第十一話:入眠
「何作るかな…まぁ有名なので良いか……」
診療所の前に着いた僕は薬をどう活用するかを考えながら、薄暗い診療所の中へ入り、片手から懐中電灯を作り、薬品が山のように積み上げられた部屋まで向かう。
「さて…九条とかいうあの男、底が見えない。ヒトガタの一撃を無造作に防いだあの防御、あれを物理的に抜こうとするのは得策じゃないな」
僕は作業台の埃を払い、棚に並ぶ遮光瓶を品定めするように眺める。
「物理がダメなら、化学だ。触れた瞬間に相手を無力化する劇薬でも用意しよう」
僕は何も無い作業台の上に手をかざした。
「まずは実験器具だ。……ボロシリケートで行こう。膨張係数3.3×10^{-6}―――耐熱・耐薬品性はこれ以上ない。僕のイメージを固めて……出ろ」
ズズッ、と光の粒子が形を成し、新品同様のビーカー、試験管、そして冷却用のジャケット付きフラスコが台の上に並ぶ。
少し出しすぎたな…ちょっと貧血っぽい感覚。
「さあ、始めよう。まずは基本の…いや、もっと攻撃的なやつだ。濃硫酸、それに濃硝酸……。棚の奥に『五酸化二リン』もあるな。最高だ、相川。こんな物騒なもんかき集めてるから関わりたくは無いが、揃えているものは一流だ」
僕はまず、魁の家からこっそり持ってきた氷をボウルに張り、フラスコを浸す。
「濃硫酸と濃硝酸を三対一の比率で混合。……混酸の生成だ。激しい発熱反応だが、九条たちとの戦闘を考えればこれでもまだぬるい。そこにこの五酸化二リンを少量ずつ加えて、硫酸の脱水作用を限界まで引き上げる」
僕は慎重に薬品を滴下しながら、独り言をこぼす。
僕のクセである。
「九条の能力は不明だが、あの余裕の表情を見るに、弾丸や爪といった『点』の攻撃には慣れている。だが、この液体はどうかな? 触れた瞬間にタンパク質を炭化させ、呼吸器を焼き潰す。……これこそが、僕のような持たざる者の知恵だ」
数十分の作業の後、フラスコの中には、わずかに黄色みがかった、しかし死の気配を纏った濃密な液体が完成した。
「さてと……」
僕は先程創り出した水筒をポケットから取り出し、出来上がった劇薬を中に注ぐ。
「外層は頑丈な強化ガラス、内層はフッ素樹脂に近い超耐食性を持つ特殊な結晶構造でコーティングする。二重構造の特製ガラス水筒だ。これならこの特製カクテルも暴れはしない」
僕は慎重に液体を水筒へと移し替えた。
ずっしりとした重みが、手に伝わる。
「……できた。王水すら超える腐食性を秘めた、僕だけの武装。名前をつけるなら……侵食する白夜…エスト・ホワイトといったところか」
蓋をしっかりと閉め、僕は暗い部屋の中で一人、冷たく微笑んだ。
「……いや、ちょっとカッコつけ過ぎたな…。やっぱ無し。ただの超劇薬だ。忘れよう」
僕は赤面しながらその水筒をポケットに軽く仕舞った。
◇
森の中、揺らめく木々のざわめきを切り裂くように、機関銃のごとき重い足音が一直線に突き進む。
その標的は、立ち塞がる一人の少年――魁だ。
「来い……ッ!」
長い鼻面、焦げたような剛毛。
戦車を彷彿とさせる体躯を持つその獣は、人間からは猪と呼ばれる。
興奮で目を血走らせたソイツは、地面を削りながら魁の鳩尾へと牙を突き立てようと突進してくる。
「グォォォ! ブビィィ!!」
「テテ!! 今じゃ!!」
激突の寸前、魁の叫びに応えるように、虚空から二本の褐色の剛腕が染み出すように現れた。
姿を見せた『テテ』は、突進の勢いをそのまま利用するように、猪の脳天へ強烈なカウンターの一撃を叩き込む。
「ブヒイィッ!?」
撒き散らされた涎が宙に舞い、猪の巨体は紙屑のように吹き飛んだ。
背後の大木に激突し、痙攣しながらもがく獣に、魁は静かに歩み寄る。
「すまんの。命、しっかり食うたるからな」
魁の言葉と共に、テテの手刀が猪の項を正確に打つ。獣は力なく崩れ落ち、深い眠りについた。
「ふぅ……。ったくよぉ、いっつも手間かけさせやがって。やっぱしカイみたいな都会のモンはダメじゃのぉ。虫も食えねぇんだから、毎日肉を用意せんといかん」
魁は溜息を吐きながら、腰の紐を解いて猪の足を縛ろうとする。
だが、その指先が止まった。
背後で微かに聞こえた、乾いた枝の折れる音。
「なのに獣臭いわ、少し硬いわ、文句ばっかりでのぉ…町のもんはやっぱり―――ッ!! 誰じゃ!!」
一瞬で空気が凍りつく。
魁は腰のナイフに手をかけ、テテもまた巨大な拳を握り込んで背後を睨み据える。
(……猪の仲間か? だが、鳴き声一つ聞こえんかった。ここらの野生の生き物なら、わざわざ隠れて隙を伺うような真似はせん……人間か?)
「出て来い! 居るのはわかっとるけぇ!!」
魁の怒号が森を震わせる。
一瞬の静寂。
そして、茂みの奥から姿を現したのは、二足で歩く狼だった。
(なんじゃあありゃ! 犬…いや、狼か!? 始めて見るぞ、あんな歩き方するんか!)
