15.ペルル
「ペルル様」
エムロッドは、静かに息を吐いてから、静かに言った。
手には、厚手のコルセットを握っている。
窓の外では、山の稜線に日が差し掛かり、陽光は橙に色を変えている。
「淑女のたしなみですから」
どうしてもため息交じりの声になってしまうのは、自分に言い聞かせている側面があるからだろう。
こんな、お腹を締め付けるような拘束具から解放されることが出来たら、どんなに幸せだろうと思う。
でも、とエムロッドは思う。
私はペルル様よりも一時間は早くコルセットをつけているのだから、身分が上の方はまだましなのだ。
「それを着けて、大皿に乗った脂っこいものを幾種類も食べなければならないかと思うと、気が重いの。エムロッドにも、分かるでしょう?」
金、というよりも、日の光を受けて白金に輝く長髪を櫛削りながら、ペルル――ディール王国の王女は口を尖らせた。
晴れた空の色をした瞳が、エムロッドをじっと見つめる。
「そうですね、分かりました。今日は特別に、コルセット無しにしましょう!」
エムロッドの頭に、ペルルの望む言葉が浮かんで響いた。
「それはもちろん、分かりますよ」
エムロッドの言葉に、ペルルが苦笑する。
「だからと言って」
「私の一存で決められることではございません、よね。分かっているわ、エムロッド。貴女はいつも私が望む言葉を返してくれるけれど、こういったことには厳しいものね」
苦笑が、弾けるような笑顔に変わる。
エムロッドは、王女の笑顔を見るたびに、何か幸せな気持ちになる。
アヴァール宮殿に出入りする貴族の子女の中には、見目麗しく、目を伏せてしまいそうな貴婦人も少なくないが、今目の前にいるペルル王女と比べると、どこかかすんでしまう。
それほどの美しさだ、とエムロッドは思っていた。
でも、それほどの美しさがあったとしても、お腹にはこの『拘束具』をつけなければならないのだ。
それが貴族というものだから。
「失礼します」
ペルルが両腕をパッと開いたので、エムロッドは近づき、コルセットをあてがった。
よくなめされた革を、王女の細い腰に当てて、手早く紐を結んでいく。
ふーっ、とペルルが息を吐く。
息がしづらいのだ。
「今日は、青にしようかしら? あの、薄い色のものがあったでしょう」
「二着ありますが、今日は、少し暖かそうな色の方がいいかもしれません」
「あまり気温が上がらなかったものね。青系だと、少し寒々としすぎるかしら……お母様も、同じことをおっしゃりそうだわ」
ペルルは、日々のドレスをどうするか、エムロッドに意見を求める。
エムロッドが彼女の付き人になった当初、つまり四年ほど前は、王女専属の衣裳係が付いていた。
ところが、エムロッドが就任してほどなく、ペルルは初老の衣裳係に暇を出した。
「これからは、エムロッドと相談して決めます」
一年ほど経ったあたりで、エムロッドはその理由を尋ねたことがあった。
「どうして、ドレスをお決めになるときに、私なんかの意見を求められるのですか」
エムロッドの言葉に、ペルルは今よりも少し幼かった表情を少し曇らせてから、答えた。
「年齢が同じ貴女と、お友達のようになりたかったの。迷惑だった?」
耳まで熱くなったあの感覚を、エムロッドは今でもはっきり覚えている。
それまでに何度も王女の求める言葉を発していたエムロッドだったが、そのときは、読み取るよりも早く返答してしまっていた。
「いえ、嬉しいです」
それからというもの、ペルルはエムロッドに意見を求めるようになった。
それは意見を聞こうとしているというよりも、ただ話をするきっかけにしようとしているのが明らかだった。
時折、主君と配下であるという関係を忘れそうになってしまいそうになるほど、ペルルのエムロッドに対する態度は親愛に満ちたものだった。
しかし、エムロッドの方では、主君が求める言葉が事前に分かってしまうことがほとんどであるため、それをそのまま言うとき、少し表現を変えるとき、あえて反対のことを伝えるときなど、様々に思いを巡らせて会話に臨まなければならない。
ただ、双方の意見がどうであれ、やらなければならないことについては、エムロッドもすげなく言うしかないのだが。
