第二十三話:ケープタウン
「九条蓮?なんだそれは?」
轟らは何を言っているのか分からない様子で、怪訝そうに首を傾げる。
僕は強く拳を握りしめた。
「九条蓮…コイツが、その『瓦解』の本名だ。僕はコイツの顔を知っている……」
「ッ……!? どういうことだ? 詳しく説明してくれ」
轟が血相を変えて身を乗り出し、僕に問い詰めてくる。
「お前らが僕を捕らえにくる数日前、コイツらが僕の前に現れた。理由はただの勧誘だ。天使教に入らないかってな」
「はぁ!? アイツらが!?」
「いや、ちゃんと断ったぞ。見るからに胡散臭かったからな」
「いや、そういうことじゃない! 本当に、あの瓦解本人が直々に来たのか!? お前、よく無事だったな!?」
轟が尋常ではない慌て方で詰め寄ってくる。
唾が飛んでくるほどの勢いに気圧され、僕は思わず身体を仰け反らせた。
「落ち着けよ。見ての通り、怪我一つない。勧誘を突っぱねたら、もう一人いた『獅堂』ってやつが逆上して襲ってきたから、軽く返り討ちにしてやったんだ。そしたらコソコソと消え失せた。それだけだ」
その一部始終を聞いた轟は、昂る感情を抑えるように深く深呼吸をし、ソファの背もたれへと身体を戻して慧に視線を移した。
「僕は転生者界隈の常識なんて詳しくは知らない。だが、あの時起こったことが異常だってことくらいは、何となく察しがついた。けどさ、そんなに不思議なことなのか? 優秀な人材を組織に勧誘するなんて、よくある話だろ」
「普通の組織なら、ですがね。彼ら『天使教』は先ほども述べた通り、狂信的で非常に過激です。今までにも彼らから勧誘を受けた転生者は複数存在します。ですが、その実態は勧誘とは言い難い凄惨なものでした。拉致、監禁、拷問……人間にできる最大限の暴力的手段を用いて、無理矢理にでも自分たちの駒として引き入れようとします。それを拒んで無事で済んだ者は一人もいません。ですが貴方は、こうして五体満足でここに生きている……これは私たちの常識では、普通ではあり得ない異常事態なのです」
「……へぇ。じゃあ、僕が天使教のスパイで、あんたらを内側からハメるために忍び込んできた、っていうロジックは生まれないのか?」
僕はあえて鋭い目つきで慧を真っ直ぐ睨みつける。
だが、慧は表情を崩さずに首を横に振り、淡々と答えた。
「天使教に帰依した者ならば、皆一様に、体組織へ強制的に特殊な『紋様』を刻まれます。その特異な魔力の匂いを、ガルガが見落とすはずがないので、その線は万に一つもありません。それにあの『天使教』ならば、そんな回りくどくて姑息な真似はしませんしね」
そういうもんなのか。
まぁ確かに、あの九条ほどの規格外の実力者なら、こんなセコい小細工を弄する必要すらないのだろう。
「まぁいいさ。要するに、ソイツらが今後も積極的に転生者を拉致しようと動いてるってことだな?」
「はい。特に今回の『無紋家』のような名家であれば、尚更目の色を変えて奪いにくるでしょう。ですので肇さん、良ければ今回の有沙さんの護衛依頼に、魁さんをお借りしてもよろしいでしょうか?」
「それは僕にじゃなく、魁本人に直接聞くべきだろ。どうなんだ、魁」
僕と慧は、同時に隣の魁へと視線を向けた。
すると、すっかり難解な会話に飽きてぼーっとしていた魁は、ようやく自分が回答を待たれていることに気づく。
そして、その大きな頭を捻ってじっくりと思考を巡らせ、一つの結論を出した。
「えっとぉ……儂だけ? 儂ぁ、カイが行くんじゃったら一緒に行くぞ」
さんざん考え込んだ挙句の答えが、他力本願すぎる。
「あのなぁ…さっき社長が言ってただろ。周囲に悟られないよう、なるべく少数精鋭で行うって。だから、ニュータイプでも何でもない僕がわざわざ付いて行く必要なんて…………いや、待てよ…?」
そこで、僕の脳裏にある明確なカウンタープランが閃いた。
無紋有沙を執拗に狙うのは、あの『天使教』。
その天使教が、どんな汚い手段を使ってくるかは未知数だ。
しかし、そんな狂信者たちが、唯一無闇矢鱈に手を出せない絶対的なイレギュラーがいる。
――それは、僕だ。
(あの時の九条の引き際と、最後に残した意味深な言葉から見て、僕は唯一、天使教に対する心理的な『抑止力』となり得る存在だ。僕が戦線に居るという事実だけで、アイツらは下手に動きにくくなる。それに、襲ってきた下っ端の首根っこを捕まえて尋問すれば、あの組織について色々と面白い情報が引き出せるはず……!)