『ハァ…だからふざけるなって言っただろ。お前はいつもおちゃらけ過ぎだ』
狼は人間の言葉を流暢に操り、頭をかきながら溜息を吐いた。
『イヤァ〜、だってよぉ。ずーっと仕事モードだと気が滅入っちまうだろ? オレの雑談で楽しませてやろうと思ったの』
『そういうのはシャワーの時だけにしてくれない? 耳障りでイライラするんだけど』
狼の影から、ガシャガシャと金属音を立ててさらに二体の「ナニか」が現れる。
茶色のカウボーイハットを被ったブリキの男と、単眼のヘッドライトを灯したバイクのような機械の女。
『え? 聞こえてたの? どこまで?』
『「オレのマグナムはどんな女もイチコロだ〜、ただし男のケツ以外〜」ってところまで。どこがマグナムよ。豆鉄砲の間違いじゃないの?』
『んだとテメェ、このアマ!』
『大声で叫ばないでくれる?アンタのマグナムは空砲しか撃てないの?』
今にも殴り合いを始めそうな二人――いや二体に、魁は「痴話喧嘩みたいじゃな……」と呆れ半分で毒気を抜かれる。
『おい! お前らいい加減にしろ! ……おっと、すまんな。取り残しちまって』
狼男が牙を剥いて仲裁し、ようやく魁に向き直る。
「いや、別に儂は構わんが……。ところで、あんたら何もんじゃ? 見たとこ人間っぽくねぇし、どちらかて言うとテテとか、カイの白いのと同じ類に見えるが……」
魁がナイフから手を離すと、狼男はフンと鼻を鳴らした。
『「テテ」か…なるほど、お前は転生者のようだな。道理で我々の姿が見えるわけだ』
「なぁ、その『転生者』っつうもんは何なんだ? カイも言ってたけど……あ、カイっつうのは儂の友達じゃ」
魁が優のことを口にすると、それまで睨み合っていたブリキの二人組がピタリと動きを止め、こちらを凝視した。
『少年…その「カイ」という人物は、どういう人間なんだい?』
丸いライトの女――機械の転生者が、金属音を混ぜた声で問いかけてくる。
「カイがどんな人間か? う〜ん、カイは頭が良くて、ええ奴じゃ。最初は目つきも悪いし、尖ってたから危ねぇ奴かと思ったが、頼れる奴じゃよ! ……まぁ、虫も食えんから、ちと臆病なところもあるがの」
『そうか…ここに居るのか。彼は……』
「……あんたら、何の用でここに来た? カイと知り合
いか? そもそもあんたら、人間に見えないんじゃが」
『ガッハッハ! そりゃそうさ。オレら人間じゃねぇし。……まぁ、"今のオレらが"だけどな』
カウボーイハットの男がゲラゲラと笑う。
『なるほどなるほど。今は「カイ」って名前で潜伏してるんだな。了解〜』
「……それで、何しに来たんじゃ。カイに用でもあるんか? それともカイの保護者か?」
魁の問いに、機械の女が答えた。
風に揺れる枝の音に紛れるような、冷徹な響き。
『あぁ、違うわよ。私たちは飯島肇くんを…いや、そのカイ君って子を――』
その単眼が、不気味な赤色に明滅する。
『――狩りに来たのよ』
「ッ! テテ!!」
空中に浮いていたテテが、殺意を感知して飛翔する。
野生の中で磨かれた魁の本能が、最大級の警告を鳴らしていた。
奴らは遊びじゃない。
本当に、カイを狩るつもりだ。
『君も興味深いが…今は邪魔をさせるわけにはいかないな』
「はや――ッ!?」
テテの重い拳を、狼男はいとも容易く、最小限の動きで回避した。
次の瞬間、魁の視界から奴の姿が消える。
背後。
気づいた時には、魁の体は丸太のような腕で羽交い締めにされていた。
「なっ…離せ! この……!」
『やれ!』
『アイヨォ! マグナムの威力、拝ませてやるぜ!』
カウボーイハットのブリキが、腰から二丁のリボルバーを抜き放ち、魁に向けて引き金を引く。
(まずい……! 銃弾か……!?)
だが、放たれたのは鉛の弾丸ではなかった。
鋭く尖った特殊な注射針が、魁の胸に深々と突き刺さる。
「麻酔…銃……?」
『正確には違うなぁ。正解は……超強力オピ…なんちゃらってヤツだ。ま、転生者なら死にゃしねぇだろ』
『「オピオイド」よ、バカ。ちゃんと覚えなさいよ』
『んだとテメェ、このアマ!』
罵り合う声が、遠のいていく。
急速に体温が奪われ、手足の感覚が消えていく。
どれだけ抗おうとしても、瞼が鉛のように重い。
『すまんが、ここで暫く眠っていてもらう。……目覚めた頃には、全て終わっているだろうよ』
(まずい…カイが……助け、ないと……)
魁の意識は深い闇へと沈み、力なく崩れた身体と共に、テテもまた光の粒子となって森の霧に消えていった。
地面に落ちた際、鋭い枝の先が魁の頬を薄く裂く。
だが、その痛みすらもう、彼には届かない。
『……傍白は消えたな。さぁ行くぞ、お前ら。ターゲットはすぐそこだ』
三体の異形は、迷いのない足取りで診療所の方角へと消えていった。
森には、気絶した猪と、深い眠りに落ちた少年だけが取り残された。




