第二十二話:依頼
「ああ。どうじゃ、少しお主の額を、儂に見せてもらっても構わんかの?」
「額?」
僕は鬱陶しい前髪をかき分け、自分の額に触れる。
「儂の織成の特性上、額が最も魂の波長を拾いやすいんじゃ。主は魂が肉体のどこに宿っておるか、論理的に理解しておるか?」
「いや、別に考えたこともないな」
「魂とは人間の身体における最も重要な器官――つまり『脳』の付近に備わっておる。少し前までは心臓などの身体の中心にあると盲信されておったが、普通に考えてそんな訳がなかろう。何故全身に血液を送るだけの、ただの筋肉のポンプ如きが精神の核になり得る? 中心と言っても、そこにあるのはただの肉塊じゃ。それら全てを支配し、操っている元締めである脳こそが最も強い。魂の宿主としてこれ以上の適任はおらん。常識中の常識じゃて」
言っていることは、極めて理にかなっている。
事実、現代医学において「脳」という器官は、他の臓器に比べて未だに完全に解明されたわけではない。
ブラックボックスに包まれた謎が、山ほど眠っている場所だ。
「じゃあ、魂は脳にあると……」
「そういうことじゃ。心臓なんかは、血液と一緒に全身へ魔力を循環させるためのただの終末装置に過ぎん。重要は重要じゃがの。――ほんじゃあ、理屈が分かったならさっさと視せんかい」
僕は少し躊躇いながらも、隣から向けられる魁の純粋な期待の視線に耐えかね、前髪を上げて自身の額を露わにする。
白っぽい僕の肌に、真壁のゴツゴツとした無骨な指先がそっと当てられた。
「静かにのぉ……」
真壁がゆっくりと目を閉じる。
まるで空間の微細な振動を感じ取ろうとするかのように、老人の身体の周りに白い光の粒子が陽炎のように微かに揺らめいた。
「なるほどのぉ……。なかなかに、いや、相当に厄介そうじゃ……」
額に指を当てたまま、真壁は閉じていた瞳を片方だけ薄く開ける。
「主の傍白は、少しばかり歪じゃ。通常、転生者が傍白を現界させるには二つの工程を踏む。一、体外に顕現させる。二、それが霧散しないように常に魔力を『供給』し続ける。この一連の流れを、並の転生者は感覚でごく自然に行っておる。……だが、主の傍白は違う。主……傍白に対して魔力を継続的に『供給』できておらんのだ」
「……供給、できていない?」
「主の根源たる魔力量はあまりにも膨大じゃ。ゆえに、顕現させる最初の一撃に、大量の魔力を一気に注ぎ込んでおる。……だが、出しっぱなしにした後のメンテナンス、つまり維持するための供給が完全にゼロなんじゃよ。主の傍白は、最初に注がれた魔力を燃料に、それを使い切るまで暴れ、燃料が尽きたら勝手に消える。……いわば、『使い捨ての時限爆弾』のような極端な出し方をしておるわけじゃ。そりゃあ、すぐに時間切れで消えてしまうはずよ」
「だから…時間制限があるのか……」
自分の能力の「欠陥」をロジックで証明され、腑に落ちたと同時に冷や汗が流れる。
すると、慧が横から、恐る恐る挙手するようにして真壁に問いかけた。
「あの、真壁さん。先ほどの戦闘で肇さんの傍白――『ヒトガタ』が完全に破壊された時、彼は一秒のタイムラグもなく即座に再顕現させていたのですが、それも何か関係があるんでしょうか?」
僕はその質問の意図が掴めず、不審げに眉をひそめる。
「転生者は、傍白を一度消失させられると、脳への負荷から一定時間は再放出が困難になるんです。我々はこれをインターバルと呼ぶのですが、貴方はルドウィークに消された直後、何事もなかったかのようにヒトガタを再生成した。これも、今の魔力の話に関係しているのですか?」
そういえば、魁との初対面の時も似たようなことがあった。
魁は僕の警戒を解くために自ら傍白を引っ込めて見せたが、僕にとってそれは何のアピールにもならなかった。
なぜなら、僕にとって傍白とは、文字通りノーリスクな「出し入れ自由の道具」だったからだ。
「……そればかりは儂の織成でも読み切れん。だが、あまりにも圧倒的な魔力量が、世界のルールであるインターバルそのものを強引に踏み倒しておる可能性は高い。本人が無意識で行っておるバグを、言葉で説明するのは難しいから――」
その瞬間、真壁の思考は突如として底なしの暗黒へと突き落とされた。
「な、なんじゃ…これ、は……っ!?」
見たこともない、光の一片すら存在しない景色。
しかし、何故か真壁の「霊覚」はその場所を知っていた。
そこは真壁が今まで、幾度となく感覚で感知してきた魂の最奥――つまり、いま眼前にいる少年・肇の魂の内側そのものであった。
「どうなっている…こんな事は、儂の長い人生でも初めてじゃ……」
老人は激しく混乱し、暗闇の周囲を見渡す。
しかし、そこに広がっていたのは、思考すら凍りつくほどに広大で悍ましい深淵だった。
「ッ、!!!?」
突如、真壁の視界を遮るように、背後から伸びてきた漆黒の腕がその口元を強引に覆う。
(な、なんじゃこれは……!? 訳が分からない、何が起きておる……!)
