第十話:変な奴ら
その日の夜、僕は魁が深い眠りについたのを確認してから、静かに家を出た。
昼間の騒動のあと、魁には文字通り根掘り葉掘り問いただされた。しかし、あいつの「難しい話になると脳の回路が即座にシャットダウンする」という特殊な仕組みを完全に理解した僕は、ただただ難解な専門用語を羅列することで、煙に巻くようにその場を乗り切ったのだった。
「クッソ…まだ体が痛ぇ……」
見上げるほど巨大な、九条の手による土石の巨像。
その圧倒的な質量を前にして、僕は体内から白い光の粒子を放出し、ヒトガタを具現化させた。
『眠い……』
「そりゃ僕だって同じだ。悪いが、また僕を担いで、あそこの頂上まで登ってくれ」
僕の要望に従い、ヒトガタは無造作に僕を担ぎ上げると、土や石、へし折れた樹木が複雑に絡み合う巨像の斜面を迷いなく登り始めた。そうして、一気に到達した頂上で僕をそっと下ろす。
「ここだな……」
今朝、獅堂と戦ったとき、僕の身体に「何か」が起きた。
あの瞬間の記憶は、意識が朦朧としていたせいで酷く曖昧だ。
ただ覚えているのは、理不尽なまでの膂力で獅堂を完全に圧倒していた、あの全能感に近い感覚。
「材質は…やっぱり、ただの泥や木じゃねぇな……」
あの時の暴走状態の僕を、いとも容易く押さえつけた九条の拘束。
触れてみても、軽く叩いてみても、まるで鋼鉄の塊のようにビクともしない。
「ヒトガタ、ここを攻撃してみてくれ」
『なんで…こうなったんだ……』
ヒトガタはノイズ混じりの低い声をボソボソと漏らしながら、その鋭利な白銀の爪を、かつて僕を縫い付けていた残骸へと叩きつけた。火花が散る。
「……傷が浅いな」
ヒトガタの鉤爪は、大抵の物質を抵抗なくスパスパと切り裂くはずだ。
しかしこの物質に対しては、表面に僅かな溝を刻むだけで、完全な切断には程遠い。
「土石と植物の混合体……? にしては、硬度が異常すぎる。一体どういう仕組みだ……?」
僕は頭を抱え、思考の迷宮へと没入していく。
(僕の創る能力と、何かしらの相互関係があるのか? そもそも、この転生者とかいう力がどういうシステムなのかすら、まともに理解できていない。情報が少なすぎるんだ。今までの経験から、確定事項と推測を一度整理しよう……)
①:転生者は『傍白』という、自らの魂の分身を体外に顕現させられる。
②:転生者は傍白の魂の力を自身に引き込み、肉体スペックを爆発的に上昇させられる。
③:転生者はそれぞれ、一貫した固有の特殊能力(術式)を持っている?
(①と②は実体験からして確定。③はまだ推論の域だが、おそらく間違いない。確か学校の授業で、転生者には『ブリキ』『キバ』『レイオン』の三種類があると言っていた。獅堂や九条の異質な力を見る限り、あの二人は最も危険とされる『レイオン』の類だろうか。タイプによって、スペックや能力にどんな格差があるんだ?)
答えの出ない問いばかりが頭を巡る。
今度、魁にもそれとなく探りを入れてみるか。
「フゥ……」
重い息を吐き出し、僕は最後に自身の右拳を強く握りしめた。
獅堂を肉肉しく殴り飛ばした、あの瞬間の感覚を必死に手繰り寄せる。
あの時の僕は、明らかに僕ではなかった。
血管にドス黒いマグマでも流し込まれたように熱く、それでいて身体は発泡スチロールのように軽く、無限に力が湧き上がってくるような。
「オラッ!」
全身の体重を乗せ、全力の拳を巨像の表面へと叩きつけた。
直後、森の静寂に虚しく響いたのは、乾いた打撃音と――僕の情けない悲鳴だった。
「クッ…痛っ、つぅ……!」
ダメだ。
何の変化も起きない。
ただただ、自分が特別な存在だと勘違いして夜中に夜更かししている、最高に痛い奴の構図が出来上がっただけだった。
……寝よう。
僕はヒトガタを伴って、這うようにして巨像を降りた。
だが、そんな少年のささやかな迷走を、遠くからじっと見つめる一つの影があることに、僕は気づいていなかった。
「か、カイ…意外と寝相悪いんじゃのぉ……」
夜中の妙な物音で目を覚ました魁は、半開きにした扉の隙間から、夜の闇に消えていく肇の背中を、ただただ驚いたように見守っていたのだった。
◇
「さて……」
僕は森の静寂の中に立ち、意識を深く沈める。
肺の奥まで冷たい空気を吸い込み、脳内の回路を爆発的に繋いだ。
