閑話 ヘラ様のサポートセンター
本編には影響のない閑話です。
お時間があればお読みください。
豪奢な金の髪、憂いを含む豊穣の大地を覆う緑の目をした佳人が、カウチソファーに寝そべっている。
彼女が身じろぎするたび、髪が美しい金の波を描き、やわらかな衣装が体の稜線を描く。
見るものがいたら、あまりの美しさにため息をついただろう。
しかし、ここにいるのは彼女と一羽だけ。
「まさかの事態ですわ……」
気だるげな佳人は、呟いて目の前の台を見る。
そこには、ぼつんとマイクが置かれている。
カラオケで使うようなマイクではなく、台の上に置いて使う、アナウンス用のマイクだ。口許に距離を合わせられるよう、台座から伸びるアームが曲げられるようになっている。
そのマイクも、彼女の口許に合うよう曲げられたままーー未だ、一度も使われていない。
彼女の予想ならば、すでにこのマイクは使われ、彼女自身もこんなに暇をもて余してはいないはずだった。
己の暇を嘆く、金の髪に緑の目の美女。
彼女こそ、フローラを転生させた女神・ヘラ様である。
「異世界に行った者はすぐ、ステータスオープンをするのではなくて? 調べた書物ではそうあったから、待っておりますのに……」
ヘラ様がこんなことになっているのは、フローラへ与えすぎたヘラ様の気遣いが原因である。
異世界転生について調べ、そこから見えてきた問題に対応した、彼女の優しさが仇となった。
もっと訳がわからない状況や過酷な状況なら、フローラも生き残るために自分の持つ能力を調べようと思っただろう。
しかし、フローラは生まれ落ちたときから特別な子、ヘラ様の落とし子と、慈しまれてきた。
周囲に危険もない。
本人も貰った才能は女子力チート、つまり見た目のよさと家事能力をする器用さぐらいだと思い込んでいる。
フローラを送り込んだのが、なんの驚異もない辺境の田舎だったのも災いしている。
フローラは、村人が明らかなスキルを行使しているのを見たことがない。
田舎の農民の使うスキルは地味な農耕や収穫などで、あとは村の女が家事や調理などを使っているが、目に見える明らかな効果はない。
なのでフローラ、前世のようにスキルなどない、ステータスのない世界だと思っている。
「せっかく、てんぷれに詳しい娘を選んだのに」
嘆くヘラ様は、楽しみにしていたのだ。
異世界転生をした主人公が、自分の庭でかつやくするという世界を。
しかし彼女は遊び心だけで人の魂をもてあそぶ神性を備えていない。基本、真面目な女神なのである。
真面目に世界の結婚を夢見る乙女たちを見守っていたヘラ様。近年、神話の普及やジューンブライドという言葉の響きで、彼女の加護の及ぶ娘が増えていた。
だというのに、自分の名前を聞くと、人は彼女を恐れる。
本物の恐ろしい女は、旦那の浮気相手を新たな神話にすることを許したりしないのに。
実は彼女、自分のイメージの悪さにちょっと拗ねていた。
他の神々は好意的にーーあの、現実にあんなのいたら即殺したくなるロキですらーー受け止められているというのに。
神は世界に渦巻くエネルギーと、人々の想いでできている。
意識する人がいれば、世界と人に対する力が増す。
その点、ヘラ様にもジューンブライドの概念と認知度はあるので、力だけはあるのだ。
ただ、好意的に受け入れられている神は、その神性も好意的に塗り替えられていく。いや、増えると言うべきか。
神々に不和を撒き、人を騙して殺し、大神に謀反を起こしたロキでさえ、ちょっといたずら好きの困った神扱いで、某アメリカ映画村製作の大作に出たり、人気漫画でおにいさんしている。
それを作った者も見た者も、その神の神性を創り、広げ、強化をしていくのだ。
知名度を得た神が、いろいろ楽しんでいるのを、真面目に仕事をしていたヘラ様は見てきた。
ゼウスがきらきらしいシールになって人気者になり力を得るのも、アテナが世界を思う健気な女神扱いされ力を得るのも、ずっと見てきただけだった。
そして近年、神は異世界というフィールドを手に入れた。
昔は星の世界に生まれ変わらせるのが定石だったのに、異世界である。
この世界でやりたい放題遊んでいる神が、めっちゃ増えた。
人も大喜びで異世界転生を受け入れている。
そこで、ヘラ様もやってやる!と思ったのだ。
こんなにくそ真面目に仕事してきたのに、自分の評価は烈女のまま。晩婚化は進み、喪女が増えーー夫含め、神々は楽しくやっている。
つまり、ヘラ様はキレた。
キレっキレである。
しかし、ゼウスにどれだけ誘惑されても「結婚しないとムリ」と断り続けた真面目な彼女は、やりたい放題するのは無理だった。
そこで、魂の傷から異性との結婚を選ばない魂により加護を与え、新たに生まれ変わらせることにしたのだ。
選ばれた魂は、普通なら簡単に修復しない魂の傷が治る。ヘラ様は結婚する乙女が増えて嬉しい。これならば、彼女の倫理観に抵触しなかった。
そして、真面目な彼女はくそ真面目に異世界転生について調べた。
生まれ変わらせる最初の娘も異世界転生に詳しい相手を選んだ。
これで、彼女の武聊も慰められるはずだった。
しかし、現実は違った。
今、ここである。
彼女の真面目さが発揮されて、転生した娘は幸せに暮らしている。喜ぶべきことである。
なので、彼女にできることはただ待つこと。
異世界に生まれ落ちた、己の加護を受けた落とし子が、ヘラの与えた力に気付き、新たな世界を開くのをーー。
彼女の傍らで侍るように佇む孔雀は、見事な羽を広げて、マイペースに毛繕いをしている。
そのたびに、まばゆい燐光が散る。
その光に彩られ、ヘラ様は気だるげにしていても、ただ美しかった……。