その黒い手の主は、真壁の脳内に直接響き渡るような、冷徹極まる声でゆっくりと口を開いた。
『僕を覗くか……。群れることしか出来なかった蚊虻風情が、随分としゃしゃり出るようになったものだな……』
その声を鼓膜の奥で聴いた瞬間、真壁は本能で直感した。
コイツは――このナニカは、深淵そのものだ。
絶対に勝てない。
理解しようとすることすら、明確な自殺行為だ。
『大人しくそこで見ておけ…僕がそこへ、外に出るのもそう遠い未来ではない……』
「ハァッ、!!!!!?」
真壁は弾かれたように目を覚ました。
老人の全身は尋常ではない量の冷や汗に塗れており、床についた手足の震えがどうしても止まらなかった。
「だ、大丈夫かジジイ…!? どうしたんだ一体?」
僕の額からガタガタと手を離し、フラフラと頭を抱えながら近くの壁に激しく手をついた真壁に、轟が血相を変えて駆け寄る。
僕は僕で、一体何が起こったのか全く分からず、とりあえずめくっていた前髪を静かに元の位置に戻した。
「アレは…アレは一体、何だったんじゃ……。闇よりも深い闇、いや、深淵そのものか……? 全てを喰らい、全てを飲み込む、悍ましきバグ……っ!」
「おい、おい! しっかりしろ真壁! 尋常じゃなく顔色が悪いぞ!」
血走った目でブツブツと意味の分からない呪詛を呟く真壁の身体を、轟が必死に支える。
しかし、老人はすぐにその手を強引に振り払い、フラフラと覚束無い足取りのまま、逃げるように応接室の扉を開けた。
「すまない、轟…少し、気分が悪い……。儂は外の空気を吸ってくる……」
「あ、ああ……無理はするなよ、マカ爺……」
バタン、と力なく閉じた重厚な扉。
残された僕たちの間に、気まずい静寂が重く立ち込めていた。
「えっと…あの人、いつもあんな感じなのか?」
僕が怪訝そうな顔で尋ねると、轟は頬を掻きながら答える。
「いや、大体いつもあんな感じで偏屈だが…今日は少し、いや明らかに様子がおかしかったな……」
大体はあんな感じなんだ。
そっか…じゃあ、単に昼間から酒でも引っ掛けてて体調悪くしただけなのかな……。
「ま、まぁ気を取り直そう! 慧、肇もかなりの手練れだが、今回の俺のイチオシは魁の方だ! 聞いて驚け、魁は『ニュータイプ』なんだ! それも傍白の知性が異常に高いから、暴走して周囲を巻き込む心配が一切ない!」
「じゃ!!」
轟が自慢げに胸を張ると、魁も一緒になって腰に手を当て、嬉しそうに鼻の下を指で擦ってみせる。
それに対する慧の反応はと言うと――
「ニュータイプ……。なるほど、もしかしたら、これは……」
片手を顎に当て、何やら深刻な表情でブツブツと別の考え事を始めてしまった。
「あれ……? 思ってたのと随分リアクションが違うんだが……」
「儂、やっぱりそんなに凄くないんかのぉ……?」
期待していた大絶賛が得られず、少し悲しそうな顔で自分の服の裾をキュッと握りしめる魁。
僕はそれを見かねて、さりげなく右手に光の粒子を集めて短剣をチラつかせた。
「そ、そんな事ないって! ほら慧! 新人が落ち込んでるんだから、社長なら社長らしくちゃんとリアクションしてやりなさい!」
「あぁっ! すみません、すみません! 違うんです! 内心では本当に驚愕していたんですが、今朝入ってきたあの依頼の件に、彼の能力が合致するかもと思いつきまして!」
