経験値0
「なんだ、そのニノクンとやら」
ワヌ・シンが食いついた。
知らないでしょうね。
笑顔のかわいいモースト・ファボリティ・イケメンです。
ハナさんからかすかな笑みがきえました。
「ニノ、覚えておきます」
ワヌ・シンが冷笑をこぼしました。
「ほう、なるほど。ニノクンとやら、ほう」
うお、まずいこと言った?
お口チャックの巻。
「そうだ。お腹すきません?」
そうそう、夕餉!
ご飯を誰かと食べるって、やっぱりいいですね。
事故にあってふわふわ漂って、クム・セナお姉さんのところにおちてから、まどろんでるような心地いい世界にいた。
エロ天帝さんのネギ料理、食べたとき、味覚がぐわっと目覚めました。
竜の人ジャンミさんの養女になって、穀物育てて、お酒をつくって。
みんなでおいしいねって食べるのがいいなって思った。
口に入るもの。体をつくる食べ物。
ただ食べればいいってもんじゃないんだねえ。
一人で食事しても、あんまりおいしく感じない。
わいわい、なんだかんだ言いながら食べるのがいい。
なんか、食卓静かです。
ハナさんはおしゃべりな人じゃないし。ワヌ・シンも黙ってる。
座ってるとこ、遠い、ですね。
大皿から分け合うんじゃなくて、お膳。
竜の人は、たくさんお皿に盛りつけて、みんなでつっついて食べる。
そういう食事に慣れてたんだ。
「どうした、セナ。口に合わぬか?」
「いえ、すごくオイシイデスよ」
「ちっとも進んでおらぬではないか」
ワヌ・シンは箸で青菜をつまむと、さしだした。
「お食べ」
はあっ。あーん、ですか?
エロ天帝さんのネギ料理を思い出すな。
あれ、ほんとにおいしかった。
「ほら」
口を開けると、ワヌ・シンは満足そうにうなずいた。
「こうして餌付けしたらば、そのうちおれがいなけりゃ飯がのどを通らぬようになるかもな」
「隊長は故郷の味が恋しいのでしょう。こちらの食膳は、いささか塩辛い」
ハナさん。さっさと食べ終え、箸をおいた。
早いね。
「隊長、飯を食いに参ったのではありませぬ」
はい、お話ですね。おっと。
「国境付近に、不穏な動きがある」
ワヌ・シンが面倒くさそうに言った。
「荼の兵だ」
荼って、大妃さんのお国じゃありませんか。
「儷は軍を動かしてはおりません。まだ王様が踏ん張っておられるのでしょう」
いつまで持つかな、みたいな。
うかないハナさんの口調。
「王宮から使いが参りました。王様は隊長がご無事だと知り、いたく安堵召されたご様子です。王様の御身は近衛がしかとお守りしておりますので、しばらくは時も稼げましょう」
お姉さんが一度「死んだ」ことを、王様はどんな気持ちで聞いたのかな。サトおばあさんは。心配してるだろうな。
「明日は出陣せねばならん」
ワヌ・シンは言った。
「小勢が三方にいるのだ」
ハナさんが唇をゆがめた。
「小勢? 万の軍ですよ。荼の将軍が峠を越えてくれば、防ぎ切れません」
ワヌ・シンはおかしそうに笑った。
「わが軍を案じてくれるのか、妙な気分になるな」
むっとした顔つきでハナさんつぶやいた。
「男の泣き顔など見たくありませんので」
仲がいいのか、悪いのかわかんないな。
この二人もなんなんだろ?
昔からの知り合いみたい。
「共通の目的があってな」
「目的、ですか?」
なんだろ。
「セナの饅頭を、朝昼晩、すきなときに食いたい」
「はあ?」
饅頭。
饅頭かあ。
なんて言ったらいいかわかんないよ!
「おい、裸の王」
なんですかそれ。恥ずかしい王様プレイみたいな言い方。
「明日は後宮をおまえに任す。悪さはするなよ」
「は。誰が」
ハナさんも承知のことなんですか?
