そなたは女のために死ねるのか
儷国から使いが来たのは、戦支度もすっかり整った早朝のことだった。
差し出された文書には、乾いた血がこびりついていた。
開いてみて、驚いた。
これから戦争をしようという相手に、悔やみの言葉を送ってきたのだ。
父上が命を落としたのは、戦いのさなかでのことだ。
敵が弔問するなどという話は、聞いたことがない。
使者など殺して捨てろという声もあった。
「何をたくらんでいる」
聞くと、顔を上げた男はただ一言、こう言った。
「使いをせよと。わたしの仕事はそれだけです」
疲れ切った声だった。
おもしろいと思ったのだ。
繕うこともせず、殺されることを恐れもしないこの男。
「儷王の近衛隊長、クム・セナにこの文を持たせるとあるが」
クム・セナといえば、敵国の大将だ。
神殿の巫女でありながら、万軍を指揮する将軍。
妖魔サトの孫娘。
女だと、甘く見てかかったものは、帰ってこなかった。
大軍が、まるで一つの生き物であるかのように動くさまをおれは見たことがある。指揮が行き渡り、なおかつ、それを疑いなく実行する者がいなければ布陣そのものが解けてしまうような、きわどい局面。
じつにうまく采配した。
それはひとえに、巫女将軍への忠誠のなせるわざだ。
「クム・セナはどこに隠れた」
怖じ気づいたか。
そう言うと、儷の使者はぼうっとした目をして言った。
「何人も手の届かぬ場所におられます」
将軍は、きっと逃げたんだろう。
わずか十名たらずで、敵のまんまん中にやってくる気概をみせるのは、大の男でもむずかしい。
儷の王は何を考えているんだ。
あとすこしで、おれの息の根を止められただろうに。
肝心かなめの将軍を差し出して、かわりにおれの妹を嫁にくれだと。
「悔やみの言葉は頂こう。しかし、みやげは持たせぬぞ」
おれは、この男がすこしだけ気に入った。
「姉も、妹たちも、みな早々に嫁ぎ先が決まってな。残りは壮健ではないゆえ国からでられぬ。悪いが、去れ」
「戦いをお始めになるおつもりですか」
地べたにはいつくばっても、この男はべつに何とも思わぬのだろう。
今ここで、消えたクム・セナのかわりに、何を言おうというのか。
「儷だけではありません。周辺の国々がぐるりと包囲しております。数の上では、こちらに明らかに分があります」
「そんなことを言いに来たのか。だから、他国のように生け贄を差し出せと」
男の顔が、ほんの少しゆがんだ。
「生け贄ではありませぬ。国母となるべきお方です」
おかしかった。
おれは声を上げて笑った。
儷のやり口はさんざん承知している。
神殿には、多くの人々、とくに子どもたちが集められる。
そうして、祭日のたびに生け贄として捧げられる。
そんな野蛮な時代遅れの風習をもつ国に、大切な身内を預けられるものか。
「儷と厦。二国は、かつて、むつまじい伉儷でございました。新王がたてば、后はそれぞれの国から迎える習わし。どうか、伏してお願い申しあげます」
伉儷。むつまじい夫婦の国。
そんな蜜月もあった。
しかし、今は状況も違う。
おれは、男を見下ろした。
「クム・セナを連れてこい。戦巫女とやらを拝んでみたい。気に入ったら、後宮に加えてやろう。そなたの王への返礼は、それから考える」
顔を上げた男は、なんともいい目をしていた。
ぼうっとした、他人事を眺めるような目ではない。
病んだ、死にかけの狼を装っていたくせに、クム・セナの名を出したらこのとおり。本性をあらわした。
こいつは、がんじがらめになった虎だ。縄を解かれればすぐにでも獲物のはらわたを噛みちぎり、食い散らすだろう。
ひざびさに、おもしろいものをみた。
クム・セナへの忠誠か?
