第二十一話:視る
不可視の暴力からどうにか解放された僕は、あのビルの中へと戻った。
織成で生成した清潔な服に着替え、染み付いた血の匂いを消してから、再び応接室のソファに腰を下ろす。
「本ッ当にすまなかった……!」
僕が席に着くや否や、轟が机に額を叩きつけんばかりの勢いで頭を下げてきた。
僕はそれを見下すようにふんぞり返り、机の上に行儀悪く足を乗せ、ソファの背もたれに腕を回す。
「ハァ……あのなぁ、こっちは勝手に凶悪犯に仕立て上げられた挙句、初手で腕一本持ってかれてんだわ。それなのに『ごめんなさい』の一言で手打ちか? ぬるいぬるい。出されたこの紅茶みたくぬる過ぎるぜ」
僕は机の上に置かれた紅茶を一口でイッキ飲みし、空のカップを思い切り机に叩きつける。
轟はいたたまれなさそうな顔で、額からダラダラと冷や汗を流していた。
「んで、当の本人は何をしてるんです?」
僕が悪態をつきながら部屋の隅に冷ややかな視線をやる。
するとそこには、涙目になりながら両手に水の入ったバケツを持ち、さらに頭の上にもバケツをバランスよく乗せられた、僕を襲った害悪転生者の姿があった。
「反省させてます……」
「反省してます……」
轟の重い声に、女が消え入りそうな声で唱和する。
「ケッ、口先だけなら誰だって何とでも言えるんだよ。――で、お前は何をしてるんだ、魁」
僕が再びソファの背もたれに体重を預けると、すぐ隣からカリカリと小気味いい音が聞こえ、視線を移す。
そこには、先ほどまで敵だった女が焼いたクッキーを、必死になって口に放り込んでいる魁の姿があった。その目は完全に感激に震えている。
「え? だってこれ、めちゃくちゃ美味しいんじゃもん……」
「いや、ここはキレるところ……まぁいいや。食ってろ」
魁の底抜けた能天気さに、完全にこちらの怒りのボルテージを狂わされた。
溜め息しか出ない。
「俺が少し目を離した隙に、こんな事態になってしまったのは本当に申し訳ない。あとで俺からもしっかりと言い聞かせておくから、今回の件はどうか水に流してくれないか?」
「ハッ、調子いいなぁ。一回注意されただけで人間が反省す――」
言いかけたところで、僕の脳裏にふと、ある客観的な思考が過った。
(あれ? でも冷静に考えたら、そもそもは僕が招いた事態か? 盗聴器を探そうとわざわざ警戒を強めて部屋を出た行動自体、少し冷静さに欠けていたかもしれないな……)
一瞬の沈黙の後、思考を巡らせた僕は、これ以上不毛な言い合いを続けるメリットはないと結論づけた。
「ま、まぁ、今回はこれ以上突っ込まないでおいてやるぜ。ってことでハイ、この話はオシマイ。次、次!」
僕はそそくさと話を打ち切り、本題へと進めるよう促す。
すると、お仕置き中だった女はバケツを下ろしてソファへと腰掛け、コホンと一度軽く咳払いをして髪を整え、何事もなかったかのように身なりを整えた。
……切り替え早。
「コホン。では、改めて自己紹介から。私の名前は桐谷慧と申します。ここ『拝み屋』の社長を務めさせていただいてます。あ、あとこれ、一応名刺です……」
先ほどまでの涙目はどこへやら、キリッとしたビジネスライクな目つきで名乗った慧は、少し焦った様子で名刺を差し出してきた。
「名刺、逆だけど」
「え!? あ、すみません!」
すぐさま慌てて名刺の方向を正して手渡してくる慧。
後ろに立っている轟の「頼むからしっかりしてくれ」と言いたげな顔が、最高に愉快だった。
僕をそこらの中二病患者扱いしていたツケだ。
「それで、今回お二人が拝み屋に来られた理由については、大体聞きました。――さっき」
もっと早く言っとけ。
「我々としても、戦力が増えるのは大歓迎ですので、ぜひメンバーに加わっていただければと思っています」
