第三話:落下
「…はぁ……」
まぶたを叩く木漏れ日で、僕は目を覚ました。
ズキズキと痛む頭を押さえ、全身の節々の悲鳴に耐えながら体を起こす。
「クッソ……地べたに寝るんじゃなかった。体中の体温と水分を持ってかれた……」
立ち上がり、制服にこびりついた砂を払う。
どれくらい眠っていたのか。
喉は干上がり、胃袋は空腹を通り越して痛みを感じるほどだ。
そして何より。
「夢だったら、どんなに良かったか……」
そこには、夜の静寂からそのまま抜け出してきたかのような「白いヒトガタ」が、相変わらず僕の周囲をフラフラと彷徨っていた。
『お腹…空いた……? 喉…乾い…た……?』
ヒトガタは僕を気遣うでもなく、ただ自分の状況を確認するように、ノイズにまみれた独り言を呟き続けていた。
まずは、どん底の現状を整理することにした。
「持ち物はスマホ、ワイヤレスイヤホン、財布……。文明の利器が、この緑一色の地獄じゃただのガラクタだな」
ナイフの一本でもあればサバイバル気分に浸れたかもしれないが、あいにく僕はそんな物騒なものを持ち歩くほどイカれていない。
「そういえば、何時間寝てたんだ……?」
泥のついたスマホの画面をタップし、日付を確認する。
「……丸一日、か。道理で喉が焼けるように乾いてるわけだ」
ついでに、首の皮一枚繋がっている電波を頼りにニュースサイトを開く。
その瞬間、トップに躍り出ていた見出しに、僕は危うくスマホを落としそうになった。
「っ!? ……嘘だろ」
そこには『【速報】凶悪な転生者、数人の警察に重軽傷を負わせ、逃走。付近住民は警戒を』という文字とともに、僕の顔写真がデカデカと掲載されていた。
記事を要約すればこうだ。
『新たに発見された転生者が警察を襲い、対象が暴走。随伴させていた謎の白い何かをを用いて警官隊を殺傷未遂し、そのまま逃走した――』
「襲ったって…どっちがだよ。クソが……!」
捏造された正義に反吐が出る。
だが、そんな怒りよりも優先すべきことがあった。
「んなことより、冷は……!?」
震える指で画面をスクロールする。
僕が今、世界で一番知りたかった情報。
「……っ、よ、良かったぁ……!」
全身の力が一気に抜け、膝から崩れ落ちそうになる。
『被害に遭った阿留都 冷(14歳)くんは重傷を負うも、病院での処置により一命を取り留める。ただし意識は戻らず、依然として昏睡状態』
「生きてりゃ、なんとかなる。生きててくれただけで、今は儲けもんだ……」
僕が犯人扱いされているのは胸糞悪いが、冷がこの世から消えてしまう絶望に比べれば、指名手配なんて些細な問題だ……いや、良くはないんだけど。
(でも、どうする……。戻ったところで即逮捕。最悪、取調室で「消される」可能性だってある)
亀野郎は死んで消えた。
僕が無実だという証拠はどこにもない。
あの状況、誰がどう見ても「僕が冷を襲い、駆けつけた警察に逆ギレして逃げた」というシナリオが一番通りやすい。
「……仕方ない。ほとぼりが冷めるまで、人気のない場所でやり過ごすしかないか」
一週間もすれば、現場の鑑識結果から何かしら僕に有利な証拠が出るかもしれない……なんてのは、甘い考えだろうか。
でも、今の僕には「逃げる」以外の選択肢が残されていなかった。
「まずは現在地を確認して、周囲の環境を……って、あ! おい!」
無慈悲にも画面に表示されたバッテリー残量 1%の文字。
僕の唯一の生命線は、最後の輝きを放ったあと、ただの文鎮と化した。
「……最悪だ。雨乞いでも覚えるしかないか?」
『喉が…乾…いた……』
「うわっ、びっくりした!!」
背後からぬるりと現れた白い顔。
そうだった、こいつがいた。
「ったく、神出鬼没かよ。……待てよ? こいつ、一応は僕の命令を聞くのか……?」
少し移動し、不気味に揺らめくヒトガタの正面に立つ。
「えっと……おい、ヒトガタ! 右腕を上げろ!」
『……?』
ヒトガタは首を傾げ、スッと僕の右腕を掴んで高く掲げた。
「僕のじゃねぇよ! お前のだ!」
『……?』
怒鳴ると、ヒトガタは少ししょんぼりとした様子で、自分の細長い右腕を上げた。
(一応、コミュニケーションは成立してるのか。だいぶ抜けてる気がするけど)
能力のテストも兼ねて、次の命令を下す。
「よし、じゃあそこの木を……そうだな、攻撃してみろ」
『木……』
ヒトガタは気だるげに上半身をグルリと旋回させ、背後にそびえ立つ巨木を見据えた。
次の瞬間、鉤爪の生えた四本の指がバキバキと音を立てて伸長し、横薙ぎに一閃。
「ッ!? ……マジかよ」
轟音。
切断された巨木が自重に耐えきれず、ゆっくりと傾き、森を震わせて倒伏した。
(一撃か……。警察を一撃でノシてたのも、見間違いじゃなかったんだな)
そこで、名案が浮かんだ。
「そうだ。ちょっと僕を背負って、あそこの高い木の上まで登ってくれ」
ヒトガタは小さく頷くと、僕をひょいと背負い、凄まじい脚力で地を蹴った。
「ぐぇっ!! クッソ、速すぎ……!!」
吹き抜ける風が巨大な扇風機のように顔を叩く。
加速のGで、油断すると肺の空気が押し出されそうだ。
「っぶねぇ!!」
(体感80km/hは出てるぞこれ……。人一人背負ってこの速度、全力ならどうなるんだよ……)
「おい! もう少し減速しろ! 枝が当たるだろ!!」
叫ぶと、ヒトガタは不満げに速度を落とした。
目的地である巨木の根元まで辿り着くと、片手で僕を固定し、もう片方の手で猿のようにスルスルと登っていく。
到達したその頂は、まさに絶景だった。
「た、高い……。これ、冷静になると洒落にならない高さだな」
ヒトガタの背にしがみつきながら、恐る恐る下界を見渡す。
恐怖を押し殺して、周囲の地形を脳内のマップと照らし合わせた。
(なるほど……家からは結構離れたけど、あそこの貯水池は見覚えがある。ここは市境の山だ。もう少し奥に進めば、完全に視線を切れる……)
木の上から見える街並みは、昨日まで僕がいた世界。でも、今の僕にとっては、二度と戻れないかもしれない異界のように見えた。
「よし、大体わかった。怖いからさっさと降ろして――」
『疲れ…た……』
「……は?」
僕が命令を完遂させようとした瞬間、ヒトガタは情けないノイズを吐き出した。
その輪郭が急激に薄れ、砂のような粒子となって僕の指の間をすり抜けていく。
「ちょっ!! 僕、まだ木の上なんだけど!! って、うわあああああああ!!!」
重力には抗えなかった。
ヒトガタは完全に消滅し、僕は支えを失ったまま、スカスカの空中に放り出された。




