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ただのシン

 春蘭君、ヨンチュさんが目覚めたと知らせが届いた。

 クム・セナお姉さんは見張りの立てられた部屋のまえに立ち、咳払いをした。

「よろしいですか」

 女官さんが顔を出し、奥へと招いてくれた。

 寝台ベッドの上、起きあがったヨンチュさんは、眠った男の子の髪をなでていた。やさしい手の動きだった。

「クム・セナ殿」

 ヨンチュさんは元気ない。

 そうだよね、毒をのんだんですから。

 竜の人の爪の垢がきいたとしても、安静にしてなきゃ。

「お体の具合はいかがです」

 クム・セナお姉さん、いたわる声で言った。

「無茶をなさいましたね。毒は、他人ひとに飲ませるものです。ご自分ですすんで飲むようなものじゃない」

 おっとぉ。

 ヒトにも飲ませちゃいけません!

「ところで、この幼い方の父御ちちごは、どなたですか」

 ヨンチュさんは、髪をなでるのをやめないまま、うたうように答えた。

「第三王子です」

「こんなにワヌ・シンに似ているのに?」

「第三王子様ですわ」

 ヨンチュさん、きっとにらんでくる。

「ヨンチュ様」

 女官さん、とりなすように言った。

「真実をお話ください。今一度だけ」

「大事なのは真実ではないわ。政治まつりごとです」

 そんなこと言って。唇がひんまがってますよ。きれいな人がそんな顔しないでください。

「うつくしい顔がだいなしですよ」

 クム・セナお姉さんは枕元にしゃがみこんだ。

「ヨンチュ殿。わたしは、ふしぎなのです。ですから、聞いておきたいだけです。なぜ、王様に飲ませるべき毒を、あなたが飲んだのです」

 ヨンチュさん、目を伏せた。

「罪深いことだと思ったからです。縁あって夫婦になったというのに、王様にあだをなすことなどできませんでした。たとえ、憎いお方であろうと」

「水のたまった桶のせんを、あなたは抜いたのですよ。トク氏一族はこれより、ながく冷遇されることでしょう。第三王子を引き出せば、あとは誰が出てくるでしょうね。王様は、企てに関わったものをただではおかないでしょう」

「はい。存じております」

 震える声だった。

 覚悟してるの、本当に?

「ふしぎでたまらぬ。なぜ、一族より王様を選んだのです。それほどの価値がありますか? あの王様に。この御子が第三王子の息子だというのなら、まことの父を王座に迎えればよいではありませんか。ワヌ・シンはあなたがた親子を後宮から追放しようとした。わたしなら、子を守るためにも、ワヌ・シンを殺します」

 ひど。お姉さん、ひど。

「わたしが参らねば、王様はあなたがたを後宮に留め置き続けたでしょう。地位も体面も保てたはず」

 クム・セナお姉さんの言葉が、いいところをついたんだろうな。

 今までぼうっとしていたヨンチュさんが、すっごいギラギラした目でにらんできた。ビビった。

「王様は、わたしを信じてくださいませんでした。信じると、仰せになりながら、瞳はわたしを疑っておいででした」

 ワヌ・シン、なにやらかしたんですか?

「王様がまだ王子であらせられた頃、わたしは物知らぬ浅はかな娘でございました。シン王子だけではなく、第三王子、第五王子、第九王子の求婚がうとましくてならず、無視しつづけておりました。あるとき、出兵の前夜にシン王子が我が家をおたずねになられました。そのとき、まっすぐなお言葉をくだすったのです。そなたにやれるものは、少ないだろう。名門のトク氏には釣り合わぬと承知している。だが、明日の勝利は、王様ではなく、そなたのために捧げよう、と」

 ていうか。

 知らないうちに五回クチヅケされたんじゃありませんか。

 コトバ、ほんとにつくしたのかなあ。手のほうが早そうだけど。

「その晩、わたしはこの子を身ごもったのです」

 遺伝子はうそつかないって。

 この子、ワヌ・シンにそっくりだもん。

 ワヌ・シン、やっぱり手はや。

 ヨンチュさん、唇をかみしめた。

「たった一晩ではらむはずがないと、シン様は信じてくださいませんでした。わたしの同族でもある、第三王子との噂のほうを真実だとお思いになったのです」

 ワヌ・シンが王座についてまもなく。

 あきらめていたところ、後宮へ来いとしらせがあったんだって。


「おれの子か」

「はい」

「まことにおれの子か」

「はい、誓ってその通りでございます」


 というやりとりのあと、ワヌ・シンはこう言ったんだって。

「殿を与える。後宮から一歩も出てはならぬ、と」

 聞いといて、信じないかなあ。

 じゃあ、何で聞くわけ。

 自分そっくりの子どもなんだし、たしかに一回とはいえ、キセイジジツはあるんだから、認めればいいじゃん。

「一度ではありません。一夜に、七度」

 聞いてません!

 わーわー。やめて。

 想像しちゃうでしょ、やめて。

 クム・セナお姉さん、動悸だいじょうぶですか。

 えーと、とにかく。

 他のオトコの子かも、って嫉妬と疑いにまみれて、ごろごろ転がるんだったら一人でやってくれって。

 ヨンチュさん巻き込んだらかわいそうでしょ。

「それでも、わたしはうれしかったのです」

 だめ、そんなこと言ったら、つけあがるから。

「無視されるのは、ひどくつらいことですから。それに、おそばにいれば、もしかして王様もこの子に目を留めてくださるかもしれない、そんな希望もございました」

 クム・セナお姉さん、何考えてるんです。

 やけに静かだけど。

 もうすぐ夜が明けますね。

 開城のしらせは敵に届いたかな?

 ワヌ・シンいいかげん目覚めないかな。

 お姉さんも、そろそろ着替えないといけませんよ。

 ほら、喪服に着替えなきゃ。

「ヨンチュ殿。わたしを憎いとお思いですか」

 お姉さんが静かな声でたずねた。

 ヨンチュさんは、目をみはったあと、ゆっくりとほほえんだ。

 つぼみが朝日を浴びて、すこしづつ開いてく、そんな笑顔だった。

「先日、典医寺であなたをお見かけしました。菊の花が咲き乱れる中、背の高いあなたが腕いっぱいに花を摘んでいらした。あなたを一目見て、さとったのです。王様は、言葉をつくすまえに腕に抱きしめておしまいになるだろうと」

 ええっ。なんですか、その千里眼。

「戦巫女、竜の人の養女、クム・セナ殿。恐ろしげな噂とはうらはらに、まるで娘のようなお方。血みどろになっても、きっとあなたはあなたらしく、うつくしいでしょう。王様は、そのようなものがお好きなのです。何者にも縛られぬ、縛られてももがき続ける、つよいものにお心をお寄せになるお方ですから」

 ヨンチュさんは寝台ベッドに横たわり、目を閉じた。

「あきらめがついたのですわ。執着が、溶けていくような気がいたしました。あなたなら、王様をお守りできるはず。王様を、ワヌ・シンではなく、ただのシンとして愛せるはず」

 とじた目のはしから、にごった涙がひとしずく、滑り落ちた。

「わたしは、ワヌになる方だと知っていたからこそ、あの晩戸を開けたのです。そうせよと言われたから」

 クム・セナお姉さんは、そうっと立ち上がり、一礼をして背を向けた。

 嗚咽おえつまじりのちいさな声が、あとから追ってきた。

「あなたは、きっと、いやなものはいやと言い、好きなものを好きとおっしゃるでしょう。わたしは、ただ。一度だけでいい。あなたをまねてみたいと思うたのです。それだけですわ」

 


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