そのような未来を知る由は誰にもなく、王妃チュルクワーズは、ディール王国のために、知恵を絞り、心を砕いて、誇り高く日々を過ごしていた。


「大司教のコション殿がいらっしゃるけれど、それ以外の挨拶の順番も、間違えないようにするのですよ」

「心得ております、お母様」


 美しい唇で笑みをつくる王妃に、王女も同じ形の唇で笑みをつくった。

 一枚の絵画のような光景を見ながら、エムロッドは思う。

 挨拶の順番、か。

 挨拶ひとつとっても、宮中にはしきたりが多い。

 第一に、身分が下の者が、自分よりも上の者に声をかけてはならない。

 第二に、目上の者が声をかける際には、席順や身分に応じて適切に声をかけなくてはならない。

 その「適切」さが難しい。

 エムロッドは、今日の出席者の顔ぶれをあらためて思い浮かべた。

 コション大司教、オニクス卿、オンブル卿……次々と巡らしていき、一人の女性が浮かんだところで、エムロッドの胸に、濁った感情が広がった。

 マラキ夫人。

 先王クワルツ五世の最愛の公妾にして、現王妃チュルクワーズ最大の政敵である。


「今日は、例の方はご参加なされるのですか」


 ペルルが言うと、王妃は美しい尊顔をわずかに歪めた。

 それが答えだ。

 鈍い沈黙が一瞬流れたが、「さて」と王妃が口を開いた。


「私は後から行きます。あなた達は、先に会場にお行きなさい」


 促されて、エムロッドとペルルは宮殿の廊下を進んだ。

 斜め後ろを歩くエムロッドに、ペルルの視線がちらと注がれる。

 苦笑する王女に、エムロッドも苦笑で応えるほかなかった。

作者の成井です。

今回のエピソードをお読み頂き、ありがとうございました。


「面白い話だった」「続きも読んでみよう」と思って頂けたなら、

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それでは、また次のエピソードで。

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