「そりゃどうも。だが、加わるにしてもいくつか条件を飲んでもらう。一つ目、僕の身の潔白を警察に証明する手助けをすること。二つ目、拝み屋に所属する全員の名前、具体的な実力、および傍白の能力を開示すること。三つ目、僕と魁の安全を最優先で保証すること。これが履行されないなら、入るわけにはいかない」
ただでさえ素性の知れない怪しい集団だ。
これくらいのカードを切ってもらわなければ話にならない。
「分かりました。最善を尽くしてお約束します」
正直、その言葉を額面通りに信用してここに身を置くほど、僕は馬鹿じゃない。
だが、今の状況でこれ以上の後ろ盾がないのも事実だ。
轟にサクラ、あのカウボーイハット……それ以外にも、このビルには手強い転生者が潜んでいる。
ここで交渉を決裂させて魁と二人きりで孤立すれば、物量で潰されるのは僕たちの方だ。
(なら、どんな泥水でも啜って、利用できるものは全て利用してやる……)
僕は隣でクッキーを咀嚼している魁の横顔を一瞥し、「分かった。よろしく頼む」と短く言い放った。
「ありがとうございます! では、一応入社という形になりますので、お二人の傍白や織成について、詳しく教えていただけませんか?」
「ああ、じゃあまぁ……」
僕は椅子に深く腰掛けたまま、手のひらから白い光の粒子を空間に放出する。
粒子は瞬時に三次元の構造を確立し、僕の背後に半透明のヒトガタへと変化した。
「名前とかは特にないけど、便宜上『ヒトガタ』って呼んでる。織成は『物体生成』。そのまんま、僕が頭の中で厳密に定義してイメージした物質を、体外に具現化させてるだけだ。ただ、僕自身まだ自分の能力の限界値を知らないから、これ以上は何とも言えない」
「儂は阿久津魁じゃ! 傍白?っちゅうのは、多分この『テテ』のことじゃろ? ちょっとサイズが大きくて、めちゃくちゃ優しいやつじゃから安心しろ! シキセイ?っちゅうのはよぉ分からんから、細かいことは全部カイに聞いてくれ!」
魁は悪びれもせず、織成の説明を丸ごと僕に丸投げしてきた。
すると、慧は得心がいったようにポンと手を叩いた。
「なるほど、ご自身で把握しきれていないのなら、うってつけの人がいますよ。うちの『鑑定士』のようなポジションの方です。――煉、マカ爺を呼んできてもらえる?」
「もう呼んでるぜ。そろそろ来るはずだが……」
轟が応接室の扉に視線を向けたその瞬間、重厚な木製のドアが静かに開き、一人の人物が滑り込んできた。
「のっほっほ、ここは儂の出番かいな?」
現れたのは、スチームパンク風の鈍く光る機械式義眼をギラつかせた、古びた軍服姿の老人だった。
ただならぬ威圧感を放ちながらも、どこか茶目っ気を感じさせる独特な佇まいをしている。
「マカ爺、正装が着崩れていますよ……」
この場を仕切っているはずの社長の慧が、呆れたような視線を老人に送る。
「くどい挨拶は嫌いじゃが、名乗らぬのは不便じゃからの。儂の名は真壁宗次。真壁とでも呼んでおくれ」
「あぁ、はい。……それで、この人は何をしに来たんですか?」
僕は轟と真壁の二人を交互に見やる。
説明を求めて視線を投げると、轟が肩をすくめて応じた。
「真壁の爺さんの織成が、お前たちの現状を把握するのに役立ちそうだなと思ってな。俺が事前に呼んでおいたんだよ」
「役に立つ? 具体的にどういう意味で?」
「お主が問うべき相手は、そっちの男ではなく儂じゃろう」
真壁が自らの蓄えられた髭を愛おしそうに撫でながら、僕の眼前に一歩踏み出してくる。
「……それもそうですね。では真壁さん、あなたがどう役に立つのか、論理的に説明していただけますか」
僕が視線を逸らさずに真っ直ぐ問い返すと、真壁は不敵に口角を上げた。
「儂の織成は戦闘向きじゃあないが、少々特殊での。簡単に言えば――相手の肉体に宿る『傍白の魂』の格や本質を、直感的に『視る』ことができるんじゃよ」
そう言うと、真壁は右手にはめていた黒い革の手袋を、ゆっくりと滑らせるように外した。
「視る……?」
「ああ。どうじゃ、少しお主の額を、儂に見せてもらっても構わんかの?」