次の瞬間、全身から溢れ出した白い粒子が、物理法則を無視した勢いで収束する。
具現化した『ヒトガタ』が、大砲の弾丸のごとき速度で前方へ射出された。
『慣れて……きた……』
低く、空気を震わせるようなヒトガタの声。
その質量を伴った残像は、速度を一切殺すことなく密生した木々を突き進む。
鋭い爪の一振りが、大人が数人がかりで抱えるような大樹を、まるであらかじめ切り込みが入っていたかのように、滑らかに、影を残して無慈悲に切断していった。
「……よし。出力の安定、指向性の固定。使い方はだいたい掴めてきたな」
九条と獅堂との遭遇から、三日が経過した。
嵐の前の静けさ、というやつだろうか。
あの日以来、あの二人組は音沙汰もなく、警察がこの山を包囲するような気配もない。
もっとも、情報源が遮断されたこの状況では、単に僕が知らないだけの可能性も高いが。
「あ、そうだ。前に魁が言ってた相川とか言うやつの診療所、調べてみるのもアリかもな」
数日前に魁から聞いた言葉を思い出した僕は、集落の方へと足を運びながら、この三日間で得た知識を整理することにした。
「物体の生成は割とスムーズに出来るようになったが、まだ体力の消耗が激しいな……訓練すれば慣れるか?」
僕はヒトガタを霧散させながら、右手からガラスでできた水筒を生成する。
物体生成は、作りたいもののイメージを鮮明にし、且つその生成する物体の仕組みなんかも詳しく知る必要がある。
「簡単なのは作れるけど、複雑な電子機器とか大きいものはまだ作れそうにないな……」
以前作ったことがあるが、ただの動かない鉄クズと化した。
「あの時の馬鹿力は……まだ出せそうにないな……」
あの時に出た黒い粒子…アレは何なのだろうか。
魁に聞いても知らぬ存ぜぬで埒が明かない。
あの時の状況を再現するためにヒトガタに腕と肩の骨を折ってもらったが、ただ怪我しただけだった。
「イテッ……」
獣道を降りる途中、鋭い木の枝で腕の肌を軽く切る。
瞬間、その傷口から黒い粒子が微かに漏れ出て、一瞬のうちに傷を完全に修復してしまった。
「ま、この異常な再生能力を得たのは大きいな。治せるだけだけど」
まだ、この黒い粒子を完全に操る方法も、どの程度まで傷を直せるのかすらもまだ分かっていないが、時間が経てば少しは分かるだろう。
ちなみに割と重症でも再生させられた。
どういう仕組みなのか解明したいものだ。
「そういえば、魁は今何してんだろ…飯採ってくるとか言ってたけど…まぁどうせ山菜とかだろ」
◇
『スン……スンスン……。ああ、間違いねぇ。居るなこりゃ』
湿った森の空気の中、鼻腔を鳴らす音が響く。
そこには、無造作に打ち捨てられた青いクッションに鼻先を突き立て、『匂い』とは異なる何かを嗅ぎ分けている影があった。
直立した獣の四肢。
剥き出しになった鋭い牙。
環境に適応し、異様に発達した長い鼻。
月夜に現れる御伽話の「人狼」を、より悍ましく、より実戦的に仕立て上げたようなその姿は、周囲の木々に溶け込みながらも圧倒的な捕食者の気配を放っている。
『――濃い『魔力』の匂いがプンプンするぜ。まだ、そう遠くへは行ってねぇ』
『ナァナァ、それまだ使えるかな? オレ、自分の部屋にそういうクッション欲しかったんだよ〜。何だっけ? 『ヨグボー』だっけ? 人をダメにするヤツ』
ガチャリ、と無機質な機械音が沈黙を破る。
茶色のロングコートを羽織り、カウボーイハットの影から金属的な光を覗かせるソレは、まるで蒸気機関で動く等身大の精密人形だった。
下顎だけがギチギチとスライドし、場違いなほど軽薄な声を漏らす。
『えぇ〜、私も欲しいんだけど。ていうか、ヨグボーと『人をダメにするソファ』って同じやつだっけ? なんか形違くない? 偽物掴まされたらぶん殴ってやる』
同じように真鍮の軋み声を上げながら、バイクのヘッドライトのような単眼を明滅させたのは、二輪車が無理やり人間の形に変形したような異形だ。
彼らはもはや、この世界の生態系には属していない。
知性を宿した獣。
意志を持った機械。
そして、その内側に潜むのは、かつて別の世界で「生物」として生きていた魂。
『……ま、クッションなんてどうでもいいだろ。今は『仕事』だ』
人狼がクッションから顔を上げ、森の奥――肇が潜む診療所の方角を睨み据える。
彼らは、こう呼ばれている。
『転生者』……と。




