第十九話:逃げてばっかり
それから二~三時間ほどバイクに揺られ、ようやく「拝み屋」とかいう転生者組織の事務所が入るビルへと到着した。
僕は道中、寝たフリを決め込みながら周囲の出方を窺っていたが、特に怪しい動きはなかった。
「……着いたか」
「うおっ、起きてたのか?」
サイドカーの横を走る轟が、驚いたように声を上げてこちらを見る。
「寝たフリだ」
「用心深いなぁまったく……」
バイクから降り、見上げた先にあったのは、いかにも年季の入った小汚い中型ビル。
大きくもないが、かといって小さくもない、どこにでもある雑居ビルだ。
「なんか…小汚いのぉ……」
同じくバイクから降りた魁が、ビルを見上げて率直な感想を小さく呟いた。
「ま、まぁでも、中は割と綺麗にしてるから……」
サクラはバイクを別の場所へ停めに行き、残されたのは僕と魁、そして轟の三人。
だが、このビルの中にはおそらく、すでに数人の転生者が潜んでいるはずだ。
僕たちは轟の背中を追うようにして、ビルの中へと足を踏み入れた。
「そういえば、お前らって一応は政府側についてるわけだけど、お前ら以外に転生者の組織とかってあるのか?」
薄暗い階段を上りながら、僕は気になっていた疑問を投げかける。
「あるにはあるぞ。界隈で一番有名なのは、政府直属の対転生者制圧部隊『妭』だな」
すげぇ名前だな、おい。
漢字の威圧感だけで、関わったら一瞬で消される未来が見える。
「政府が管理している転生者には明確な階級付けがあってね。下から『抉』『軛』『翳』『燦雨』、そして最高位の『糾』の五つに分かれてる。で、その『妭』って部隊は、最高階級の『糾』だけで構成されてる少数精鋭のバケモノ集団だ。しかも、その中にはさらに『最も強い一人』が君臨している」
「その中でも、さらに一人が突出してるってことか?」
「ああ、お前もニュースの端っこか何かで、聞いたことくらいはあるんじゃないか? ――肉体に『神の欠片』を宿した転生者、ってやつを」
「ッ…!?」
脳裏に、かつて学校の退屈な授業で聞いた記憶がフラッシュバックする。
世界でわずか二例しか発見されていない超希少存在。存在そのものが一人で他国への軍事的抑止力へと成り得る、歩く大量破壊兵器――。
「そんな化け物が、日本にいるのか?」
「ハッハッハ! やっぱり民間にはほとんど情報が回ってないようだな。まぁ、俺も噂に聞いただけで見たことはないし、そいつが何の神の破片を持ってるのかすら知らないけどな。さぁ、着いたぞ。こっちだ」
廊下の奥にある一室へと通される。
部屋の中には明るい色のソファが二つ向かい合わせで置かれていたが、そこまで広い空間ではない。
「一応、社長には事前に連絡を入れてるんだが……まだ来ていないっぽいな。じゃあ悪いが俺、バイクをちゃんと戻してくるから、しばらくここで待っててくれ」
「おう、儂ぁ一向に構わんぞ! 長いこと待つのは山での狩りで慣れとるからのぉ」
僕は黙ってソファに腰掛ける。
轟の足音が遠ざかり、部屋に取り残されたのは魁と僕の二人だけになった。
しばらくの間、座ったまま周囲の音に全神経を研ぎ澄ませ、静かに口を開く。
「轟…行ったか?」
「ん? ああ、さっき行くって言っとったじゃろ」
その言葉を確認するや否や、僕はソファから音もなく立ち上がり、部屋の中を鋭い視線で見回した。
電源タップの隙間、家具の裏側、ソファの座面の下から死角になる位置まで、くまなく指先で探っていく。
「何しとるんじゃ、カイ?」
「盗聴器か監視カメラが仕掛けられていないか確認してる。……よし、とりあえずこの部屋にはそれらしいデバイスは仕掛けられていない。次は別の部屋だ」
僕は扉を薄く開け、廊下の様子を確認する。
この事務所のフロアにある部屋は全部で四つ。
相手は海千山千の転生者が集う組織だ。
誰かが隠れてこちらの隙を窺っている可能性も十分に考慮し、慎重に足を進める。
「まずは手前の部屋からだ……」
すぐ隣にあった部屋の前に立ち、扉にそっと耳を近づけて内部の気配を探る。
――よし、呼吸音も衣擦れの音もしない。
ノブを回して扉を開けてみると、そこはどうやら物置部屋のようだった。
ボロボロのオフィス家具やダンボール、正体のわからない雑貨が山積みにされている。床は埃まみれで、最近人が出入りした痕跡はなさそうだ。
(物だらけで探すのも一苦労しそうだな。ここは後回しだ)