コルセットの上に絹の肌着を着て、上に淡い夕日色のドレスをまとい、襟元を正し、実に素晴らしい手触りのコートを上から羽織る。
これで、『アヴァールの真珠』と称される、ディール王国第一王女の完成である。
「どうかしら」
ペルルの言葉の後、エムロッドは頭に浮かんだ言葉をそのまま口にした。
「よくお似合いですよ」
真珠は嬉しそうに笑い、化粧台の上に置いてあるいくつかの首飾りに視線を落とす。
「アクセサリーは、どれがいいかしら?」
ペルルがエムロッドを見る。
「今日の晩餐には、コション大司教様が臨席されます。先々月に頂いた真珠のものがあったかと思いますので、それがよろしいかと」
なるほどね、と呟きながら、ペルルは大粒の真珠とたくさんの宝石をちりばめた豪奢なネックレスを手に取った。
そして、それを着けないまま、じっと見つめている。
「いかがなさいましたか」
エムロッドが声をかけると、ペルルははっとして首を振った。
「このようなきらびやかなものをつくる財は、いったいどこから出てくるのかしら、と思っていたの」
「王室を慕う、ディール王国の民からです」
「つまり、税よね」
「ええ、税です」
じっと首飾りを見つめたまま、ペルルは続ける。
「首飾りも宝石も、指輪もドレスも、そしてコルセットも、すべて、民の税によって賄われている。でも……」
ペルルはそこまで言って、エムロッドの方に向き直った。
「その民が、食べるものに困っている、というのは、本当?」
王女の青い瞳に見据えられて、エムロッドは言葉に窮した。
王女は、賢い方だ。
数年の関わりになるが、これまで一度も、確証がないことをみだりに口にしたことはない。
つまり、今の問いは、既に彼女の中で決定的な何かがあっての発言だということだ。
「よろしければ、なぜそのようなことをお聞きになるかを」
「小耳に挟んだの。厨房に食品を運んでいる業者の方々が、庭の隅で話していたのよ。ねえ、エムロッド。知っていた? 私がコルセットをつけて苦しい思いをして残した多くの食べ物を、宮廷で働く市民が集めて、運んで市民の食堂に並べるそうよ。そうしなければならないほどに、レゾンに住む民は食べるものに窮しているということ?」
「……少し、違います」
エムロッドは小さく息をついてから、続けた。
「宮殿で食べ残された物は、まずは宮中で働く者達の口に入り、残った者は売り買いの対象になります。そして、それを買い付けた市民が街に運び、そう、多くの場合、食堂でまた売り物になるそうです。ですが、あくまでも売り物ですから、それすら買えない市民がいるというのも、事実のように聞いています」
王女の青い瞳の奥に、静かに火がともったように見えた。
「歪だわ」
そうですね、という言葉を、エムロッドは飲み込んだ。
王室への不敬は、厳罰の対象だ。
「……ペルル様。もう、そろそろ時間になります」
ふっと悲しそうな眼をしてから、ペルルは静かに大粒の真珠が付いた首飾りをつけた。
これからまた、この方は大皿に乗った食べきれないほどの料理を、コルセットで締め付けたお腹に流し込むのだ。
そして、その多くは皿の上に残されたままになり、それは宮殿で働く者たちの遅い夕飯になる。
宮殿で働く者――その中には、エムロッドも含めている。
元々食が細く、さらにコルセットで締め付けているせいで、食欲はそれほどない。
それでも、ペルルに付き従っている間、食べるわけにはいかない状況の中で豪華な食事を見続けると、やはり空腹を感じる。
掃除夫や庭師達のように、片づけられた厨房に直行してがっつくような真似はしないが、初老の司厨が自分のために取っておいてくれたワンプレートを食べるのは、やはり同じことだろう。
歪。
王女が口にした言葉は、均整の取れたアヴァール宮殿の外観にはまるで当てはまらない。
しかし、巷では王侯貴族に対する恨み言が増え、金持ちから盗みを働く「正体不明の人物」の方が持て囃されているという話も聞く。
そんな国で『税』の限りを尽くして建設された宮殿は、やはり歪んでいて当然なのではないか、とエムロッドは考えてしまうのだった。
作者の成井です。
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