慧が慌てて手を振って弁明すると、轟も何かを察したのか、ポンと手のひらに拳を下ろした。
「あ~、なるほどな。そりゃ確かに適任だ」と一人で納得している。
完全に蚊帳の外に取り残されたのは、僕と魁の二人だけだ。
「おい、身内だけで会話を進めるな。僕たちにも分かるように早く言え」
「えっと、実は少し前に、我々『拝み屋』にある重要な依頼が舞い込んできたのです。……貴方は『無紋家』という家系をご存知ですか? 転生者界隈では、代々転生者が生まれやすい血筋として非常に有名な名家なのですが」
「そいつらが、僕たちと何の関係があるんだ?」
僕はソファに深く座り直し、轟が注ぎ足してくれたぬるい紅茶を再び啜る。
「はい。その無紋家の現当主『無紋善壱』。彼の姪にあたる『無紋有沙』という少女が、二週間ほど前に転生者として覚醒しました。ですが、覚醒が判明したのがあいにく国外の地域でして。安全のために一刻も早く日本に帰還させたいのですが、如何せん現在の我が国は護衛の人手が全く足りていない。そこで、古くから関係の良好だった我が社に、直々に護衛の白羽の矢が立った……という経緯です」
国外、か。
留学先での覚醒といったところだろう。
留学先としての候補なら、せいぜい近場のオーストラリアかニュージーランドってところか?
「護衛任務は、他の過激な転生者組織に情報を悟られないよう、極めて少数精鋭で行う予定です。そうなると、移動中の睡眠時間の確保が物理的に難しく、頭を悩ませていました。そこで、魁さんの『本人の意識がなくとも、傍白が自律して周囲を警戒できる』というニュータイプ特有の特性を利用すれば――ケープタウンから日本までの超長時間移動における、最大のネックだった休息問題が一挙に解決できると思いまして!」
……アフリカかよ。
まぁ、元イギリス領の植民地だし、英語留学の穴場としては都合が良いのか。
「なるほどな。そういうロジックで魁をその任務に連れて行きたい、と」
「はい。あ、言うまでもありませんが、この件はなるべく秘匿でお願いしますね。他の転生者組織に嗅ぎつけられると非常に面倒なことになりますので」
「そういえば、さっきからから気になってたんだが。他の転生者組織って、なんでそこまで必死になって転生者を欲しがってるんだ? そんな恣意的な強奪や勧誘を繰り返したら、拝み屋みたいな他の組織から敵視されて、業界内の関係が泥沼化したりしないのか?」
まるでバイキング形式で欲しい具材を奪い合うような、野蛮な感覚なのだろうか。
「いえ、大半の組織は最低限の法と秩序を弁えているのですが……ある一つの組織だけ、思想が突出して過激なんです。そうですね、貴方もこれから当事者になる以上、この機に知っておいた方が良いでしょう」
慧はスーツの内ポケットから使い込まれたスマートフォンを取り出し、画面にある男の画像を表示させて僕たちに見せてきた。
「この人物は通称『瓦解』と呼ばれ、転生者界隈で最も危険視されている組織――『天使教』の頭領です」
提示されたスマートフォンの画面。
そこに映る男の顔に、僕は強烈な既視感を覚えた。
それは、拝み屋の連中が僕の前に攻めてくるよりも早く、僕の潜伏先を的確に嗅ぎつけ、不気味な笑みで勧誘してきたあの男。
その名は――。
「九条、蓮……!」