僕は一度扉を閉め、次の部屋へと移動しようとする。
「なんか面白いもんでもあったんか? カイ~」
後ろからぬっと大きな影が迫る。
「うお、危ねぇな。気をつけろよ、靴当たんだろ」
僕は同年代に比べれば割と身長が高い方だが、魁はそこからさらに一回り、身長も体格も大きい。
背後から無邪気に覗き込んでくる姿は、まるで距離感のバカな大型犬を相手にしているようだ。
次の部屋は、廊下の少し奥。
また同じように扉へ耳をつけ、中に潜む気配を探る。
(気配は…無し。呼吸音も心音も拾えない。よし、入るか)
慎重にドアノブへ手をかけ、引き絞るように中へ入った瞬間、ツンと嗅覚が刺激された。
どこか懐かしい古い木の香りと、それから――甘い焼き立てのクッキーの香り。
そして、視界に飛び込んできたのは――
「あぁ……そんなにたくさん食べたら、お腹を壊してしまいますよ……。ほらぁ、言わんこっちゃない……」
ソファの上にちょこんと行儀よく座り、絵本『はらぺこあおむし』を優しい声で読み聞かせている、黒い長髪の見目麗しい女性。
その女性も僕たちの侵入に気づいたのか、ゆっくりと絵本から顔を上げた。
「「…………」」
数秒、部屋を支配する奇妙な静寂。
遅れて、クッキーの香りが一段と強く鼻腔をくすぐった直後――「ベキッ」という、生物の肉から鳴ってはいけない不吉な破壊音が響いた。
「……グフッ!?」
視界が強烈に歪み、次の瞬間には、僕は脆い建物の壁を内側から突き破って屋外へと投げ出されていた。
鳩尾に深くめり込んでいたのは、鈍い黒銀の輝きを放つ冷徹な肘。
僕を室内から文字通り「砲弾」のように弾き飛ばしたのは、いつの間にか出現していた、全身を黒銀の重甲冑で包んだ西洋風の巨大な騎士だった。
「カイ! ――アガッ!!」
外に放り出された僕を目で追おうとした魁の顔面に、あの長髪の女の容赦ない足甲がめり込む。
魁はガラス窓を豪快に突き破り、僕と同じように外の空中へと叩き出された。
(クソッ、分断された……! ハナから歓迎する気なんてサラサラなかったってわけか……!)
「クソがあぁぁ……!!」
僕は空中で歯を食いしばり、体内の全魔力を一気に引き出して、全身から凄まじい光の粒子を噴出させた。
『ぶっ殺してやる……!!』
現界と同時に、ヒトガタの鋭利な爪が黒銀の騎士の兜を殴り飛ばす。
しかし、なぜかその騎士と僕のヒトガタは、見えない強烈な磁力に引かれるように、二体セットで遥か後方へと吹き飛んでいった。
(なんだ今の不自然な動きは……!? 傍白同士が干渉し合っているのか?)
屋外の地面へと急降下しながら、僕はヒトガタが飛ばされた方向を目に焼き付け、即座に脳内で強靭な長尺の鉄棒を両手に生成。
それを地面のコンクリートに深く突き刺し、火花と激しい摩擦で強引に衝撃を殺しながら、どうにか着地を安定させる。
両足にズシッとした鈍い痛みが走る。
鳩尾への一撃のせいで肺の酸素が完全に切れているが、死ぬほどじゃない。
「それより、魁は……!?」
親友の安否を確認しようとした僕の視界を、さらりと揺れる漆黒の髪が遮った。
肌がピリつくだけの、圧倒的な殺気。
女は一歩、また一歩と、こちらを確実に仕留める死神のような確実な足取りで近づいてくる。
「どこかで見た顔だと思えば……あぁ、例の警察から逃亡中の、生意気な新しい転生者ですか。なんです? 今度はこの街で、誰を殺すつもりでやってきたのですか?」
「さぁな。だが、先に敵意を向けてくるやつをタダで帰してやるほど、僕は優しくない……それだけだ」
僕は両手を広げ、手のひらから一気に光の粒子を放出する。
粒子は瞬時に物質としての構造を確立し、僕の両手に二本のナタのような、無骨で鋭利な短剣を形作った。
僕はそれを逆手に握り直し、低く身を構える。
だが――対峙する女の「拳」を見た瞬間、脳の論理回路が形容し難い強烈な違和感を弾き出した。
(なんだ…あれは……?)
周囲には、僕たちが壁を突き破った時に発生した砂煙が立ち込めている。
しかし、なぜかその女の手の周囲だけ、ぽっかりと球体に煙が消え去り、奇妙な空白地帯が出来上がっていた。
そして、その「何もないはずの空間」は、まるで目に見えない巨大な巨人の手を模すように――ゆっくりと五本の指を折り曲げ、凶悪な拳の形を握り込んだのだ。
「……あー、こりゃ一旦、全力で逃げた方が良さそうだな」