僕は論理回路を組み立てながら、思わずニヤニヤと悪趣味な笑みを浮かべていた。
悪い癖だ。
「おい……どうしたんだ肇……。急に気持ち悪い笑い方をして、気分でも悪いのか……?」
「ああ、素晴らしい名案を思いついた。――僕もその護衛依頼に参加させてもらう」
◇
ガヤガヤと無数の言語が飛び交い、人々の喧騒と巨大な物音が行き交うケープタウン国際空港。
そこには様々な人種がカオスに混ざり合っていた。
現地に根を張って生きている者、観光目的で降り立った成金、そして……。
「ちっと寒いのぉ……。まだ7月じゃというのに…」
「こっちじゃ日本と季節が真逆なんだよ。上着はちゃんと羽織っておけ」
極秘の護衛任務のためにこの地を訪れたもの。
魁の横を歩く僕は、織成で仕立てた清潔な白シャツに黒ネクタイを締め、その上に漆黒のロングチェスターコートを纏っている。あえて前ボタンは留めず、歩調に合わせてコートの裾を緩やかに揺らしていた。
「フライトの遅延のせいで、すっかり予定より遅くなっちまったな……。まぁ丸一日以上の長時間移動だったし仕方ねぇか。――慧、ジェームスにはちゃんと連絡を入れたんだろうな?」
僕たちの少し後ろを歩く轟が、重い足取りで尋ねる。
彼は基本的には僕たちと同じスーツ姿だが、コートは着用せず、小さなサングラスを鼻にかけたワイルドなスタイルだ。
「一応入れておきました。『早く来ないと、お前たちの分のボボティを全部平らげてしまうぞ』と脅されましたが」
その横を歩く社長の慧は、首元が少し開いた黒のインナーに細いネクタイ、ボトムスにはタイトなスラックスというシックな装いだ。
メンズライクな黒いロングコートを、袖を通さずに堂々と肩へ羽織り、その腰には不釣り合いな黒い日本刀を帯びている。
「なぁなぁ、その刀は流石にマズイんじゃないんか? 人目についたら一発でポリスメンに捕まるんじゃ…」
その日本刀を指差して冷や冷やした声を出す魁。
彼はシャツの第一ボタンを外し、ネクタイも適当に巻き付けただけの、見るからに窮屈そうな着こなしだ。前を全てはだけたスーツ姿は、まるで大型犬に無理やり服を着せているかのような滑稽さがあった。
「問題ありませんよ。これは私の傍白『ルドウィーク』の一部を、体外に『部分顕現』させているだけですから、一般人の目にはただの空間にしか映りません。それに…もし視えている者がいれば、それこそ天使教の転生者を炙り出す格好の餌になるでしょう?」
「なるほどぉ! 罠はどうするんじゃ?紐いるか?」
「例えだ例え。ほら、さっさと行くぞ」
空港の外に出ると、すっかり夜の帳が下りて周囲は深い暗闇に包まれていた。
冷たい小雨が肌を刺す中、僕たちはロータリーに停まっていた一台のボロいセダンの運転手に合図を送る。
「なぁなぁハジメ、これからどこへ向かうんじゃっけ?」
「一昨日も説明しただろ。無紋有沙が潜伏している隠れ家へ向かうために、まずは無紋家が手配した現地の傭兵チームと待ち合わせ場所で合流する。ソイツらの用意した防弾車に乗るから、このタクシーはあくまでそこまでの足だ」
配車アプリを使って轟が呼んだはずの車に乗り込み、僕たちは静かに空港を出発した。
だが、空港の敷地を一歩出た瞬間、僕たちの住む日本がいかに平和ボケした温室だったかを、嫌というほど実感させられることになる。
夜のハイウェイの脇にはトタン屋根のスラム街が地平線まで広がり、カモにする外国人を値踏みするような詐欺師、物乞い、そして道端で平然とマリファナを吸っている輩……。
鼻を突くツンとした草の匂いと、生物的な危険の気配がプンプンと漂っていた。
「ったく……危険な国とは聞いてたけど、夜の空気は流石にピリついてるな。そもそも、なんで無紋有沙はわざわざこんな治安の悪い国へ留学しに来たんだ?」
「あの子は昔から、かなり我が強くて刺激を求めるタイプだったからなぁ……。こういうワイルドな大自然のある国が、昔からお気に入りだったんだよ。あの子らしいチョイスと言えば、実に彼女らしいね」
どんな破天荒なお嬢様だよ……。
制限速度を無視して猛スピードで疾走する車に揺られながら、僕は窓の外の景色をボーッと眺めていた。
その時、脳内の計算回路が不意に小さな違和感を弾き出した。
(……街灯がないにしても、暗すぎるな。事前に頭に叩き込んだルートと、明らかに周囲の遮蔽物の配置が違う。こんな荒涼とした道を通る予定だったか?)