「留守が心配でな。この男の腕前と、正直さをおれは見込んで、セナを任せるんだ」
ハナさんはすっごいばかにしたような顔で舌打ちをした。
王様への敬意とかありませんね。ワヌ・シンだからもういいけど。
「あなたに言われずとも、しかとお守りいたします」
「どうして素直に是と言えないんだ」
にらみ合うこと、しばし。
この人たちって。
「無粋な話はあとでよい。今はおれの手からものを食うセナを見ていたい」
あー、もう。
錦糸卵っぽいもの。食べさせるつもり?
もういいってば。
差し出されると、ついつい口を開けたくなるって、これどういう条件反射ですかね。
タダオ。お父さんがよくこうして食べさせてくれたんだよね、小さい頃。
「はいっ」て、目の前に食べ物が置かれると、食べなきゃ申し訳ないって思っちゃう。
「またタダオですか」
ハナさん、にらまないで。
ただの条件反射。
でも、おいしいです。おいしいは正義。
「しっかり食え。あんたはもうすこし肉をつけたほうがいい。おれの好みはふくよかな女だ」
コラ王様。
いやらしい目でお姉さんを値踏みしないでください。
未来の小姑のみなさんには申し訳ないけど。
お姉さんはじゅうっぶんオトナです。二十九歳っていうか、竜の人の里で暮らした一年をたすと、三十歳になりましたから。
しかし。
はっきり言って中身は高校生。経験値0(オトメ)ですので。コナをかけられてもね、居心地悪すぎるだけ。
「まったく、儷の男はみなフヌケだな。こんな上玉を神殿のばあさまたちと一緒にしておくなんて。戦ごとをするより、子どもをあやしたり夫の肩や足をもむのが似合う手で、なんてことをさせるんだ」
ハナさんはじろりとワヌ・シンをにらんだ。
別の意味でドキドキします! もうよして。
クム・セナお姉さんは、そうしなきゃ、いけなかったんですよ。
そうしないと生きてこられなかった。
私は、壷からどぼどぼ杯にそそいで、一息に飲み干した。
ぷはー!
「ええと、オイコラ。王様」
ここは、がつんと言っておかないと。
いくら王様だって、言っていいことと悪いことがある。
「ワヌ・シン、こっちみなさい」
王様だからって、私には関係ありません。
けっこう辛いお酒だけど、この舌の奥がカッと焼けるように熱くなる感じがまたいい。
「すまない、すまないって。ひとりごとが、すまない、なんですよ?」
杯を、たーんと卓に置く。
「頭の中も申し訳ない、申し訳ないって、いつも誰かに謝ってる。それが、クム・セナお姉さんなんです」
壷からまたついで、あおる。
「おい、セナ」
「隊長?」
「うるさい」
クム・セナお姉さんの心は少しはわかってる。
「オレマンになりたいって。そう言ってました」
ほんとうに、少しだけだけど。
ただのお饅頭。
動けもしないし、口もきけない。
そうなれば、傷つけずにすむ。
戦いたくなかった。
逃げ出したかった。
でも、許されなかった。
飯時に家々からたなびく炊事の煙を見るのが、なぐさめだった。
戦いが終われば、ほんのひとときの平和が手に入る。
それは、すくってもすくっても指の隙間からこぼれてしまうようなものだけれど。
のんびり、とくにおっきな悩み事もなく暮らしてきた私にとって、お姉さんの生きる世界は過酷そのもの。だけど、ちいさな楽しみや安らぎがあった。
ちっちゃな子が、差し出してくれる野の花。
帰ってきた兵たちをねぎらう、娘たちの華やかな笑い声。
それから、振り返ればいつもすぐそこにいる、部下たち。
振り返るたびに、だれかがいなくなっている。
生き残ることができなかった人たち。
守ることのできなかったはがゆさ、申し訳なさに、お姉さんは「すまない」って言わずにいられないんだ。