それとも、恋慕か。
「クム・セナは美しいのか? サトがそうだったように、そなたにも情けをかけたか? 一度か、二度か。そなたは女のために死ねるのか」
押し殺した声で男は言った。
「あの方が死ねというなら」
いかれている。
爺さまとおなじだ。
儷の妖魔は、男を簡単にふぬけにする。
いいや、ふぬけじゃない。命知らずの、おおばかにする。
踏まれても、殺されても、きっと歓喜のうちに涙する。
ぞっとしない。
おれは、剣を抜いた。
そして、男の首筋にあてがった。儷にはまだ伝わらぬはずの、鉄の剣だ。
「そなたで切れ味を試そう」
「お待ちを」
霞がしのびこんで、ふいに形をなす。
現れるのは、いつも突然だ。
それを、不思議とも思わない。
背の高いほっそりとした女は、おれの振り上げた剣をしなやかな指先で受け止めた。
宝石をあしらった指輪の金色がきらめく。
赤い薄衣をまとった女はにっこりと笑って、深々と頭を下げた。
「御酒守が拝謁いたします」
おれは、いささか不機嫌だった。
「頭領じゃないか。何事だ?」
御酒守は、厦国にとって欠いてはおけぬ一族だ。古代の息吹をすって生き、人とは違う時の流れの中にいる。
幾つかもわからぬ、鼻の下に立派なひげをはやした妙齢の女は、竜の人の長だった。今は二本足だが、本性はちがう。
上半身は人間、下半身は竜。長寿のうちにのんびりと生き、戦いを好まず、分け与えることを自らの喜びとする。
「結納の酒ができましたので、そのご報告にあがりました」
「結納だと」
新しい王が、后を迎えるとき。
竜の人は后になる娘に酒を醸させる。
穀物を育てるのは陽の力。
そして、醸すのは陰の力だ。
陰と陽、二つ働きがあればこそ、生命はうまれる。
国もまた、同じだ。
国祖泰珀が竜女を妻とし、厦を打ち立てて二百余年。竜の血はだいぶ薄まってきた。
そろそろ力を強めるべきだというのが、御酒守の見解だ。
だが、竜の人を妻とするのはいささか勇気がいる。
どんな美女でも、下半身が竜だと思うと、がっかりものだ。
「その言葉、そっくりお返ししますよ、ワヌ・シン」
心の声が口からでていたらしい。
「大仕事でしたよ。手強い娘っこでしたからね」
頭領、ジャンミは笑った。
「祝いの宴に、特別にお招きしますよ」
竜の人というのは、まったく、のんきなものだ。
人の世のあれこれを、ちっとも意に介さない。
おれは使者の首をはねてやろうとしたことなど、すっかりばからしくなって、剣をしまった。
「厦王と、斉王をお招きします」
「どこに、斉の王がいると」
斉はもうとっくに滅びた国だ。
クム・セナが消し去った小さな国。王族はみな死んだはずだ。
ひざまずいた男の肩に、ジャンミはそっと手を置いた。
「こちらに」
おれは、腹を抱えて笑った。
おかしくておかしくて、たまらなかった。
竜の人はうそをつかない。
うそは弱者が身を守るために用いるもの。
彼らは必要がないので、真実しか話さない。
ならば、この虎のような男が、滅びた国の王だというのか。
「なにもおかしなことなどありませんよ」
ジャンミは芝居じみた調子で言った。
「斉王の八番目の息子。ほかに、生き残りはおりませんので」
「国民も、領土もなくしてなにが王だ」
「これはこれは」
ジャンミは艶やかな唇をほほえませた。
「この国とて、財産も土地も身分も持たぬ、ないないづくしの男が、うちたてたということ、お忘れですか」
手を伸ばし、ジャンミは男の髭面をとっくりとみつめた。
「よい男ではありませんか。我が娘も気に入るやも」
「国でも与えると?」
「さあ。ほしいと申せば、あるいは」
今まで黙っていた男は、鼻を鳴らした。
「ごめんです。手に余りますので」
愉快だった。
はいつくばった男、これが王だというのなら、どうだっていうのか。
竜の人に選ばれたら、髭面の美女に酒をついでもらえるのか。
想像すると愉快だった。
「なら、連れて行け。御酒守の里は訪ねてみたい」
この世の憂さをひととき、忘れてしまうのもいい。
生きている限り、面倒ごとからは逃れられないのだから。