違和感を覚えたのは僕だけではなかったようで、真ん中に座る轟も、鋭い視線で運転手の後頭部を睨みつける。
「おい、ドライバー。アプリに表示されてる合流ルートと完全に外れてるぞ。どういうつもりだ?」
すると運転手は、いかにもわざとらしい口調で「Really? Well, I'll go back then.(本当かい? なら、今すぐ引き返すよ)」とハンドルを切ろうとする。
だがその瞬間、車の不自然な急ブレーキとともに、駆動音が完全に停止した。
「Oh……」
直後――凄まじい衝撃音とともに、車のフロントガラスと後部ガラスに、巨大なレンガが容赦なく投げ込まれた。
それと同時に、待機していたと言わんばかりに、十数人の現地のゴロツキたちが一斉に暗闇から姿を現し、車を包囲する。
「なんじゃ、なんじゃ!? 襲撃か!?」
完全に男たちに囲まれた車内。
運転手はこれまた大根役者のような演技で慌てふためきながら車を降りると、両手を高く上げて男たちに早々に降伏してみせた。
成る程、最初からグルだったというわけか。
「絵に描いたような強盗だな…さすがの治安だ」
僕と魁に挟まれた轟は、焦る素振りすら見せず、むしろ楽しそうに口角を少し上げた。
「そうだな……」
僕は適当に相槌を打ちながら、スモークの向こうに見える男たちの人数を最速でカウントする。
「ざっと6、7人ってところか? 窓ガラスのヒビと反射のせいで、正確な射線がよく見えないな」
「そりゃあ射撃担当としては不便だな。慧、ハジメに見やすいように舞台を整えてやれ」
「ん、了解」
轟の軽い合図を受けた慧が、肩に羽織ったコートを揺らし、腰の目に見えない日本刀の柄に手をかける。
瞬間、彼女の全身に凄まじい密度の白い光の粒子が纏われた。
――次の刹那、爆音とともに、セダンのルーフが文字通り真一文字に一刀両断され、夜空へ向かって豪快に吹き飛んだ。
「What the fuck!!?」
強盗たちがその超常現象に思考を停止させた瞬間には、すでに勝負は決していた。
三人ほどの男が慧の電閃のような峰打ちに沈み、残った残党を、轟の体術と、僕が瞬時に背後へ展開した『ヒトガタ』が容赦なく地面へと押さえつける。
「無駄に動くんじゃねぇぞ。これ以上抵抗したらどうなるか、この国で生きてるお前たちの方がよく知ってるだろ?」
僕はヒトガタに組み伏せられた男の脳門に向けて、織成で瞬時に物質定義して生成した無骨な自動拳銃を突きつける。
「おい魁、遊んでないで真面目にやれ」
「フォアチョーッ!!! ……って、え? もう終わったん?」
その場のノリだけで、なぜかカンフーの奇妙な構えをとっていた魁が、拍子抜けしたように首を傾げる。
まぁ、コイツの頭脳のスペックなら、この緊迫感のなさは仕方ないか。
「さて…この、僕たちをハメてくれたクソ運転手も含めて、どう処理するかな、コイツら……」




